1. アメリカン・ビューティー
《ネタバレ》 吹き替えで観ました。題名どおり、美しく、そして幸福な話である。しかし、その美と幸福は薔薇の花弁に象徴されるような凡庸なものとして表れている。レスター・バーナムが自らレポートに書いたように彼の日常は「地獄に限りなく近い」ものだったのであり、そこに美や幸福は存在しなかった。というよりも彼は日常の中にある美や幸福-寒い日に落ち葉とともに風に舞うビニール袋に象徴されるような-を感得する力を失っていたのである。したがって、彼がアンジェラに魅かれることで取り戻すのはそのような微細なものを見分ける力である。それは観察力というより生命力であろう。ラストで、彼は自分を挑発し続けてきたあばずれの少女が、実は精一杯背伸びをした、虚飾にまみれた普通の少女であったことを知る。レスターは彼女の中に美を見い出す。美は彼方にではなく、この腕の中、この目の前に、いじましい嘘とともにあったのである。彼は驚き、彼女から手を離して、ひとりで幸福にひたるのである。そして頭を打ちぬかれて死に、天に昇りながら美はいたるところにあるのだと説き明かす。設定から人物配置まで実によくできている。素晴らしい映画だと思う。 8点(2004-03-16 16:04:28)(良:2票) |
2. さよならゲーム
《ネタバレ》 アメリカの野球映画のなかでも屈指の作品ではないだろうか。 『フィールド・オブ・ドリームス』のように幻想や幽霊というものを使って野球のファンタジー性を視覚化した作品ではなく、くたびれた中年の男女と有望だが欠点のある若者という等身大の野球に関わるアメリカ人を設定することによって、この映画はアメリカ人(あるいはメジャーリーガーになろうとしてなれなかったロン・シェルトン監督)と野球との結びつきや絆と云った、野球のファンタジーの原型をしっかりと描きえている。 ラストの雨のテラスの場面は感動的である。野球と反対で非直線的だからあなたは素晴らしい、という女に対して、デイビスは「君の話は全部聞きたいが」と前置きして、言うのである。「今は疲れているし、野球や量子物理学の事なんか考えたくないんだ」。この映画はそもそも野球映画である、という前提を覆す台詞でこの映画は終わる。これは日本人にはけして書けない台詞だろう。アメリカ人が(あるいは監督が)野球をどれだけ身近で永遠なものと考えているかがわかるのである。そんな深い絆を見せ付けられた後に、ホイットマンとかいう人の「野球はアメリカ人のスポーツだ」という詩に、日本人で野球好きの私としては寂しいながらも納得してしまうのである。 名シーン・名台詞は枚挙に暇がない。脚本とともにロン・シェルトン監督の最高傑作だと言えよう。 それにしてもハラワタが煮えくり返るのは『メジャーリーグ』である。この映画の設定・ディティールのほとんどを流用して作っていやがる。こんなひどいこと、なんで誰も言わないんだ。 8点(2004-03-15 22:16:29) |
3. 十二人の怒れる男(1957)
とにかくヘンリー・フォンダが気に食わないし、とってつけたような民主主義礼賛も気に食わない。が、どんでんがえしを陪審員たちの討論でおこなうという発想とその展開はやっぱり素晴らしい。そのおもしろさは216さんのおっしゃるような「アクション活劇のおもしろさ」こそがそもそも法廷物のおもしろさなのだ、という確信が監督にもあったからかも知れない。ドラマとしてはリメイク版のほうが現代的な複雑さと繊細さを持っているので、オリジナルよりも好ましい。だが、それもオリジナルの極端なトレースの成果であるということは、残念ながら否定できない。 7点(2004-03-16 05:08:39)(笑:1票) |
4. 12人の怒れる男/評決の行方(1997)<TVM>
「12人の怒れる男」のオリジナルはヘンリー・フォンダが偽善者なのはいいとして、それを丸出しにしていたのは、やっぱりマナー違反じゃないかと思います。まあ、行儀の良い、出来の良い子供みたいな、最近の映画を見慣れているからでしょうけども。時代が違うんだなあ、と。俺はやっぱり、リメイク版のほうが好きです。良質なリメイクだし、オリジナルへの批判の視点もある。なにより勧善懲悪的、民主主義礼賛的なマッチョさではなく、もっとナイーブで複雑な印象を残すよう作られた物語になっているところに(まあこういう映画を見慣れているからということもあるけれど)好感を持ちました。ラストは良い味がある。アメリカの正義は変わったのだなあ、と月並みな感想を持ちました。まあ、それが、このリメイク版の企図だったんでしょうけど。 7点(2004-03-16 04:48:16) |
5. フィールド・オブ・ドリームス
