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プロフィール
コメント数 122
性別 男性
自己紹介 自分の感性は、きわめて平凡だと自分でもわかっています。ただ、ほんとうはよくわかっていないのに、「わかった!」「よかった!」というのだけはしないつもりです。

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1.  道(1954) 《ネタバレ》 
この映画は何度か見ている。子どもの頃に初めて見たときは、なにやらよくわからなかった。青年期に見たときは、まったくわからないということはなかったけど、理屈で見ていたような気がする。そして、老いというものが近づいてきた今、改めて見直して、胸に迫るものの大きさに激しく心を揺さぶられ、ラストはザンパノとともに嗚咽をこらえられなかった。  いったい、どうしてこんなに激しく心揺さぶられるのか、自分でも精密には分析できないのだけれど、ひとつ言えるのは、自分がたどってきた「道」と知らず知らずのうちに照らし合わせて見ているということだ。ザンパノは私であり、ジェルソミーナは私の周りの人間、とりわけ家人にほかならない。ザンパノとジェルソミーナの道行きは私と妻の道行きであり、ザンパノとジェルソミーナの心模様は私と妻の心の風景なのである。それをこのように見せつけられると、涙なしに見られようか。  それにしても、と思う。ジェルソミーナの人生。こういうものにしたのは映画制作者としてはプロというほかないのだが、他方、ひとつの人生として追うとき、いろんな思いが湧き上がってくる(なればこそ、プロの手腕ということなのだろうが)。彼女は幸せだったのだろうか。常識的表面的には幸せだったはずはないのだが、人間とは深いものなので単純には決めつけられまい。そこを思いつつ考えると「わからない」という答えしかない。  ザンパノに捨てられたのち、どうやらジェルソミーナは誰にも心を開かなかったようである。決して粗末な扱いばかりだったわけではないようなのに、心を閉じたまま一人死んでいったのだ。表面的物質的にはザンパノと暮らしていたときとは比べものにならないくらいの豊かさを享受できる機会もあったはずなのに。  映画のところどころで「神」という概念が想起されるシーンが出現するが、物語が神や宗教に回収されることはない。そのこともまた心に残った。なぜなら、この映画はキリスト教の大本山ともいうべきイタリアの映画なのだから。  諺に「破れ鍋に綴蓋」というのがあるが、案外深い深い意味があるのかもしれないという気がした。生あるうちに、せいぜい妻を大事にしなければ。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2020-09-17 15:53:39)(良:1票)
2.  君の名は。(2016) 《ネタバレ》 
傑作だと思う。封切られた2016年に社会現象となるほどのメガヒットを記録したので、当初は話題先行の映画かと思っていたが、実際に見てみたら決してそんなことはなかった。新海作品は映像美がよく称えられるが、それだけではなく、ストーリーが巧みに練られ、テーマ設定も確か。また無駄なシークエンスもなく、完成度のきわめて高い作品だった。  新海作品は本作まで『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』『星を追う子ども』と見てきていた。それぞれ面白くはあったが限界も感じていた。『雲のむこう、約束の場所』と『星を追う子ども』はジブリ作品やエヴァンゲリオンの影響が強く出過ぎていたし、『秒速5センチメートル』はオリジナリティが発揮されていたがストーリーに難があった(第3話。私的にはということだが)。そのため、いい線を行っているのに、いま一つ突き抜けられないもどかしさが残っていた。しかし、この『君の名は。』でついに殻をぶち破って、新海作品の決定版に到達した感がある。  ストーリーの初めは単なる入れ替わりものかと思われたが、じつはそうではなく、3年という時間の隔てが存在し、糸守はすでに消滅していたことが明らかになる。そこに至って、いったい、物語をどう収斂させるのかと見る者をハラハラさせるのだが、見事にエンディングまで力技で持って行った。ラストも『秒速5センチメートル』の第3話みたいなやりきれないものではなく、見る者に希望を持たせる心地よいものがあった。  本作のよくできたところは、見る人によって多様なテーマの受け止め方が許容されるところだ。誰にも大切なものはあるがそれは黄昏時のように移ろいやすいものでもあるという哲理、テクノロジーがどれだけ発達してもそれがすべてではないのではという問いかけ、いまのメディアの力弱さへのチクリとした批判、母なる自然は大いなる恵みを与えてくれると同時に情け容赦のない存在でもあるという現実(いうまでもなく、3・11が踏まえられているだろう)……作品にちりばめられたいくつものテーマは、まるでミラーボールのように見る人ごとに違った色彩の光芒を放つ。にもかかわらず、どのような受け止め方をしようとも、しっかりした手応えあるものが受けとめられる。加えて、テーマの提示加減が絶妙である。これ以上語れば教条的臭くなるし、寡黙すぎれば伝わらなくなるという、ちょうどほどよい線を見事に見出し実現している。これは至難の業であろう。  先鋭的な作品だが、他方、映画づくりとしては基本に忠実である。さまざまな伏線が配され、それらがしっかり回収されていく。映画序盤、糸守にはカフェがないことを登場人物たちは嘆く。