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【製作年 : 1930年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  グランド・ホテル 《ネタバレ》 
偶然ホテルに宿泊して居合わせた五人の出会いと別れを描く群像劇。医者から余命幾許と知らされ、残りの人生を楽しむために来た老人クリンゲライン。経営悪化した会社を合併によって乗り切ろうと画策する社長プライジング。人気低迷に悩むプリマドンナ、グルシンスカヤ。薄給を嘆く秘書フレムヘン。紳士だが、借金があり盗みを働く自称男爵。 それぞれの人生が最初は精妙に、やがて濃密に絡まりあってゆく。 クリンゲラインの勤める会社の社長がプライジング、プライジングの雇って秘書がフレムヘン、フレムヘンが好意を抱いたのが男爵、男爵の盗みの対称がグルシンスカヤの真珠、グルシンスカヤが恋に落ちたのが男爵。そして最後には劇的な展開を迎える。プライジンガが男爵を殺害し、フレムヘンとクリンゲラインが一緒にパリに旅立ち、グルシンスカヤが男爵の死を知らされないまま去る。ひと騒動もふた騒動もあったのに、ホテルは何事もなかったかのように存在し、次々とやってくる新しい客を受け入れる。ホテルは神の視座だ。神の視座から、複数の人生の縮図を鮮やかに写し出して見せたのが本作の長所だ。人物描写が丁寧で判り易く、場面展開がなめらかなのも良い。 庶民の羨やむ一流ホテルに泊まる人も不幸を抱えているという視点が当時は斬新だったのだろう。このような凄まじい人生劇を見せられた視聴者は心を動かされ、自らを顧みることになる。人生を考える暗示が詰まっている。人によって、共感する人物、共感出来ない人物、様々だろうが、誰か一人には共感するだろう。それが群像劇の強みだ。 本作の肝は、男爵がグルシンスカヤに惚れることだ。真珠を盗みに入った部屋で女が絶望の淵に沈む姿を見て、正体を現し、真珠を返し、愛を告白する。これで物語が大きく動き出し、このことが最終的に男爵の息の根を止める結果になるという悲劇の端緒となる。突然の告白に戸惑いながらも、夢見るような眼差しをする女優は印象的だが、男優の演技はどこか冷めていて、情熱が伝わらなかった。中年の恋はどうしても色眼鏡で見てしまう。 最初と最後に給仕長の男子誕生の挿話がある。人生の縮図の象徴であり、本当によく出来た脚本だと思う。名作の名に恥じない。ただし、クリンゲラインの大袈裟な酔っぱらいの演技が鼻についた。
[DVD(字幕)] 8点(2014-12-09 02:12:11)
2.  モロッコ 《ネタバレ》 
大変灰汁の強い、大人の恋愛映画だ。男を信じられなくなった女と、女を信じられなくなった男が異国で邂逅する物語。女、アミーは流れ流れてモロッコに辿り着いた旅芸人で、舞台で歌を唄うが、林檎も売る。男、トムは三年前に過去を捨てて、外人部隊に身を投じた二枚目の兵士で、女には目がなく、上官の妻との関係が露見して問題となる。二人は一目で相手を気に入るが、心に傷があるため疑心暗鬼で、気持ちの探り合いで終始する。トムの前線行きが決ると、トムは脱走を決意し、アニーを誘った。アニーは誘いに応じる。ところが、アニーが金持ちと婚約しているのを知ったトムは身を引く。また男に騙されたと思った女が、別の男との結婚に同意しながらも、男を忘れられず、男の本心を知って追いかけるまでの心の動きが肝だ。劇的な展開は無い。 気怠げな上目遣いの表情、甘ったるい指の仕草、軽妙で洒落た会話、物憂げにくゆらす煙草、ルージュの別れの伝言、鏡に投げつけられる酒、飛び散る真珠、卓子に彫った名前、裸足で後を追う姿、様々の洗練された恋の仕草や表情が見られのが特徴で、この映画の最大の魅力だろう。アミーの仕草はとりわけ魅力的だ。 擦り切れた心が癒えるには、異国と言う舞台が必要だった。人は異国にいると、時に望郷の念にかられ、時にもの寂しくなり、世捨て人の心もつい緩みがちになる。暑苦しい日中、灼熱の砂漠、そして戦争という悲劇が気持ちを駆り立てる。二人の心の渇きと憔悴を暗示するのに相応しい。この映画は舞台立てに成功し、且雰囲気づくりが秀逸だ。とても才能のある監督と思う。遺憾なのはトム役の役者が大根であること。 尚、砂漠では水分の蒸発が著しいため一日6Lの水が必要となる。その為、砂漠を横断するには食糧と水を運ぶラクダか馬が不可欠とで、軍隊が歩いて横断できるものではない。又日中の砂の地表温度は70℃以上にもなるので素足では灼けてしまう。監督は全てを承知の上で、あえてあの衝撃的な最終場面を選択したのだろう。印象に残った科白は次の三つ。「結婚するほどの男はいないわ」「女にも外人部隊があるのよ。ただし、制服も軍旗もない。勲章はもらえない。だけど勇敢よ。傷つくのは心だけ」「もう一度、男を信じさせてくれるの」
[DVD(字幕)] 8点(2014-11-30 03:43:34)
3.  綴方教室 《ネタバレ》 