まず、最初の異世界からの声と、最後の復活した父親とのキャッチボール→ぞくぞくとトウモロコシ畑の球場に集まる人々の車の列、というシーンによって、この映画が(とりわけ野球好きにとって)素晴らしいものであるということを言っておきます。そのうえで、私はこの映画を前年の名作『さよならゲーム』と比較して思い付いたことを言っておきます。『ドリームス』は父と息子という関係を、『さよなら』は中年の男女と若者という三角関係を人物関係の設定に置いて話を進めている。野球の内包するファンタジーと云ったものを考えるときにこの関係の設定の相比は極めて興味深いものがある。これはそのまま人間の成長史を野球史に沿わせて描いているように見えるのである。両方ともダーラムとアイオワという田舎町だが、映る風景は前者は下町のパブやマイナー球場、後者はトウモロコシ畑の球場と上品な町並み、といった相違がある。これはそのまま『ドリームス』が野球の原風景を、『さよなら』がその将来-それは常に個別的な具体例としてしか現れえない-を描いているものとして見ることができる。つまり『さよなら』は『ドリームス』よりも関係性において大人であり、発展しているのだ。それは、『ドリームス』ではオールドタイマーたちが出演し、『さよなら』では最近の選手たちが(名前だけ)出演しているという野球史の時代の相違にも現れている。野球の内包するファンタジーとは、実にこの少年たちが実際に野球史によりそって成長するという、極めてアメリカ的な事情と心性そのものから生み出される、関係性の比喩なのではないだろうか。つまりアメリカ人にとっての他者との関係性の比喩こそが野球というゲームなのである。そう考えると、アメリカ人と野球の関係の深さに、私は日本人の野球好きとして一種の無力感を味わうのである。 7点(2004-03-16 04:28:07) |
6. トレマーズ
はじめてみたのは確か10歳のころ。日曜洋画劇場で観てたいそうおもしろくおもったのを覚えている。どれだけ大変な、悲惨なことが起こっても、どこか呑気な雰囲気がおもしろかったのだろうと思う。あの芋虫も頭が良いかとかと思えば間抜な死に方をするし。最近見直してみたが、やはりおもしろかった。覚えているといえば、まだ存命だった淀川長治さんが「~のシーンはたった2秒の場面に○ヶ月もかけたんですねぇ~すごいですね~」とおっしゃっていたのを、何故か未だに覚えている。 7点(2004-03-15 21:36:32) |
7. ブルース・ブラザース
《ネタバレ》 SNLのことや出演者の履歴やどれだけ金を使ったかなどを知らなかった初見でも音楽シーンはどれもかなり楽しめた。特に最後の監獄ロック→エンディングロールの(劇中にも流れていた)Everybody needs somebodyの流れは素晴らしい。エンディングロールで涙が出そうになったのははじめてだ。レンタルビデオで観たのだが、いきなり3回もくりかえし観てしまった。傑作であることは間違いはない。が、作品として見た場合、まとまりに欠けている。 7点(2004-03-15 21:23:33) |
8. マトリックス
私の評価は世評のとおり。カンフーアクションとしては特撮を使ったところがおもしろかったが、けしていい出来ではない。サイバーパンク映画としては、仮想空間に住んでいる人間というアイデアは3番煎じくらいのものである。映画のメッセージは、自分の可能性を信じろ、という陳腐なもの。最後などはヒロインのキスでヒーローが覚醒する。・・・でもなんだか感動したし、良いと感じた。不思議な映画だ。 6点(2004-03-28 23:18:12) |
9. 靴をなくした天使
ビルの最上階での会話とラストの動物園での息子への説教などなど、良いストーリー、良い映画であることは間違いない。ダスティ・ホフマンも好演している。だが、残念ながらバーニーも含めて印象的な人物はほとんど出てこなかったのではないか。マスヒステリーを描いた映画だから仕方かもしれないが、出てくる人全員、甘ったるい夢を見ていて鬱陶しいのである。唯一騙されていない主役のバーニーの役目は大衆に振り回されることである。そんなわけでいちばん印象に残ったのは女性キャスターの上司のおっさんである。女性キャスターに言った「君は甘っちょろいロマンチストだ。だから大衆に好かれる」という台詞は、騒動の仕掛け人でマスコミ社会の権力者らしい凄みがあって、とてもいい。それにしても元ネタがあったんですね、これ。 6点(2004-03-24 10:06:27) |
10. ブルース・ブラザース2000
音楽は前回とタメを張っていると思われる。いや、音楽の流れているシーンは前回よりも豪華で、前回よりもはしゃいでいて、前回よりも楽しい(前回よりも幼稚な感じもしたが)。新しいブルースブラザースの面々は常に無駄にクールなブルースブラザースではなく、ただ単に話を膨らませるために出てきた連中であるのは疑いないが、別にそれはそれでなかなか楽しかったからいいのである。が、やはりジェイクのかわりがあの子供というのは、ちょっと荷が重過ぎるだろう。それとも、ブルースブラザーズが世紀末に脈絡なく蘇えるにはそういう「これは安易な続編っす」と声を大きくして言うような無茶な思い切りが必要だったのだろうか? 6点(2004-03-24 09:19:25) |
11. ミッドナイト・ラン