ところが、三葉と入れ替わった瀧は丸太をノコギリで切り、木のテーブルとイスをつくり即席のカフェを仕立てている。さりげないシーンだが、彗星落下のカタストロフィーから人々を救おうとする瀧の行動力の一端がすでに示されている。糸守では黄昏時をなぜ「かたわれ時」というのか? 「かたわれ」は「片割れ」だったことがあとでわかる。三葉になった瀧が休日なのに制服に着替えてしまったのも寝ぼけていたからではなかった。違う年だったので曜日がずれていたのだ。ストーリーの練り上げ方も念が入っている。彗星落下から8年後、瀧と三葉の再会へ至るプロセスは簡単には進まない。雪の降る新宿の歩道橋では互いに何かを感じ取りながらもすれ違いで終わる。ようやく、春になってついにはっきりと互いを認識し、こんどこそしっかり再び出会う。冬という厳しい季節を経たあとの春なればこそ、望みが叶うということを暗に私たちに伝えている。  登場人物たちのキャクター設定もうまい。妙に媚びたようなキャラといったこともなく、瀧にも三葉にも自然に感情移入することができる。脇を固めるサヤチンやテッシー、四葉らもよく効いていた。さらに、天空をオーロラのような極彩色で彩る彗星のスケールとビジュアル、小気味よい音楽、幽玄な巫女の舞い、組紐を一本一本編んでいく伝承の手業などなど、壮大さときめ細かさが同居しており、隙のない、ごくていねいな作品づくりに心を動かされた。  きっと、何度見ても新しい発見がある作品だろうと思う。また、海外の映画賞をいくつも受賞しているのも、日本アニメの底力を世界に改めて知らしめたという点で胸のすく想いがする。歴史に残る、残すべき日本アニメの金字塔として最大の評価を贈りたい。なお、本作の誕生によって、今後もっとも苦しむことになるのは新海誠自身となるかもしれない。これだけの作品をつくってしまったことで、これをどう乗り越えていけばいいのかということが大きな課題となる可能性がある。クリエイターの宿命とはいえ終わりなき道である。そこからこそさらなる「進歩」や「成長」が生まれるのだとしても。
[映画館(邦画)] 10点(2017-11-07 12:12:41)(良:2票)
3.  クライマーズ・ハイ (2005)<TVM> 《ネタバレ》 
この「クライマーズ・ハイ」は案外奥が深い作品である。最大の山場は、事故原因についてのスクープを掲載するかしないかという局面である。だが、この場面を見たとき、私は微妙な違和感を覚えた。あの場面で悠木はある遺族の母子が新聞を買いにきたときのことを思い出している。「どうか真実を伝えてくださいね」と悠木の手を握って懇願して帰った母子だ。ところが、「どうか真実を」と願った母子のことをわざわざ悠木に思い出させながら、結局はスクープ不掲載という結論に達しているのだ。スクープを掲載することこそが母子の願いに沿うことになるはずなのに、そうはしないという矛盾したシナリオなのである。ドラマに酔いながらも妙な印象を覚えた。  ところで、現実の日航ジャンボ機墜落の原因について、みなさんはどう理解しているだろうか。おそらくほとんどの人は「圧力隔壁の修理ミス説」を認識しているかと思う。だが、安易な陰謀説に加担する気はさらさらないが、いろいろ調べてみるとおかしな点があるのも事実である。日航機事故のあとタイ航空機がまさに圧力隔壁の破損事故を起こしている。細かい話になるが、そのときは機内の与圧が破れ、気圧が急激に低下したため、乗員乗客89名が瞬間的に航空性中耳炎になっている。だが、日航機では奇跡的に生き残った落合由美氏や川上慶子氏らの証言からもそうした話はまったく出てきていない。  また、急激な気圧低下に対応するため、タイ機ではパイロットによって緊急降下が行われているが、日航機の場合、それがなされていない(操縦不能になった事故機であったが、緊急降下することはできた)。あるいは、日航の乗員組合や整備士たちも「圧力隔壁説」は絶対に違うと主張している。圧力隔壁説の証拠として、煙草のヤニが垂れるほど付着したリベットが見つかったとされたが(当時の飛行機は禁煙ではなかったため、隔壁に破壊の元ととなる亀裂が生じ、そこから煙草の煙を含んだ空気が流出した結果、ヤニの付着したリベットが生じたとされた)、そんなリベットがあったら、整備作業で必ず発見しているはずだという。  さらに、この事故では結局、すべての関係者が不起訴となっているが、不起訴を決定した担当検事(山口悠介検事正)も微妙なことを述べている。「(墜落原因が)圧力隔壁の修理ミスかどうか疑わしい」というのだ。そのために案件としては不起訴とせざるを得なかったのであって、検事自身、事故調査委員会が出した圧力隔壁説という結論には疑念を抱いていたのである。  では、ほかにどんな原因がありえるのか、ということになるが、それこそがこの作品の核心であり、隠されたメッセージだと私は解釈している。当初私は、悠木はジャーナリズム論として不掲載を決断したと思っていた。しかし、「圧力隔壁説」の真実性に疑問があるという観点に立ってみると、「圧力隔壁説」を掲載しなかったことこそが「真実を伝える」ことになるという逆説的な図式が見えてくる。悠木にスクープ不掲載という不作為をさせることで、ドラマは「圧力隔壁説」とは異なる「墜落原因X」の存在を暗黙のうちに示唆しているのではないか。よくよく考えれば、「圧力隔壁説」を掲載しなかった理由について悠木は何も語っていない。  墜落の真の原因が何かは私なんぞにはわからない。しかし、あの事故では何かが隠蔽されているということだけはまず間違いないという心証を抱いた。あのとき123便と交信した管制官がその後何の事情聴取も受けていないという事実を知り、心証は確信になった。「クライマーズ・ハイ」は人間ドラマやジャーナリズム論を表面にかぶりながらも、寡黙なうちに欺瞞を告発し、真実は何も明かされていないと強烈に訴えているのではないだろうか。恐るべき作品だと思う。そういう隠された狙いを秘めたうえで本作は制作されているのではないか。