小学校の女子児童の作文が原作という異色作。 貧困にあえぎながらも、明るく懸命に生きていく庶民の姿が清新に描かれる。 綴方とは作文のことだ。先生は、「見たまま、思ったままを正直に、一番頭に残っていることを自由にのんびりと書け」と指導する。写生文の勧めだ。それは正子の、横着者だが可愛い末弟、弟との英語ごっこ、弟との胡瓜の取り合い、鶏をさばく、立ち往生する馬車、道端の団子売り等の文に結実する。しかし、それだけでは「良い作文」にすぎない。原作が優れているのは、豊かな物語性を包容していることだ。 裁判所からの立ち退き命令が、実は家賃催促にすぎなかった。 兎をもらった作文が、思いも寄らぬ筆禍事件を引き起こし、父親が失業の危機に陥る。 友達が母親と田舎に行く話を羨んでいると、実際は離婚で帰るのだった。 自転車が盗まれたことが、父親がブリキ職人を辞め、日雇い人夫になることに繋がる。 芸者に売られていく娘を目撃するが、それが我が身にも降かかりそうになる。 父親が仕事にあぶれていると仕事が飛び込んできて、喜び勇んで出掛けて行ったが、仲介人に騙されて給与が貰えず、泥酔して帰ってくる。 このように、一方ならず劇的なのだ。貧困の悲哀を描いても明るさを失わないのは、人が良すぎて世渡り下手だが、妻子思いの父親の存在が大きい。どこか可笑しくて温かみのある、愛すべき人物なのだ。 正子にとって貧乏は特別なものではなく、日常だ。だからありのままに描いた。貧乏故に意外な出来事や幸不幸が起りやすい。それが文章に起伏をもたらし、期せずして物語性をもつに到った。貧乏も、子供の明澄な眼と感性を通じて文章化されると、瑞々しい抒情性を持ったものになる。一種の奇跡だ。その作文に目を付けた監督の感性が素晴らしい。 冒頭、カメラは、荒川を映し、明るく歌を唄って下校する子供達の姿を追い、あばら家集落に消えるを見せ、明るくはしゃぐ広子の様子を捉え、広子の長屋の入口にたどり着く。観客に映画の世界観を端的に表出して見せる、傑出した導入部だ。日常をそのまま切り取ったような自然な演出で、観客を無理に感動させようとするあざとさとは無縁。長屋のセットも本物とみまがうもの。寔に好ましい。この映画を通じて得た経験が、黒澤明に大きな影響を与えたものと察する。 
[地上波(邦画)] 8点(2014-09-09 18:11:49)
4.  有りがたうさん 《ネタバレ》 
心が洗われるような隠れた名作である。低予算でも良い映画が作れる好例だ。伊豆は天城の二十里の街道を悠々と走る長距離バスでの道中物語。牧歌的で快活な音楽が流れる中、舗装道路も電信柱も一切ない、真に鄙びて閑閑たる山村風景が写しだされ、乗客はみな実に悠然たる語勢で会話をする。運転手は道を譲ってくれる総ての人に「有難う」を言うので、付いた綽名が「有難うさん」。鶏にまで礼を言う律義さだ。道行く人から言付けや買い物を頼まれれば快く応じる。心根が優しい上、街道一の二枚目なので、若い娘達は放ってはおかない。シボレーを買って開業するのが夢だ。 一見安穏として朴訥たる乗客の姿に見えるが、その背後には、昭和恐慌の深刻な不景気の影響をまともに受けた農村の疲弊という悲劇が隠れている。 その代表が、身売りに出される娘だ。娘は我が身を恥じ、知人の姿を見れば隠れ、母に何度も説諭されても泣く。東京見学帰りの裕福な娘から声をかけられるが、心は上の空。運転手を思慕する気持ちも見え隠れする。娘に対する哀憐の情を隠せない運転手だったが、簡潔な別れの言葉をかけるのが精一杯だった。 そこに居合わせたのが、酸いも甘いも噛み分ける流れ酌婦風の女。二人の想いを察して、運転手の肩を押すように言う。「シボレーを買うお金があったら、ひと山いくらの女がひとり減るのよ」 ここで大胆な省略法が使われ、次の場面は翌日の帰りのバスの中。身売り娘と母が乗っている。「渡り鳥ならまた帰ってくるがね」「あの人いい人だったわねえ」何があったかはっきりしないが、劇中に「有難うさんも嫁を貰わなくちゃ」とあることから、二人は結婚を決めたのだろう。清新な演出。娘も運転手も峠を越えるように運命を潔癖に受容する。それが「長生きのこつ」なのだろう。 最も憐憫の情を禁じ得なかったのが朝鮮女の逸話だ。流れの道路工夫だった父親が死に、信州に行くので、墓の世話を運転手に頼む。「一度日本の着物を着て、有難うさんの自動車に乗って通ってみたかったわ」駅まで送るというと、女は疲れ果てて山道を歩く同胞の姿を顧みて、「みんなと一緒に歩くの。みんなと一緒に」慎ましい願さえも叶わない、異郷で辛い仕事に従事する女の悲哀。この逸話で作品の重みがぐっと増した。 運転手があまrに現実離れしすぎている懸念があり、好みの別れるところ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-06 03:24:34)
5.  愛染かつら 総集編 《ネタバレ》 
全編の主要場面をつないだ総集編ではなく、紛失を免れたフィルムをつないで編集した遺憾な総集編。そのせいで筋が滑らかにつながらない。かつ枝が浩三に魅かれる場面、浩三がかつ枝に愛を告げる場面、かつ枝が愛染かつらに愛の成就を祈念する場面、浩三がかつ枝のアパートを訪ねて子持ちだと知る場面、浩三がかつ枝を不実者として憎む場面、かつ枝がレコード会社の歌の公募に応じる場面、浩三、かつ枝、敏子の三人が愛染かつらの前にぬかづく大団円の最終場面。 登場人物は皆もの分りが良く、主人公二人に対して好意的で、意地悪な利害関係者や恋の好敵手も登場しない。二人の恋の障害は僅少だ。にも関わらず二人が結ばれないのは意志疎通を欠くのが原因である。特に、かつ枝が浩三に、自分が子持ちの寡婦であることを告げないのは罪が重いといえる。駅の待ち合わせの場面では、駅に電話して遅れる旨を構内放送してもらえばよかった。京都の滞在先に電報を打つこともできた。病院に復帰戻った浩三に会うなり、手紙を出せば済むような事だ。 戦前の女性は慎しみ深いことが美徳とされたが、逃避行の約束を反故にしたことを謝罪もせず、相手に勘違いさせたままというのは、思いやりに欠ける行為だ。それでも許せてしまうのは、ひとえに女優の可憐な容貌と柔かな物腰、言葉の丁寧さの所為だろう。 浩三も決して褒められるようなことはしていない。意に染まぬ相手と結婚させられそうになったから、手紙を残して家出するというのは分別に欠ける行為だ。病院の再建ももっぱら見合い相手の親に頼りっきりだ。軟弱で、気骨が無いのである。それでも許させるのはずば抜けた美貌の持ち主である所為である。 何といっても映画が大衆の心を掴んだのは、病院長の嫡男と看護婦の身分違いの恋、独身を装うが実は子持ち寡婦という秘密、愛の逃避行の失敗、接近するが会えないというじらし、看護婦から歌手への急展開、桂の木に愛を誓うという浪漫等々、複数の劇的な要素を盛り込んでいるからだ。また恋愛映画にありがちな嫉妬や策謀が無いので清々しいのも利点だ。メロドラマの金字塔の称号に十分値する内容となっている。 気になることが一つ。看護婦達はどうして、かつ枝の独唱会に制服姿で出席したのか。