この作品でシリアスなシーンといえば主人公が昔の妻子に会いにいくところとラストくらいのもので、それ以外は、全編とぼけたコメディシーンである。そういう意味でメリハリがないなあ、と思いました。やはりメリハリの問題だと思うです。シリアスとコメディのバランスが悪いのである。コメディシーンが天丼というか伏線をばんばん使って頑張っているだけに、余計にそう感じる。それから、この作品、ほのぼのとしていながら、同時に怖いくらいに人工的・意識的なところがあると思う。お笑いというのはそういうものだと言ってしまえばそれまでだけど、変な感じです。ストーリーに奇妙な抑圧(奇妙な独特さ?)を感じます。しかしホントに作中では煙草吸い放題ですね。アメリカの禁煙運動が異常になってきたのはこのころからだったのかしら?それへの批判の意味で煙草を吸いまくっているのかしら? 6点(2004-03-24 05:26:26) |
12. ラン・ローラ・ラン
監督が自分の好きなことをやっているんだという雰囲気がとても良い。それに一生懸命走る女優さんがなかなか可憐だった。主役が汗臭く走りまわる映画は好きなのである、何故か。 6点(2004-03-19 16:01:12) |
13. Avalon アヴァロン
脚本はまあともかくとして、独特の美学が通った世界観がもたらす映像は素晴らしいものであったと思う。それだけでも評価されてしかるべき映画ではないだろうか。一見の価値は充分あると思う。主演女優さんは魅力的だったし。 5点(2004-03-24 04:44:16) |
14. COWBOY BEBOP カウボーイビバップ 天国の扉
ヴィンセントの過去もエレクトラの思いも2人の関係もなんだかどうでもよさげだし、リー・サムソンの無関心や製薬会社の裏の商売やナノマシン・ウィルスのこともどうでもいいと思えるのである。もしかしたら監督はそういうことはどうでもよかったのではあるまいか?と、思ったので軽快な音楽とシンクロしたアクションシーンの素晴らしさだけを褒めたい。それだけで観る価値がある。何回も観てる。これはミュージカル映画に近いのである。作品の構成や手際を云々するのは的外れな見方だと思うべきなのである。 5点(2004-03-15 22:52:20) |
15. メジャーリーグ
出来栄えは、まあ、そこそこいいですよ。でも、この映画をテレビで、レンタルビデオ屋で観かけるたび腹が立つ。この映画はロン・シェルトン監督の『さよならゲーム』から設定とディティールのほとんどをパクっている。まあ、パクるのは良いことではないが、映画だの小説だの漫画だのではよくあることだ。それについてはごちゃごちゃ言わない。それにもしかしたら何か事情でもあるのかもしれない。が、『さよならゲーム』が好きなものとしては、あの切なく淡く可憐な作品を形作った要素の数々がお子様向けの集客のことしか考えていないのが明らかな1990年代のハリウッド低迷時代の先駆けみたいな映画に堂々と、たいして罪の意識や恥ずかしさなしに使われているのを観ると、本当に腸が煮えくり返る思いなのである。 4点(2004-03-15 23:52:16) |
16. ラブ・オブ・ザ・ゲーム
《ネタバレ》 原作『最後の一球』(原題:ForLoveOfTheGame)を読んでいるものには到底許容できない出来である。原作の恋愛要素だけを取り出してそのまま映画にしてみました、といった代物。観ながら愚弄されているような情けない気持ちになった。原作の、過去の野球界の思い出、現状への諦観、安らげる故郷がなくなってしまったことでの積年の疲れ、大エースの矜持、野球というドラマの装置がもたらす御伽噺のような幸福感etcは、ここにはない。あるのは新鮮さも野心もなにも感じられない中年の男女の恋愛だけである。くそ、やっつけ仕事をしやがって。結局、製作者サイドは原作のドラマに何の関心もなかったのだろう。原作に一切の敬意も愛情も敵意も批判も持っていないことだけが画面から圧倒的な迫力で伝わってくる。原作から切り離して映画単体として見ても、なんのために完全試合が進行し、なんのために主人公の回想がおこなわれているのか、その内的な必然性がわからない。最後にわかれた女性との復縁が成っても、観ている人間にとってはそれだけでは大してロマンチックな話でもないのでカタルシスになりえていない。本当に、この手のハリウッド映画の非道は90年代に入ってから目立つ。 3点(2004-03-18 23:10:12) |
17. ゲーム(1997)
心の底から客を馬鹿にしていなければ作れない映画である。デビット・フィンチャーは他人というものを舐めきっているのだろう。これは彼のすべての映画に言える。『セブン』だろうが『ファイトクラブ』だろうが例外ではない。しかし、この映画には自惚れ以外なにもない。最後まできちんと作りこむ義務、観客に対する責任が放棄されている。彼の夜郎自大な無責任さと底の浅さが悪いほうに丸出しにされている。映画とも呼べない。 0点(2004-03-28 22:47:09) |