[DVD(邦画)] 10点(2013-08-08 12:59:59)(良:1票)
4.  カサブランカ 《ネタバレ》 
数々の名シーンが含まれていますが、私がもっとも強烈な印象を受けたのは、ラズロとイルザの乗った飛行機がまさに飛び立たんとしたときのこと。駆けつけたナチスの少佐が離陸を阻止するために管制塔へ連絡しようとするや、リックは何の躊躇もなくナチスの少佐を撃ち殺しました。何の躊躇もなく、です。    あの情勢下のカサブランカでナチスの将校を殺害するなど自殺行為以外の何ものでもありません。自らの生命、自らのすべてをかけるといっても過言ではない一撃です。にもかかわらず、リックはほんのひとかけらのためらいも見せることなく、じつに素早く冷静にことを為しています。リックの女への愛の深さと堅固さがどれほどのものか、私はこの瞬間の出来事に圧倒されました。もし、自分がリックの立場なら、あのようにできるだろうか……。    また、本作でのバーグマンの美しさは比類ありません。私はどちらかというと、バーグマンよりオードリー・ヘプバーン派ですが、それでもこの映画のバーグマンには魅了されずにはいられません。こんな女性に泣きすがられたら、男(私?)はイチコロです。    どれほど愛し合っていても結ばれることのない愛という哀切、戦争というものの不条理性がじつにうまくハイブリッドされていて、大人の愛を描いた映画とも反戦的メッセージの映画ともいずれにも解釈することができます(どちらかと決めつける必要はないでしょう)。娯楽作品にして思想的作品、思想的作品にして娯楽作品というさじ加減が絶妙です。脚本の力に感嘆せざるを得ません。    映画では己の愛を封印し、夫のため、あるいは世の中のためにリックのもとを去ったイルザですが、現実のイングリッド・バーグマンはイルザとは正反対の道を歩みました。夫と子どものいる身でありながら、ロッセリーニへと走り、そのことが原因となってハリウッドから締め出されました。ちょっと皮肉な逸話ですね。    ところで、最近気づいたのですが、イルザの夫は「ラズロ」という名前で設定されていますが、「ラズロ」は「ラザロ」にとても近い名前ですよね。西洋社会で「ラザロ」といえば、キリスト教の物語に出てくる「復活のラザロ」が思い起こされます。ラザロは一度死んでしまったあと、イエスの奇跡によって蘇ります。本作のラズロもまた、一度は死んだと思われたのに(なのでイルザはパリでリックと恋に落ちた)、生きて再びイルザの前に現れているわけです。そうか、ラズロはラザロだったのか、と妙に納得しました。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2011-02-22 15:25:37)(良:1票)
5.  2001年宇宙の旅 《ネタバレ》 
BSで放送されたので、久しぶりに見た。やはり唸らされるのは、これが1968年の作品だということ。機器類がタッチパネルではなくボタンだったりするなど、さすがにハード類の一部は古臭いが、それを割り引いても驚異的な未来世界の描写である。1968年といえば電卓がようやく出始めたころだから、この世界をつくり上げた創造性には驚くしかない。  宇宙のシーンのBGMにクラシック音楽を用いたというのもコロンブスの卵で、回転する宇宙ステーションと「美しく青きドナウ」は絶妙の組み合わせだ。心地よいイマジネーションに浸ることができる何度見ても飽きないシーン。ステーションや月に向かう宇宙船は「パンナム」となっていて、当時はまさかパンナムが消滅するとは、さすがのキューブリックも想像できなかったらしく興味深い。ヒルトンホテルは現存しているが。  この作品は「理解できる・できない」ということが一つのポイントとなっているが、私には完全に理解できなくても十二分に引き込まれる映画である。説明的な要素は極力省かれ、そういう意味では不親切きわまりないが、説明がない分、見る者の想像に委ねられ、各人各様の鑑賞が保全されているともいえる。また、説明がないこと自体が本作独特の乾いた魅力を生み出している面があり、物事は「わかればよい」とは限らないということを示しているようにも見える。それに、説明的な本作なんぞ見たくない気がする。  ところで余談的になるが、R・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」がメイン的な音楽として使われているためか、ニーチェの超人思想がテーマだとされることがあるが、私的には違うような気がする。ちょっと重箱の隅をつつくようで心苦しいが、ニーチャの説く「超人」とはそれまでの世界(あるいは神の存在)を否定したうえで、己の意思と力のみに依拠して生き抜こうとする人間のことである。モノリスによって誕生した本作のスターチャイルドは、それまでの世界をとくに否定しているわけでもないようだし、何より、己の力だけではなくモノリスという神のような存在の助けを得て生まれているのだから、「ツァラトゥストラはかく語りき」はあくまでも音楽的な効果として用いられたのではないかと思う。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2010-10-14 13:00:42)(良:2票)
6.  ローマの休日 《ネタバレ》 