[DVD(邦画)] 6点(2014-08-27 14:56:34)
6.  大いなる幻影(1937) 《ネタバレ》 
戦争によって分断される人間を様々な側面から描いた人間劇。異色なのは滅びゆく貴族同士の絆と悲哀を描いている点。独軍のラウフェンシュタイン大尉と仏軍のボアルデュー大尉の交情は我々の予想を超える。飛行機で撃墜した敵将を食事に招き、捕虜収容所ではお茶に招いたりと厚遇する。最後は脱走しようとする敵将の腹を撃ち抜く。脚を狙うつもりだったと謝罪すると、いいんだよと友人に声をかけるように許して死んでゆく。ボアルデュー大尉は自らを犠牲にして二人の将校の脱走を助けた。「戦争が終われば自分も滅ぶ運命だ」独軍将校は愛育していたゼラニウムを剪って供華とする。最も美しい場面だ。 マレシャルと敵国の未亡人との恋が後半の核となる。女は夫と兄弟三人を戦争で亡くしている。喪中に敵国の逃亡兵を愛せるものか甚だ疑問だが、「家の中で男の人の靴音を聞く幸せがどんなものかわかる?」と訴えられれば納得するしかない。 「国境は人間が引いたもので自然は同じ」「国に帰ってもまた軍人で同じことの繰り返しだ」「戦争なんてこれで終りにしたい」「幻影だ」含蓄のある会話で映画が締めくくられる。国境を憎みながら、国境に救われるところは風刺が利いている。 他に、少年兵を見た老婆が「あんな子供まで」と嘆く場面や、独軍の気のいい監視兵や、脱走した二人が喧嘩別れしてから和睦する場面など印象深い場面がいくつかある。 内容は素晴らしいが、見せ方は未熟だ。冒頭マルシャルの連呼するジョセフィーヌ、偵察機の撃墜場面、三人の捕虜の脱走未遂場面、これらを省略しているので繋がりが悪い。最も盛り上がるべき城塞からの脱走場面でもサスペンスに欠ける。笛を用いての脱走だが、笛はボアルデューが自国から取り寄せたものだ。捕虜なのに自国から荷物が届き、ドイツ軍より良い食事をしているなど理解に苦しむが、それはさておき、笛を取り寄せるなど甘い設定だ。知恵を絞って、そこにあるもので何とか間に合わせてこそ、感情移入できるというもの。祖国からの新聞によりドゥーモン城塞奪回を独軍より早く知るなども有得ないし、テニスラケットを持って捕虜収容所に向かう米兵などの描写も不必要だろう。やはり戦争映画は厳しさがないと締まらない。煙草吸って、酒飲んで、女装して踊って歌ってというのではしっくりこない。戦争や捕虜に対する考え方が日本と違うのを痛感させられた。
[DVD(字幕)] 7点(2014-05-19 15:03:58)
7.  河内山宗俊 《ネタバレ》 
「思いやり、やさしさ」が主題だと思う。 お浪は、やくざ社会に足を踏み入れかけている弟、広太郎のことを案じてやまない。 将棋詐欺の場面で、広太郎が宗俊に思いやりの言葉をかけたことで、二人は親密になる。 お浪が怪我をしたとき、宗俊と浪人金子は、共にお浪を思いやっていることに気づき、急速に昵懇となる。 宗俊も金子も聖人、君主の類ではなく、好きなように生きてきて、時には悪事も働き、清濁あわせ持つ人物で、可哀相な小娘、お浪のために命を張ることも厭わないやさしさを持っている。よき死に場所を得たことで、却って本望だろう。 宗俊の女房は悋気を起こし、我知らずお浪を窮地に追いやってしまうが、宗俊の危機には身を挺しても守ろうとする。 宗俊もそれに応える。夫婦愛の完成である。 監督は美的感覚が優れている。お浪が身売りを決心する場面の構図は見事に決まっており、雪の中を出ていく場面は美しい。 監督の特徴である無駄のないショットの繋ぎは、そのような美的感覚があればこそだろう。圧巻は、掘割での対決場面だ。奥行きを見せる縦の構図から疾走感を見せる横の構図へと繋ぎ、最後は地平線へ駈ける縦の構図で終る。水の使い方もうまい。乱闘の水飛沫、迸る落ち水、躍動感を盛り上げている。入水場面での月影を映す水、月影の砕ける波紋も印象的だ。 難点は、弟広太郎の人物像が描かれていないことだ。優しい姉がいるのに、どうしてグレたのか。幼馴染の遊女と心中を決心する場面で、「どうせ生きてたってしょうのねえおれだ」と吐き捨てるが、その心情が伝わってこない。同年代の少年は丁稚奉公などで働いている筈である。普通は、遊女に売られることが不幸なのであって、身請けされるのは喜ばしいことだが、この遊女はどうして死を賭して、脱走までしたのか。そこに至る過程が描かれていないので唐突感が残る。省略の美はよしとしても、省略し過ぎでは、余韻に浸ることはできない。よしや、広太郎が無事お浪を助け出したとして、広太郎は親分殺しの御尋ね者である。二人でまともに暮らすことはできないだろう。蛇足だが、遊女の身売り金は多くて五十両くらいであり、三百両はべらぼうに高い。身売り金と身請け金が引き合うわけはないのである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-04 23:28:47)
8.  人情紙風船 《ネタバレ》 
江戸時代の長屋と庶民の暮らしぶりが写実的に再現されていて興味深かった。三人の人物が主人公。浪人の海野は仕官が叶うのを夢みて、亡父の知人である家老に嘆願を繰り返す。相手にされていないのは薄々気づいているが、仕官を疑わない妻の手前もあり、希望があるように振る舞う。言葉巧みに大家から通夜の御酒や肴を引き出すなど、才知に富み、度胸も据わっている新三は、慎ましく日銭を稼ぐ髪結い業に倦み、闇賭場をひらき、濡れ手に粟の生活を目論む。それが地元やくざの縄張りを荒らすことになり、付け狙われている。質屋の娘お駒は番頭と恋仲になっているが、番頭に結婚の意志はなく、親の勧める武家との縁談がとんとん拍子に進んでいる状況。三人とも不幸が共通点。その三人の運命の糸が質屋を舞台にひとつに絡まりあってゆく。その展開は見事だ。後半になるほど進度がよくなる。予定調和的な大団円を期待していたが裏切られた。浪人は仕官叶わず無理心中、新三はヤクザとの決闘で討死、お駒は家に連れ戻される。見せない美学がある。海野の女房お滝が、実家でどのような冷たい視線にさらされ、屈辱的な気分を味わったか。帰宅した長屋で立ち尽くす背中で語るのみである。無理心中は白刃のきらめで暗示される。新三が決闘で負けるのは相手との刀の長さの比較で暗示される。長屋に戻って来ないことでその死が知れる。お駒の運命は迎えにきた番頭の態度で知れる。余韻の残る演出だ。紙風船は子供を楽しませる夢のあるものだが、それを作っているのは世間の底辺でうごめいている人たちだ。 仕官という夢で膨らんだ紙風船だが、あまりに儚く軽く、遂には世間の風に飛ばされて、どぶに落ちてしまった。ごみ溜めのような長屋での暮らしだが、人々は明るく活気がある。隣人の自殺を冗談ごとのように済ませ、死を悼まないのは薄情だからではない。生きてゆくには、自殺も笑い飛ばす程の図太さが求められるのだ。毎日汗水たらして働かねば生きてゆけない。活気があるのは当然である。金魚売の科白「こうして朝から金魚、金魚で言っているとね、金魚が何だか、俺が何だか、わらなくなってくるよ」は、実感が籠っている。ここでは夢や強すぎる矜持は生きる妨げとなる。自殺で始まり、自殺で終る、循環形式の物語。膨らんでは萎むのが紙風船。又誰かがどこかで膨らませることだろう。その一つ一つにささやかな庶民の物語がある。 
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-04 03:44:23)
9.  上海特急 《ネタバレ》 
お金持ちの男達の間を渡り歩いて、金を貢がせ、世間で”上海リリー”という悪名を頂戴している女が、昔の恋人である軍医と再会し、ヨリを戻す話。ディートリッヒは鉄面皮のように表情を変えず、その退廃的で人間離れした容貌には最後までなじめなかった。異国趣味、戦争、サスペンス要素を加えたメロドラマといった内容だが、脚本はかなりいい加減だ。サスペンスが第一で、恋愛は不可要素と考えていたのだが、あてがはずれた。従って、かなり退屈に感じられた。物語というか演出に問題ありでえ、ダイナミックな起伏が少なく、緊張が高まるところがないのだ。終始ゆるみっぱなしといった印象。リリーの感情も軍医の感情も伝わらない。この映画で泣く人はいないだろう。冒頭に出てくる「神」と描かれた巨大銅鑼からして意味不明。中国語もでたらめ。一等席の乗客のほとんどは噂話をする程度の役割でしかない。傍ら、線路にたむろし、列車の通行の邪魔になる牛や鶏の描写が妙にリアルで印象に残る。反乱軍のチャンは武力で列車を乗っ取り、政府軍に捕まった部下と交換できる有力者を探すが、結果軍医が人質となる。リリーは軍医を無事救い出そうとチャンと直談判する。このチャンが間抜けでいらいらさせられる。やることなすこと”ぬるい”のだ。挙句の果て、リリーの女友達にあっけなく刺殺される。その動機は不明だ。賞金目当てか、政治がらみか、リリーを助けるためか?女友達がいつ、どうやってチャンの部屋に忍び込めたのかも描かれていないので不満が募る。無事救い出された軍医はリリーの行動を知らず、リリーも何も語らずで、ここからはすれ違いメロドラマ。結論は見えているので、感情は動かない。ディートリッヒ演じるリリーを、時代を先取りする”強い女”と見れば、違った感興がわいてくるかもしれない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-12-11 17:48:53)
10.  フランケンシュタイン(1931) 《ネタバレ》 
原作者メアリ・シェリーは、16歳のとき、妻子持ちだった詩人シェリーと不倫の恋に落ちる。メアリの父親の怒りを買った二人は駆け落ちする。19歳の夏(1816年)、シェリーと共に、バイロン卿の館で過ごした。このときまで一度流産をし、最初の子供は11日で夭折、生後三ヶ月の乳飲み子を抱えていた。このときに悪夢を見て、小説「フランケンシュタイン」の着想を得る(ディオダディ荘の怪奇談義)。その後1年かけて小説を完成させるが、その間にシェリーの本妻が入水自殺し、二人は正式に結婚した。原作の背景にはこのような出来事があった。原作での人造人間は、知性は秀れ、感性も豊かであるが、醜悪な容姿のせいで誰にも理解されず、孤独だ。そこで永遠の伴侶たる花嫁を造ることをフランケンシュタインに要求する。人造人間がメアリの分身であることは容易に想像がつくだろう。劇中でも花嫁が不安を抱く場面が出てくる。「きっと何か起こる、感じる。二人の間に何かが近づいている」メアリの結婚に対するあこがれ、障壁、不安、苦悩、悲劇のすべてが込められている。少女が湖に投げ込まれて水死するが、偶然にも小説脱稿の5年後にシェリーが、船の沈没で水死する。メアリには未来が見えていたのかもしれない。◆世界で最初のSF小説という名誉を担う原作があまりにも素晴らしいので、凡庸な作りであっても記憶に残る映画になっただろう。最大の特徴は、人造人間の容貌の醜怪さだろう。かなりショッキングだ。人造人間が生まれる場面、少女と遊ぶ場面とその後の投げ込み場面、我が子の死体を抱いて歩く父親の姿、水車小屋の炎上場面、どれも印象に残り、名作たらしめている。原作に対する掘り下げや感情描写は足りないが、怪奇性を前面に出すことでそれらを補っている。美と醜を強調することで、生と死を鮮やかに対比させることに成功しているのだ。マッドサイエンティストと怪物、怪物と少女、怪物と花嫁、たいまつの群衆と怪物、炎と怪物、これらが完全な絵になっているのは、深層心理に働きかけてくるからだ。これに音楽を加えたら、今でも相当怖い映画になると思う。メアリの見た悪夢は今でも生きている。脚本の難点をいえば、少女が水死した原因が人造人間のせいであると、どうしてわかったのかが描かれていないこと。それとセットの背景画の布のしわが丸見えなのはいただけない。