私にとっての最高峰映画が、この『ローマの休日』です。映画作品には、もちろん、いろんな意見や印象があり、評価も人によってそれぞれですが、これだけは譲れません(笑)。   本作の最大の見どころは、何といっても輝かんばかりのオードリーの魅力! 彼女が演じるアン王女が笑い、怒り、はしゃぎ、憂うたびに、私たち観客(私?)も映画の世界にグイッと引き込まれ、ついつい一喜一憂してしまいます。封切られた当時、「日本中がオードリーに恋した」といわれたのもわかります。私もこの作品を見て、オードリーに恋しました。オードリーは、本作で本格デビュー後、幾多の映画に出演していますが、結局、この『ローマの休日』が最高傑作だったのではないかと思います。   中身については、いまさら私なんぞが振り返る必要ありませんね。たっぷりと笑ったり、泣いたりさせてくれ、夢見る世界にいざなってくれます。これぞ映画!ってもんで、観ているあいだはすっかり現実を忘れてしまいます。しかし、本作は単なる娯楽作品に終わらない深さもあります。ギリシア神話のダフニスとクロエの逸話以来、連綿と受け継がれてきた悲恋の物語。「切ない」という言葉だけでは語り切れない深い深い余韻が胸に残ります。   昨今よく、「願いは叶う」とか「愛は勝つ」とかいわれます。実に安易です。私は、そういう言い方に触れるたびに何がしかのうさんくささを感じます。ほんとうは、いくら願っても叶わないものがあるし、勝てない愛だってあります。本作は、ロマンチックなラブストーリーでありながらも、同時にそうしたリアルを冷静に示してもくれます。ラストの記者会見のシーンは、身を切られるような想いと涙なしでは見られない、ファンタジーとリアルがハイブリッドされた映画史上に残る名場面だと思います。   いまから半世紀も前につくられた作品ですが、時代を経ても変わることのない人間の生きる喜びと切なさを、オードリーの可憐な健気さが余すところなく見る者に伝え、深い感動を与えてくれる不朽の名作です。もちろん10点也です。10点しかつけられないのが惜しい! 
[DVD(字幕)] 10点(2006-04-25 01:46:22)(良:1票)
7.  さらば、わが愛/覇王別姫 《ネタバレ》 
夢がうつつで、うつつが夢……蝶衣にとっては、石頭とともに舞台でライトを浴びている時間が人生のすべて。幻想の劇世界のなかに生の証を求めようとする蝶衣の精神は倒錯したものではある。だが、倒錯の世界に埋没するしか、蝶衣は自分の愛を満たすことができない。なんと哀しく、純粋な愛か。そのありさまに気づくとき、観る者は、性差を超え、ノーマル・アブノーマルといった既存の枠組を超えて、激しく心を揺さぶられる。   時代背景は中国が歴史の波に翻弄され、大きく揺れ動いた時期。日本軍の進駐、文化大革命の洗礼……。波乱が訪れるたびに、人心は猫の目のように様変わりし、社会は変貌をとげる。そうした、あらゆるものが不定形で変転きわまりない一方、蝶衣の愛だけは岩盤のように不変なものとして描かれる。その対比が際立つ脚本は見事であり、これほど愛を貫ける人間の凄みといったものが胸に迫る。   最終的には蝶衣の愛は、蝶衣自身をも飲み込んでしまったということになろうか。決して実ることのない愛であったが、いや実ることのない愛であったがゆえに、それに殉じる道を選択した蝶衣の生きざま(死にざま?)は哀れを誘い、私はこみ上げてくるものを止めることができなかった。   レスリー・チャンの美しさはこの世のものとは思えぬものがあり、本作の妖しい魅力をより増していた。あの「ピャラ、ピャラ~」という京劇の切ない笛の音を聞くたびに、私はこの「覇王別姫」を思い出さずにはいられない。3時間があっという間に感じられた壮大な叙事詩に敬意を表し、フルマークを捧げたい。子役も大変素晴らしかったのは、いうまでもない。
[DVD(字幕)] 10点(2005-07-01 23:18:40)
8.  初恋のきた道 《ネタバレ》 
1回目は父が初めて母の家に行き、「そのときの母さんはまるで一幅の絵のようだった」と語った(と聞かされた)とき。「一幅の絵のようだった」という言葉に心が揺さぶられた。2回目は髪飾りの贈り物を母がもらったとき。明らかに安物なのにこのうえない喜びようの母ではあった。3回目は父が不在中の学校の障子を母が張り替え、その障子に切り絵を貼っていったとき。さぞかし時間をかけてつくったのであろう。4回目は病の床についていた母に父が帰ってきたことが知らされたとき。母はほとんど表情を変えず、ただ大粒の涙だけ流した。5回目は「私」が父の手づくりの教科書で1回だけの授業をしていたとき。以上、最低5回、私は泣いた(家で見てよかった)。  現実には、こんな話はないかもしれない。それは分かっていても、これほど純粋に人を愛し、強い気持ちで思い続けられるとは、なんと神々しいものかと圧倒されずにはおられなかった。その人が食べるものを一生懸命につくる、その人がいる場所をひたむきに掃除する、その人が通る道をいつまでも見守る……いまでは、すぐれた既製品がたくさんあるし、掃除なんかもヘルパーさんを頼むケースもあるだろう。それはそれで便利だし否定するものではない。でも、それだけになお、その人のことを思い、心を込めて手仕事をするというのは他に代えがたい深い意味があるように思える。「愛しているよ」と口にする100のセリフよりも、はるかに真心を伝えてくれる。都会の垢にまみれたわが心を、ひととき清浄にしてくれた名作だと思う。ビジュアルも大変美しかった。  完全に術中にはまったことになるが、この映画に素直に泣ける自分がまだあったことが嬉しい。久々に10点也を捧げたいと思います。イーモウ監督、心理描写も上手じゃない!
[DVD(字幕)] 10点(2005-04-14 21:32:08)(良:2票)
9.  風の谷のナウシカ 《ネタバレ》 
「ハウルの動く城」を見たあと、改めて本作を見直した。アニメーションこそ前者にひけをとるものの、作品としてのクオリティは比較にならない。制作されて、すでに20年。が、いまなお感動はまったく色あせない。映画の魂は、決してハード面の技術ではないことを教えてくれる。  終盤、オババが「いたわり」と「友愛」という言葉を口にする。それが、すべてをいいあらわしている。武に武を重ねるだけでは、安らかな世界は築けない――そんなきわめてシンプルでありながら、しかし21世紀のいまなお、人類は学べていない真実をこの映画を見た人は、改めて自分の胸に刻まないではいられまい。  ストーリー(脚本)も大変よくできていて、初見のときは、脅威の存在としか見ていなかった腐海の真の意味が明かされたときなど、思わず「あっ、そうだったのか!」と声を出しそうになってしまった。またオームなどのキャラクター類も、のちの媚びたようなものと違い、好感がもてる。  アメリカやドイツでも繰り返し上映され、多くの人の心をうった。日本が世界に誇る名作である。惜しむことなく満点を捧げたい、ということで10点也です!
[ブルーレイ(邦画)] 10点(2004-12-08 23:44:29)(良:1票)
10.  十二人の怒れる男(1957) 《ネタバレ》 
10点の目安は「傑作中の傑作。ここ何年間で最高の作品」となっている。それからすれば私には文句なしに10点満点! ここ何年間どころか、映画史上に残る名作だと思う。 最初は11人が有罪で、無罪は1人だったのが、ひとりずつ“転向”していくプロセスはスリリングですらある。しかも、その状況変化にまったく無理が感じられない。驚嘆すべきシナリオである。 主人公のヘンリー・フォンダの描き方もうまい。彼は必ずしも正義の人ではない。建築家という職業柄か、細かいことが気になるタチゆえ、わずかでも疑問が残るとそれが看過できないというだけといえば、それだけなのだ。途中、洗面所で顔を洗うシーンが出てくるが、顔を洗ったあと、爪に入ったゴミまでほじくり出している。またラストシーンでは、陪審員室をあとにするとき最後の最後まで忘れ物などがないか確認している。神経質な人間なのである。 登場人物もそれぞれ、「こういうヤツ、いるよな」という個性がきちっと設定され、演技ともども見事というほかない(説得力ある12の個性をかたちづくるのは、なかなか難しい仕事だと思う)。どこをつついてもアラがない。 それにしても、と思うのは、アメリカとはこれだけの映画がつくれる国であったはずなのに、現在の国情はいったいどうしたのだ、ということ。また、いま日本でも裁判員制度が導入されようとしているが、実際の裁判にのぞむ前にこの映画を見ることを義務づけてはどうかとも思った。
10点(2004-05-05 19:01:58)
11.  スター・トレック(2009) 《ネタバレ》 
期待に違わぬ秀作だった。かつて人気のあったシリーズをリメイクするのは、ときにリスキーな仕事だが、本作はじつにうまく、古くてまったく新しいスタートレックの世界を生み出していた。   映像の美しさや特殊撮影の質の高さなどは、おそらくほかの方が言及されると思うので、ほかの部分に着目すると、カークとスポックという双璧を為す二人の人物像の再プロファイリングが大変興味深い効果を発揮していた。若きカークは「宇宙大作戦」のカークより、一層際立ったキャラとなっており、喧嘩っぱやく直情的でよりダイナミックな個性の持ち主。しかし、ただ激しい性格というだけではなく、事象を冷静に見つめる鋭利さもそなえている。他方、スポックのほうは相変わらず“論理的”で冷静ではあるが、こちらも内面には豊かな感情を秘めていることがオリジナルよりはずっとあからさまにされており(ウフーラとの超豊かな感情交流には驚き!)、ひと味違うスポックとなっている。   そうしたキャラの再設定のおかげで、カークとスポックはまるで表と裏を引っくり返したような存在となっていることに気づかされる。外面は激しく内面は冷静なカークと、外面は冷静で内面は激しいスポック。両者はあたかも鏡に映った一つの個性のようで、プラスとマイナス、凸と凹を思わせる。他の追随を許さない特別な関係となることが、そんな人物像の組み合わせで示唆したのは見事。   オリジナルに対するリスペクトを十分に示しながらも、パラレルワールドのようなまったく新しいスタートレックの世界が誕生した思いがする。今後、本作では登場しなかったクリンゴンなどがどんな味付けをしてくれるか、とても楽しみだ。   あえて一つ突っ込んでおくと、本作は生まれ変わったシリーズのお披露目的色合いが濃かったゆえとは思うが、スタートレックを味わい深いものにしている哲学的テーマが見出せなかったのが若干物足りない。2作目以降では、ぜひ表面的なストーリーに加え、底流を支える深遠なるテーマの設定を求めたい。それがスタートレックをして、単なるスペースアドベンチャーものとは一線を画しているポイントなのだから。
[映画館(字幕)] 9点(2009-05-31 00:30:49)(良:1票)
12.  薔薇の名前 《ネタバレ》 