[DVD(字幕)] 8点(2012-10-05 02:31:15)
11.  望郷(1937) 《ネタバレ》 
ペペはギャングの親玉。銀行強盗稼業で荒稼ぎ、殺した刑事は五人。フランス警察の手を逃れ、仏領アルジェリアのカスバに逃げこんでいる。カスバは建物が迷宮のように複雑に入り組み、各家のテラスがつながっていて、どこからでも逃げれる。男気があり、人情に厚いペペは手下からは崇拝され、住民にも人気がある。カスバはペペを守ってくれる一方で、暑くて、汚くて、混雑して、無秩序で、熱病のように人の心を蝕む。牢獄のような場所から逃れる事の出来ないペペの心は病んでおり、望郷の念に堪えきれなくなっている。そこへ現れたのが金持ちの愛人ギャビー。巴里流行の服をまとい、宝石をきらめかせ、色香ふんぷんで、聞けばペペと同郷、ペペの恋焦がれる総てがあった。彼は恋に落ち、ギャビーも彼にぞっこん。だが運命は二人に辛く当る。刑事の策略、部下の裏切り、情婦のタレこみ云々で、ギャビーを追って乗り込んだ船で、ペペは待ち構えていた刑事達に逮捕される。温情で見送りを許されるが、「ギャビー」と叫ぶ声を汽笛が消す。心憎い演出です。自由、恋、故郷、総てを失ったペペは自死する。「望郷」という和題が卓越。彼は望郷という病に憑りつかれていた。いつ来るかもしれぬ刑事のガサ入れ、警察との撃ち合い、仲間の裏切り、手下の死、包囲網下でカスバを出れない不自由さ、酷い暑さ、嫉妬する情婦など、心が休まるときが無い。これらが寄せては返す波となり、彼を望郷の念に駆りたてる。「若いころの自分を、古い写真を鏡と思って見つめるの」と言って古いレコードをかける元歌手の年増。ペペがカスバを降りる時のりゅうと着こなした服装と靴、背景の心象風景に映る故郷へ続く海など、実に抒情的だ。ペペの心とカスバの町(迷宮の象徴)が常にオーバーラップする。ペペは情婦イネスに飽きて、彼女をないがしろに扱っていた。イネスはペペを愛していたが、結果的に彼女の嫉妬心がペペの命を奪うことになる。ペペにとってのファムファタールはギャビーではなく、イネスだったのかもしれない。運命の女神は気まぐれだ。ペペが故郷に恋焦がれていたのは良い想い出があったからだろう。ペペの過去、がどうして悪の道に足を踏み入れるようになったのかが描かれていれば、より感情移入できただろう。現代の価値観でいえば、ペペは社会の屑にすぎない。それにしても、スリマン刑事はペペに毎日会っているのに逮捕しないのはよくわからないですね。
[DVD(字幕)] 7点(2012-07-10 18:08:19)
12.  キング・コング(1933) 《ネタバレ》 
無駄のない構成に感服。まずスカル島に到着するまでの序章がテンポよい。ジャングル映画監督の特異な性格が示され、運よく不遇の美女タレントがスカウトされ、恋を知らなかった荒くれ船員が美女と恋に落ちる。次に原住民との遭遇⇒美女が原住民にさらわれる⇒コングが美女を連れ去る⇒美女奪回のため島の奥地へ⇒恐竜との遭遇⇒コングと恐竜達との壮絶バトル展開⇒美女奪還⇒コング捕獲と休む暇がない。ここで終わっても冒険物語は成立する。当時流行していたジャングルもの、南洋ものと呼ばれる小説や映画の多くがそうだった。本作は、このあとコングをニューヨークに連れていくことで名作となりえた。「コングを見世物にして金儲けする」という人間の欲望、これを描くのにニューヨークはぴったりの街である。自然との調和を忘れ、欲望に溺れ、堕落した人間達に、神の使いであるコングが天罰を加える。経済発展を謳歌していた米国で世界恐慌が発生した直後の制作で、コングは当時の人が無意識に持っていた罪意識の象徴として映ったのに違いない。これが現在にも通じることで、今でも色褪せない理由の一つがここにあると思う。美女を取り戻したコングは高層ビルの天辺に避難する。だがそこに安住の地はない。文明の利器である飛行機と機関銃が襲い掛かる。スカル島では怖いものなしだったコングもこれには勝てず、墜落死する。人間を襲った罪として、今度はコングが罰せられたのだ。欲望とそれを律する心のせめぎあいを見事に表現している。もう一つの主題は恋愛という不思議さ。いくらコングが美女を愛しても、その愛が報われることはない。コングは美女の守護者であると同時に永遠の失恋者。美女に恋しても相手は振り向いてもくれない経験を持つ男性は多い筈で、身につまされる。野獣のコング相手に感情移入できる所以だ。失恋男の哀れさが憐みを誘う。美女に惚れなければこのような悲劇は起きなかった。「飛行機ではない、美女が野獣を仕留めたのだ」の詞は的を得ている。副題の「the eighth wonder of the world」はコングであり、恋愛である。鑑賞後冒頭の諺がしみじみと想起された。「預言者曰く。見よ、野獣は美女の顔を見て、殺そうとして伸ばした腕を止めた。その日以来野獣は死んだも同然となった」野獣でさえもこうだ。どんな人間でも美を愛でる優しさ、人間らしさを持つ。コングよ安らかに眠れ!