私はエーコの原作を読んでいないので、原作とのギャップはわからないが、映画だけでもけっこう楽しめた。あるいは、原作とのギャップを気にせず、映画にのめりこむことができたといったほうがいいかもしれない。   ふだんは本に書かれている“知識”でしかない「宗教論争」とか「修道院」「修道士」などが、“現実”の姿となって眼前に立ち現われると、歴史がリアルに感じ取られ、それだけでまことに興味深い。現代の私たちは蛍光灯のある暮らしだが、当時はたしかに暗い生活だったのだろうなぁ、などと末節の事柄にも思いをいたした。   ラストで弟子と女性の別れが描かれているシーンが蛇足ではないかという意見もあるようだが、私は逆に重要なシーンに思えた。というのは、あれは単に弟子が女性と別れを惜しむということだけではなく、「世俗」との訣別を改めて決意することを象徴した場面として解釈できるからだ。しかもその決意は、「世俗」の甘美な誘惑の味を知ったあとで為されているから、なおさら意味深い。よく見直せば、そのような含意のあるシーンがほかにもあるような気がする。   それにしても、やはりショーン・コネリーは存在感のある役者だなぁとも感心することしきり。原作からは、かなり娯楽化しているみたいだけれど、そもそも映画は娯楽性をたぶんに含んだ芸術なので、私は9点也をささげたい。
[DVD(字幕)] 9点(2008-04-18 19:29:01)
13.  マイ・フェア・レディ 《ネタバレ》 
久々に見直したが、やはり映画史上に残る名作だと再確認。もうちょっと若い時期のオードリーだったら、なおよかったけれど、それでも彼女の魅力は十分に発揮されていた。自分が年をとったせいか、最後のシーンは涙が止まらない。また、なぜか「I could have danced all night」のところでも泣けてしまう。お金でも宝石でもなく、ほんの少しのヒギンズのやさしさに、天にも昇るほどの喜びを爆発させるイライザの健気さに胸がいっぱいになるのだ。  エンタテインメントとしてもよくつくりこまれた作品だけれども、社会文化論的な視点から見ても興味深い。社会の底辺に属していた娘が、一転して王族にも見なされるシンデレラストーリーは、いわゆる「階級変換」がテーマとなっている。舞踏会のシーンにおいて、イライザは他の上流階級を圧倒する。イギリス階級社会の空洞性がさりげなく告発される。また、ここで描かれる社会は男性優位の社会でもある。つまり、ジェンダー的にも格差があるわけだ。しかし、ヒギンズはイライザや母の前では、その威厳は微妙である。ラスト近く、母の家でイライザと口論になり、イライザが出て行ったあと、「マザー!」と叫ぶほかないヒギンズのありさまは、「教授」という社会の最高位にある人間とは到底思えないもので、わがままがきわまってどうしようもなくなった駄々っ子の姿そのものである。貧富や性差、制度的階層の矛盾といった伝統的な社会問題が娯楽性を損なわない範囲で、しかし、しっかりと取り込まれているのは巧み。  これらを図式的に見直すと、すべて既存の秩序が一度崩壊したあとに、新しい価値観が見出され、それによって初めて幸福が得られるという筋道になっている。つまり、「崩壊」と「新生」の物語である。イライザにしても「花売り娘」としての彼女は消滅し、「レディ」として新生している。「崩壊」と「新生」というテーマで、なおかつ「階級変換」が絡んでくるとなると、(作者が意図したかどうかわからないが)これはもうニーチェの思想そのものである。となると、一見、コメディ的要素も持ちながら、その実、きわめて深い内容をも含んでいる恐るべき映画と解釈することもできるだろう。  ま、そんな見方はともかく、40年前にしてすでに一つの頂点に達している感さえある忘れえぬ一作だと思う。9点也です。
[DVD(字幕)] 9点(2007-09-09 02:01:26)(良:2票)
14.  光の旅人 K-PAX 《ネタバレ》 
これを投稿する時点での平均点が6.68点、最多点数が6点。ん~、厳しい。この作品、ワタシ的にはかなり素晴らしいと思うんですが。よく練れた脚本、ケビン・スペイシーの不思議感をうまくにじませた好演、静かに心に届いてくる劇中音楽。センスあふれる映像、どれも高い次元でバランスが取れていると思います。   全編通してSFファンタジーテイストが維持され、単純にエンタテインメントとしても楽しめますが、本作の正体はそれだけにとどまりません。大気や水、食品は汚染され、高級ホテルに出入りするような人間もほとんどが「臭い」。にもかかわらず、それに気づかず、あるいは内心気づいていても平然と生活している私たち。ピュアに反応する人間は「あいつはオカシイ」で片付けられ、精神病院に入れられてしまっています。   そんな理想とはほど遠い地球の現状から、K-PAXへの移住に憧れる患者たち。でも、プロートは連れて行けるのは一人だけといい、3つの使命を与えた患者には最後の使命は「ここに残ることだ」と伝えます。あるいは、別れ際、「K-PAXを見てみたいな」というパウエル博士にプロートは「自分の世界を見ろ」といいます。このプロートのひと言は強烈で、本作がただの娯楽作品とは一線を画しているところです。   逃避願望――それは誰にでも多少なりともあるものです。会社へ行きたくない、仕事辞めたいな、こんな家に生まれなかったら、いつか素晴らしい未来が待っている……でも、ほんとうは逃げても何も解決しないし、理想的な「いつか」なんて自動的にはこないんですよね。真の解決は「いま・ここで・ありのままの私」が真摯に生きていくしかない。本作は、押し付けがましくなくその人生の哲理を観る者に教えてくれます。   禅の教えに「衆生本来仏」という言葉があり、「ここが浄土であり、その身が仏である」と説きます。その心は、本作と相通じるものがあります。古来よりのアルカディア幻想を否定し、現実との対峙を求める本作。軽い娯楽作品の皮をかぶった哲学的秀作だと思います。プロートが「家族」にそこはかとない憧れを感じていたのも見逃してはいけないんでしょうね。レビューを書くにあたってDVDで再鑑賞しましたが、何度も観てみたいと思わせる魅力がありました。ということで、9点也を捧げたいと思います。ニートの人たちにもぜひ観てほしいと感じました。