[DVD(字幕)] 10点(2012-07-01 01:27:53)(良:3票)
13.  駅馬車(1939) 《ネタバレ》 
単純明快な物語。人間ドラマ、恋愛、格闘シーン、スカッとするラスト、どれも秀逸で、娯楽映画としてのエッセンスが詰まっている。足りないのは芸術性くらいだが、アパッチ襲撃シーンは芸術の域に達していると思う。フィルムのコマ数を落して馬の疾走感を出す、馬車がカメラの上を駆け抜ける、俯瞰撮影、フィルム合成、危険なスタントシーン、賭博師が撃たれるシーンを見せない選出など、どれも素晴らしい。 ◆人間ドラマはもっと掘り下げることが可能。①医者は医者として自信を失う事があり、トラウマを抱え、酒浸りになった。出産と治療を通じて、医師としての自信を取り戻す。②賭博師は判事の息子だが放蕩者になった。そのきっかけの一つがかつて貴婦人に失恋したこと。偶然再会して護衛を申し出る。③銀行家は厳格すぎる妻との生活に嫌気がさしていた。その日の大喧嘩する。そのとき大金が持ち込まれ、アパッチの襲撃で電信が途絶えた。チャンスとばかり駅馬車で脱出を試みる。命からがら助かった彼は、かわいい息子がいたことを思い出し、自首する。④娼婦は足を洗ってこの町に来て真面目に働いていたが、婦人会から追い出される。唯一の友人がリンゴで、無理と知りながら、彼との結婚を夢みていた。⑤貴婦人は騎兵隊の大尉と駆け落ちをして一緒になった仲。夫が重傷との連絡を受け取り、身重の身を押して、単独夫の元へ駆けつけるところ。賭博師と大尉は恋敵だった。⑥リンゴは無実の罪で刑務所に入れられた。3兄弟が嘘の証言をしたためだ。しかもリンゴの父、弟を殺したのは3兄弟だと判る。リンゴは脱獄し、復讐を誓う。◆アパッチが馬車の馬を撃たなかったのは、馬の強奪が目的だったからと解釈しましょう。アパッチにとって馬は通貨と同じです。残念なのはせっかくやってきた騎兵隊とアパッチの対決シーンがなかったこと。終わってみれば2名負傷したものの犠牲者は1名のみ。3兄弟との決闘はあっけないです。3兄弟は逃げずに堂々と勝負しますが、もっと悪者キャラにして、リンゴをだまし討ちにするが、返り討ちに会う方がカタルシスがあります。保安官が結婚の約束をしたリンゴと娼婦を見逃してやるという粋な計らいで終了。「一杯おごろう」「一杯だけな」誰でも祝杯をあげたくなります。ところでリンゴと娼婦はこの日が初対面ですが、女が娼婦ということを知っているのでしょうか。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-24 01:18:19)
14.  アンナ・カレニナ(1935) 《ネタバレ》 
アンナ(A)は夫カレーニン(K)、息子セルゲイ(S)と平穏に暮らしていた。軍人ヴロンスキー(V)がAに一目惚れ、人妻と知っても恋の炎は消えない。当惑していたAもいつしかVの愛情にほだされ、Aを愛していることを告白する。二人の関係は噂になり、最初は気にもかけなかったKだが、落馬したVを気遣うAを見て不貞を確信する。Kは妻を責めるが、妻の気持ちは変わらない。かえって仕事と世間体ばかり気にする夫を責める始末。二人の間にもともと愛情はなかったのだ。怒った夫は離婚は許さず、家を追い出し、息子に合わせないという。一方Vは将軍からこれ以上醜聞が続くと退役させるとの警告を受ける。Vは軍隊より愛を選び自主退役する。AとVは欧州へ旅行に出かける。自由と心の解放を感じていたAだったが、Sのことを考えると憐れでならない。二人は帰国する。AはSに会うが、Kに見つかり、出入り禁止となる。二人は社交界から締め出されていたが、Aが勝気なところをみせ、堂々と二人でオペラに出かける。Vは無為の暮らしに不満を覚え、義勇軍に参加し軍隊復帰する。それを聞いたAはVの心が自分から離れてしまったとのを嘆き自殺する。今は天国で安らいでいるだろうと慰める共に、「誰が知るだろうか」と自問する。 ◆Aの兄嫁の妹キチィはVとの結婚を夢みていた。しかしVがAに恋してしまったので、地方地主リョーヴィンの求愛を受ける。 ◆Aの兄スティーヴァは妻を愛しているが、女遊びがやめられない。妻を愛することと、愛人を愛することは別の事だと信じている。スティーヴァの妻は半ばあきらめ、泣き寝入りの日々を送っている。 【感想】原作では恋のため不貞を犯し悲劇的な死を迎えたAと望まぬ結婚をしたが子供に恵まれ幸福に暮らすキティを対比して描く。そして不倫は罪だが、享楽にふける世間(貴族)にAを責めることができるのかを問う。表情や感情表現に乏しい女優のせいで物語は盛り上がりもなく、淡々と進む。AがVの子供を産み、Vが苦しんで自殺を図るなどの挿話を省略しているのも響いている。Vは真実の恋を見つけたと信じ、Aもそう信じた。二人は世間体を気にせず、自分達の気持ちに正直に生きようと誓った。恋の炎を燃え上がらせる二人。だがそれは様々な苦悩を生み出す源泉ともなった。やがて二人の心は離れ、Aは自殺、Vも戦場へ赴く。そういった壮大なドラマの一端しか窺えない。 
[DVD(字幕)] 5点(2011-09-23 16:11:22)
15.  バルカン超特急(1938) 《ネタバレ》 
冒頭のおもちゃのようなセットの町に口あんぐり。何もかもがユルイ。密室、鉄道、サスペンス、アクション、ラブコメ。道具立ては良いのだが、詰めが甘い。◆ホテルで小夜曲を歌う男が突然出てきた手によって絞殺された。あの歌は暗号だったのか?何故そんなまどろっこしいことをするのか?で、スパイの老嬢がその曲を覚えて、駄賃の小銭を投げる。殺されたのに気づけよな!翌日出発の駅で老嬢が娘に向かって、「私の茶色のバック知らない?」知るわけないよね。そして階上から老嬢めがけて植木鉢が落とされる。が手元が狂って、隣の娘の頭に激突。自分が狙われていることに気づかない老嬢。本当にスパイ?◆植木鉢の件から推察するに、敵は老嬢を拘束して尋問したいのではなく、ただ殺したいだけのようだ。それなのに随分と手の込んだことをする。同席の乗客を買収。ウエイトレスの一人は仲間。高名な医者も仲間。老嬢の身代わりを病人に化けて乗車させる。付添いの尼僧も仲間。娘が寝た隙をついて、老嬢を拉致、病人とすり替える。そんな面倒なことをしなくてもスパイ罪で逮捕するか、毒殺でもすれば済むものを。三流国の警察のやることはわかりませんね。◆娘と音楽家は列車の物置場で奇術師の男と対決する。倒した男を箱に閉じ込めたら消えてしまったが、どこに消えたのか?男はどうやって客車に戻ったのか。◆・尼僧の裏切りで敵の策略が明らかとなり、老嬢を取り戻してからもドタバタは続く。銃撃戦だが、敵は最終ターゲットである老嬢が逃げても追わない。撃たれて死んだと思ったのか。それでも銃撃戦を続けるのはなぜ?銃撃戦が始まっても逃げない運転手達。あーあ、結局殺されちゃった。◆外務省に着いた娘と音楽家。音楽のことはまかせてくれと言っていたのに旋律をすっかり忘れている男。旋律を弾く老嬢に出会うが、科の尉はどうやって早く戻ってくることができたのか。一方は鉄道、一方は徒歩だよな。◆いつも喧嘩ばかりしているダブル不倫カップル。男は死んでしまった。女のその後は描かれず。それにしても6週間の不倫旅行とは…。◆クリケットファンの二人の紳士。ロンドンに着いたら試合が中止。唖然とする二人。だが観客も唖然とする。登場人物が一体となって同じ方向を向き、勝利することでカタルシスを得る。なのにこの映画は最後まで登場人物場がばらばらの方向を向いている。おしゃれなコメディのつもりだろうか。
[DVD(字幕)] 6点(2011-01-18 01:05:40)(笑:2票)
16.  モダン・タイムス 《ネタバレ》 
アイデアの発端は、チャップリン(C)が、大恐慌により大量発生した失業者に同情したからだ。労働者階級出身で貧困裡に育ったCにとって労働者の困窮は他人事ではなかったろう。失業者が増えたのは機械化が進んだためと単純に考えたらしい。◆これだけ資本主義批判を全面に出せば、共産主義者と勘違いされるのも無理は無い。独や伊で上映禁止。単純作業のしすぎで病気になるなどの描写からは、資本主義の発達は人間を堕落させると考えていたようだ。工場長だけがのんびりとジグソーパズルで遊ぶ。デモ、ストライキは真面目に描かれる。浮浪娘の父は警官(国家権力)の発砲で死ぬ。Cは米国籍を申請せず、外国人である。当然当局の反発を買い、後の”追放”の遠因となった。◆過度なまでに機械化・自動化された工場の描写は時代を超えたインパクトがある。傑作とされる所以である。ただ何故ナット締めだけ自動化されていないのかという疑問があるが。◆昭和11年、時代はトーキーを過ぎてカラー時代。前作「街の灯」ではサウンド、本作では歌声を入れた。サイレントにこだわったのは、キャラである”浮浪者”がしゃべると生々しくなり、観客を現実に引き戻してしまうからだ。トーキーに対抗するためには、アイデアを満載して観客を飽きさせないことだ。前作から5年もかかったのはそのため。舞台時代から培ってきた芸の数々が惜しげもなく披露される。集大成といってもいいだろう。笑いと涙に社会風刺も加わり、映画としての完成度は高い。 ◆浮浪娘はたくましい。食べ物が無いと盗んで妹たちに食べさせる。父が死に、施設に収容されそうになるが、逃げだし、ダンスの仕事を見つける。独立心があり、労働者の希望の象徴として描かれる。◆浮浪者は真面目に働こうとするが、失敗の連続。それでも浮浪娘のために家を持とうと、くじけない。遂には職を得るが、浮浪娘が微罪で捕まりそうになり共に脱走。二人の気が合うのは、性格が似ているからだ。失敗しても笑いを忘れずにいれば、いつか明るい未来がやってくるさとあくまでも前向きな姿勢で終る。深みあるテーマにしては単純なラストだが、二人の歩みは軽やかで力強く、爽快感がある。単純さの中にこそ真実がある。Cの定番である”別れ”で終わらなかったのは、労働者に対するエールが強く込められているからだろう。”甘さ”を指摘するより、ヒューマニズムあふれる名作として讃えたい。
[ビデオ(字幕)] 8点(2010-12-13 02:16:06)
17.  街の灯(1931) 《ネタバレ》 
オープニングが出色。塑像のオープニングセレモニーの幕が開いたらFが寝ていて、早々に追い出される。これだけでFは浮浪者で、社会と関わりを持たず、社会にとって異物でしかないことがわかる。ただ歩いているだけで新聞売りの少年にからかわれる始末。◆そんなFが二人の人間を助ける。一人はお金持ちM。Mが自殺しようとしたのを偶然助けた。Mは酔ったときだけ彼を覚えていて、親友として扱い、金銭援助も惜しまない。だが素面では何も覚えていない。都合のいいときだけ良い顔をする世間を象徴するようだ。◆もう一人は盲目の花売り娘K。きっかけはKがFをお金持ちだと勘違いしたことから。Kが貧しく、祖母との二人暮らしだと知ったFは真面目に働いてお金を稼ぎ、生活の援助をしようとする。人間は頼られると期待に沿いたいと願うもの。まして美しい娘やである。ここでFと社会との関わりができる。だが元来不器用な彼は仕事が続かない。Mと再会して大金を貰いKに渡すが、警察には泥棒扱いされ逮捕される。◆【喜劇から感動へ】Fが刑務所を出てからはシリアス路線。Fはみすぼらしい身形で、顔に精気はなく、新聞売りの少年に対してもやり返せない。そこへ偶然Kと再会。Fは瞬時に理解する。目の手術が成功したことと、花の店を構えて成功していること。Kから目が離せないF。労苦は一瞬にして報われたのだ。Kは浮浪者に一目惚れされたと勘違いする。小銭を恵もうとして手に触れて、Fの正体を知る。名乗りを上げるF。真実を知ってショックを隠しきれないK。落ちぶれたFの姿はKにとって理解できないものだろう。しかしその優しい眼差しは隠されたFの真心と誠意を照らしだしているように見える。◆ちょっとして親切心がその人の人生を変えてしまうことがある。貧しい者が、より恵まれない人のために努力する姿は美しい。一方で「成功したのはお金持ちが気まぐれでくれたお金のお陰に過ぎない」という強烈な皮肉も籠められている。社会矛盾を鋭く衝いているのだ。「City Lights」=Lightは人間のこと。お互い支え合って(照らしあって)ささやかに生きている社会のこと。◆ご都合主義が目立つが、当時の映画としてはこんなもの。サイレントでは複雑な展開や心理描写など望めない。喜劇と感動を融合させ、単なる「喜劇王」から「天才チャップリン」へと変貌を遂げた記念碑的作品。
[ビデオ(字幕)] 7点(2010-08-02 15:52:40)
18.  西部戦線異状なし(1930) 《ネタバレ》 