[試写会(字幕)] 9点(2005-06-19 13:27:05)(良:2票)
15.  フレンチ・コネクション 《ネタバレ》 
まったく飾り気のない、抜き身の刀を思わせるような作品である。場面を盛り上げるBGMなし。劇的感を高める効果音最少。(当然ながら)CGゼロ。しかし、そうしたテクニックがミニマムでも、ものすごく引き込まれるし、むしろかえって「本物」感が強く、ハンパな演出をいっさい拒絶するストイックな制作姿勢にしびれるばかり。ストーリーも、安易なハッピーエンドとはほど遠い。実話を下敷きにしたとはいえ、最後まで終末が読めず目が離せない。  印象的な場面は、車を徹底的に捜索するシーン。もはや「捜索」なんてものではなく、「解体」以外の何ものでもない。そんなことまでするのかと、唖然となってしまう。おのおののシーンが超リアルで、つくられて30年を経たいまでも終始圧倒されっぱなし。そのほか、地下鉄相手のカーチェイスの場面もすごい。  本作を見直して、改めて映画の本質を問い直さずにはいられない。巧みな作画技術とか、多彩な撮影技術とか、コンピュータを駆使した音楽やグラフィックとか、たしかにそれらは映画の進歩に大きく貢献しているし、作品の魅力を高める要因にもなっている。しかし、それらはあくまでもサブ的要素なのだ。作品の核をなすのは、やっぱりストーリーであり、作品を貫くスピリットなのだ。それらが不足している映画が最近、とみに多いのではないか、と思わずにはいられない。歴史的作品に拍手、ということで、9点也です。彼らの世界を垣間見て、ああ自分なんか超温室育ちだなと、ちょっと自虐。。。
9点(2004-12-15 20:51:27)
16.  イン・ディス・ワールド 《ネタバレ》 
私たちがロンドンへ行くとすると、まあふつうは飛行機だから、日本からなら約12時間くらい。そのとき思うのは、「12時間もエコノミークラスっちゅうのはかなわんなぁ……」とか。――ふ~む、ついつい忘れてしまうけれど、やっぱり日本は「地球」という観点から見れば、超ファーストクラスの国なのである。  最初のほうで、少年の家族が「陸路でロンドンを目指すのは危険だ」という。私も「そりゃ、危険だ」とか思った。が、そのとき私が感じた「危険」は、あくまでも漠然とした観念にすぎず、そのあと展開されるほぼ現実に近いであろう具体的な陸路の旅のありさまを目の当たりにしたとき、私はいかに自分が生っちょろいか思い知らされた。そこには、エコノミークラスをうっとうしがる私の想像を絶した「旅」があった。同じ、現在のこの地球の上の話なのに、日本からわずか12時間の旅が、彼らにとっては三蔵法師が天竺へ行くのにも等しい命がけの旅路となっている(こうした実情は簡単に想像できるものではない。映像の力を強く感じた)。  旅の途中、少年たちは地元の子どもたちとよく遊ぶ。彼らも笑っている。その姿は、束の間のものであっても、ほっとさせるものがあり、貧しいながらもよく笑う子どもたちの健康さに、ふと、小学生が小学生を殺す自国の現状を照らし合わさずにはいられない。イタリアからフランスへ列車で移動する車中、少年がさまざまなことを回想するシーンでは、私の目から何やら生暖かいものがドドドとあふれ出るのであった。  少年の一人は、なんとかロンドンにたどり着く(もう一人はどうなってしまったのか)。しかし、それで彼の旅が終わるわけではない。まだまだ異国での「生きる」という旅が待っている。少年はロンドンに出てきてよかったんだろうか、と思ってしまうエンディングだった。9点也をつけたいと思います。
[DVD(字幕)] 9点(2004-12-12 22:59:56)
17.  鬼が来た! 《ネタバレ》 
これは奇作的名作ではないか。描かれているのは、「日本人は悪いことをした」とか「もっと歴史を学べ」とかいった教条的で単純なことではない。世の中には、誰もが関わっていながら、誰にもどうすることのできないまま突き進んでしまう「成り行き」というものが絶対的に存在するという無情である。それを前半はコミカルに、後半はこれ以上ないというほどニヒルに見事に映像化してある。ものすごい脚本力だと思う。  物語のなかで、いくつかのサブストーリーが展開されるが、すべて「ちょっとしたはずみ」がきっかけでそうなっていく。最初に起こったこと自体は小さなことで、うまく通り過ぎられれば、どうということのないものだけれど、一度引っかかってしまったら、あとあと騒ぎがどんどん大きくなり、収拾がつかなくなる。人類が繰り返してきた数々の戦争や悲劇の歴史も、ふりだしはその程度のものじゃないのか、という作り手のシニカルな視線が見える気がする。  途中から物語は“神の見えざる手”に操られているかのようになり、登場人物たちの恣意をもはや越えてしまったところで展開していく。そこに、「何とかならんのか」というもどかしい思いが何度も浮かぶが、どうにもならない。残酷といえば、強烈に残酷なシナリオ。  類を見ない個性をもった作品であり、満点をつけたいところなのだが、ラストが余りにもやるせなかったので-1点。ということで、9点也です。