◆1914年セルビアの18歳の愛国少年がオーストリア皇太子を暗殺。オーストリアはセルビアを懲らしめるために軍事行動を起こすが、安全保障条約の連鎖的発動により第一次世界大戦勃発。足かけ5年続き、戦死者900万人、非戦闘員死者1,000万人、負傷者2,200万人以上。スペイン風邪の猛威により漸く終結。ロシア革命の契機ともなった。驚くべきバタフライ・エフェクトだ。◆ライフル銃と機関銃の組織的運用で弾幕を避けるため西部戦線は塹壕戦となった。一進一退を繰り返す突撃戦。戦士達は射撃の前に生身の体を曝す。毒ガスも使われた。◆老教師は近代戦を知らない。若者の愛国心を鼓舞し「戦士になれ、英雄になれ」「死人は少し、勝利は今年中」などと煽る。若者の父親世代も無知である。◆「美化された戦争」しか知らない若者が、戦争の悲惨さをこれでもかと体験してゆく。気さくで心優しかった郵便夫が鬼軍曹に変身した。恐怖と食料不足と不潔さと落弾音による睡眠不足の地獄のような塹壕生活。親友が次々と死んでゆく。負傷して足を切断した友人が死に、その靴をもらった友人も死んでゆく。「死を初めて見た。生きているのはいいものだ。不思議なことを考えた。野原で遊んだこと。女の子のこと。地面から電気のようなものが伝わってきた」死に直面して初めて知る刀身のような生の実感。◆初めて人を殺した。夢中で刺したが、我に返ると敵兵は自分と変りのない善良そうな人間。「今は殺せない。さっきは敵だった。怖かったのだ、許してくれ。軍服を脱げば兄弟になれたのに」敵兵は苦しみながら死んでゆく。見守りながら、ただ許してくれと願うしかなかった。◆休暇で故郷に帰っても本当のことは言えない。大人達は戦争の実体を知らず、戦争を美化し、兵士を英雄視する。そこに語られるのは嘘ばかり。本音を語ったばかりに臆病者呼ばわりされる。休暇を切り上げ戦場へ戻る。そこでは少なくとも嘘はないからだ。軍に戻ると少年兵が入隊していた。敗戦が近いことを悟る。戦争で唯一得られたものは古参兵と友情だったが、その古参兵も死んでゆく。◆実家で見た蝶の標本。何も知らず遊びまわっていた子供時代の象徴だ。戦場にも蝶がいた。青年は感傷に浸り思わず手を伸ばす。次の瞬間一発の銃弾により命は潰えた。一個人にとって戦争は苦悩であり、苦痛であり、命がけのものだが、戦争を遂行する国家にとっては一個人の死など蝶の命ほどの軽さでしかない。
[DVD(吹替)] 9点(2010-06-25 18:05:20)
19.  スミス都へ行く 《ネタバレ》 
ジェームズ・スチュワートが若いのに驚きました!古い映画なので、よくわからないところがありますね。子供が議事堂で働いていたり、上院議員の秘書が一人だけだったり、議員が記者を殴っても問題にならなかったり、テイラーという一人の人間が全国のマスコミを牛耳れるのかとか、失われた大儀とは何とか。ラジオはそれなりに事実を放送していたようですが…。最初知事が上院議員後任にミラーの名前を出すと委員たちはテイラーの手下はだめだと猛反対する場面がありましたね。テイラーに反対する勢力も相当あるわけです。ところが後半では全員がテイラーの味方で、全然整合性がとれてない気がします。そもそも不正の内容がはっきりしない。建築予定のダム周辺の土地を買収しているのですが、それだけ?地味ですね。ダムは必要なものなの?テイラーの会社がダム建設を請け負うの?スミスの提案したキャンプ場とダムの土地がバッティングすることで事が動き出すのですが、キャンプ場の場所を変えればいいだけでは?ダム法案の審議はほぼ終了しているので、スミスもそれに反対はしないでしょう。反対しても多数決で押せるはずです。テイラーが何を慌てたのか、スミスを呼びつけて、子飼いにしようとするからややこしくなりました。スミスの汚職のでっちですが、あれは無理。買ってもない土地を買ったことにするのは無茶です。土地売買の日のスミスのアリバイはすぐ証明されるでしょう。大金ですから、お金のないスミスには無理ですね。あと細かいことですが、議会を放り出して、デート優先というのもどうかと。「純朴な青年が政治の不正を暴く」という構図はいいのですが、詰めが甘い印象です。 また自分で不正を見つけたり、闘争方法を考えるのではなく、すべて秘書に依存しきっているところが減点。演説がうまいだけじゃ、物足りません。知恵を見せて欲しかったです。鳩が出てきたとき、ぜったいに何かの伏線だと予想したのですがね。
[DVD(字幕)] 6点(2009-10-06 22:12:07)
20.  痴人の愛(1934) 《ネタバレ》 
フィリップはパリで画家を目指すが、先生から才能がないと言われる。先生いわく「この町は幻想に浮かれている」。全体のテーマだ。英国で医者をめざす。孤独で足に障害を持つ。ある日自由奔放な給仕ミルドレットを知り、惹かれてゆく。彼女は彼の足を見て鼻で笑うが、移り気な性格のせいか、デートの誘いを受ける。彼は勉強も手に付かないほど女に夢中になる。女の自由さに憧憬を感じ、軽快にダンスする自分の姿を夢見る。女はひつこくつきまとう彼をあざ笑うようにじらす。結婚を申し込むと、女は咄嗟に「別の男と結婚する」と嘘をつく。傷心のフィリップ。しかしノラという恋人ができ、心は癒される。ある日ミルドレットが現れ、妊娠して捨てられたと言う。彼女をまだ愛していたので、経済的に援助し、女は無事出産する。ノラとは別れる。だが女は男の友人と恋に落ちる。二度目の失恋。男は勉強に専念。やがて患者の娘サリーと恋仲になる。サリーはミルドレッドとは正反対の家庭的で賢女性タイプ。ようやく心の平穏が戻る。そこへまたミルドレッドの消息が。また捨てられた彼女は赤ん坊をダシにお金をせびる生活。捨ててはおけず、彼は女と赤ん坊を自分の部屋の一室に住まわせる。しおらしく感謝していた女だったが、彼の態度が冷たく、もう自分を愛していないと知ると変貌。怒りに狂い、部屋をめちゃくちゃにし、学費を燃やし、出奔する。学校を辞めた彼は部屋も追い出され途方に暮れる。サリーの父の恩情で、部屋と仕事を得る。叔父の遺産が入ると学校にもどり、無事卒業。この頃手術で足は治っていた。自由を渇望する彼は世界中を廻る汽船会社の医者の仕事に就く。泣くサリーを戻ってから結婚しようと慰める。ある日、ミルドレッドの消息を知る。瀕死運ばれ、赤ん坊は死んでいた。彼はサリーにすぐ結婚しようという。「自由になって初めて気づいた。今まで足だけでなく、あるものを引きずって生きていた。ある女性に夢中で盲目になっていた。それも終わり、僕の美しい人生はここにある」ハッピーエンドだが、女にとってはバッドエンド。自業自得とはいえ、好きでもない男に頼るしかなかった女の悲劇。二人の相性は悪いのに、運命のように何度も巡り会う。女は不幸をもたらす疫病神として描かれる。彼女の愚かさが全ての悲劇の原因と割り切っていいものだろうか?彼女は彼より孤独だったのではないか?
[DVD(字幕)] 7点(2009-05-04 07:24:07)
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