9点(2004-12-12 13:22:36)(良:2票)
18.  存在の耐えられない軽さ 《ネタバレ》 
もっと、タダのエロい映画かと思っていたが、どうしてどうして、すぐれた作品だった。女と見ればすぐ口説きにかかり、手術中にも鼻歌を歌うような超軽々しい医師、トマシュ。前半ではトマシュの軟派ぶりがいかんなく発揮される(笑)。  ところが、「プラハの春」が終わり、ソ連軍が進駐してきて、すべては一変する。安全なスイスにいることもできたのにテレーザを追って再びチェコへ戻ったり、ほかの医師たちが「自己批判書」にサインするなか、トマシュだけが断固として拒否したり。真面目であったはずの者たちが保身を図る一方、このうえなく軽い男と思われてきたトマシュだけが鋼の棒のような筋を通す図式。たしかに人間って、いざとなってみないとわからないもんだと思わされる(自分も含めて)。  そうした「男の生き方」を問う一方、「男と女の不可解さ」も実に丹念に、魅力たっぷり描かれていた。サビーナとの善悪論を越えて惹かれ合う関係、トマシュを理解しようとするあまり自らを傷つける情交を結んでしまうテレーザ……。ステレオタイプではすまない人間心理の機微が見せられ、「そういうもんだよなぁ」と共感した。  個人的にとくに印象に残ったのは、サビーナの情人であった大学教授が「妻と別れてきた。一緒になろう」といってきたシーン。サビーナにとって女としてこんな嬉しいことはない。が同時に、結婚すれば一人のものになってしまうし、トマシュとも切れなくてはならない。そのしがらみに耐えられない思いもどっと去来する。そうしたアンビバレントな感情と涙が、とてもうまく演じられていた。  映像も美しく、俳優たちの目だけの演技などもたっぷり堪能できる秀作。ということで、9点也を捧げます。ラストはまさに「天に召された」といった感じでしたね~。
9点(2004-12-12 10:23:20)
19.  ゴッドファーザー PART Ⅱ 《ネタバレ》 
なんという贅沢な映画なのだろう。全編200分のうち195分は、最後の5分のために費やされた。そして、そのラストシーンによって本作は、一気に名作の仲間入りをすることができた(もし、あのラストでなかったら、私の評価はもっと低いものになっていただろう)。  数ある映画のなかでも、あのマイケルの、自分だけは満たされないものに気づいている表情で終わるシーンは、特筆されるべき素晴らしいものだと思う。いったい、どこでボタンの掛け違えが生じたのか。マフィアとはいえ、パパの時代はファミリーのあいだに温かいものが流れていたではないか。いったい、どうして自分を取り巻く空気は、こうも冷え冷えとしたものになってしまったのだろう……。  若き日のヴィトーも人を殺してはきた。しかしそれは、友のためであったり、家族のためであった。それに対して、マイケルは友を殺し、ついには肉親をも殺してしまう。ファミリーのためにと思ってのことではあったが、そのファミリーを構成する誰からも慕われることはなくなっていた。マイケルは、ゴッドファーザーとしての地位を確乎たるものとしたが、孤独である。  195分間、途中「ちょっと間延びしてるな~」とか思いながら見ていたが、最後の最後で見事にうっちゃられた。そして前作にない普遍的なテーマを含んでいた点を高く評価したい。私はⅠより上回っていると思う。ということで、9点也です。それにしても、ロバート・デ・ニーロを回想で使うとはもったいない! 
9点(2004-12-11 20:33:05)(良:1票)
20.  タクシードライバー(1976) 《ネタバレ》 
いま日本の社会は、中抜きで格差が拡大しつつある。かつては「一億総中流」といわれたが、「中流」が急速に減少し、「下層」が増大しつつあるという。そうした状況から、この映画は約30年前のアメリカ社会を描いていながらも、私には近未来の日本を暗示するものとして映った。    正義を求める行動に出ているつもりのトラビスの姿は、第三者的には狂気をはらんだものといわざるを得ない(もしかしたら、オウム真理教の連中の内面も、こうしたものであったのか)。それは、暗殺を企図しながらも、麻薬や売春を憎悪する、一見、矛盾する思考ではあるが、トラビスのなかでは筋が通っている。その歪曲を生み出す都市生活の閉塞と孤独。人ごととは言い切れないものが残って不気味に感じてしまう。    ベツィが属する「階層」とトラビスが属する「階層」の差は、ヒューマンな部分では惹かれ合うものがある二人であっても、両者のあいだに埋めようのない溝を見せ付ける。ラストシーン、ベツィが誘ってもトラビスはもう応じないように描いたところに、救いようのない社会の病巣が浮き彫りにされ、やるせないエンディングだった。    いろいろなテーゼを含んでいて、まるで鉄を飲み込んだような見応えがあった。ずっと記憶に残る映画となる気がする、ということで9点也です。
9点(2004-09-19 00:38:41)(良:1票)
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