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空耳さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 181
性別 男性
自己紹介 「刑事コロンボ」旧作全作品批評終了。
「チャップリン長編映画(一時間を越える本人登場作品のみ)」全作品批評終了。
「名探偵コナン」映画……15作品のうち14作品終了。
「黒沢映画」……まだまだ

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1.  クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 《ネタバレ》 
「いい映画」だと聞かされて見るのと知らないで見るのとではまるで違う。「傑作」などという評判を知ってしまうと、期待してしまう分だけ要求が高くなって「なーんだそんなに大したことはないじゃん」となりがちだ。クレシン映画は「ロボ父ちゃん」が出色の出来だったので、あれを上回るのは難しかろうと思って一時間ほど冷静に見ていたが、突然始まるあのヒロシの回想場面に完全に打ちのめされてしまった……。  これは確かに郷愁だ。ただ郷愁というと「過ぎ去った昔を懐かしむ」「あの頃はいい時代だったと思う」ことになると思うが、個人的には時代なんてものは付属物にすぎず、郷愁の本質は「過ぎ去った命を懐かしむ」ことであると思っている。ヒロシの回想をみても自分が生きた時代への懐かしさというよりも自分が生きてたきた命の歴史それ自体を振り返る印象が強い。  人生の中盤を越えた(要するに中年です)人間なら多く感じているだろうが、私も徐々にではあるがしかし確実に強まってくる「命の短さ」「人間のはかなさ」つまりは「命への愛着」というか、「自分から息子へ伝わっていく命」というか、とにかく若い時代には頭ではわかっていても現実味がなかった感覚、そこにこの映画は訴えかけてくる。  悪役(とは言い切れないが)も最後までしっかり悪役を演じており、他のクレシン映画みたいにおチャラけすぎて緊張感をぶち壊していない。最後もしんちゃんのギャグを織りまぜながら感動的に締めくくっている。  それにしてもクレシン映画に10点つけるとは思わなかった…。やられた。  ただ……お子さまには理解できないんじゃないかこれ(笑)。  まぁいい。子供はいつか、大人になる。
[地上波(邦画)] 10点(2016-05-16 16:59:37)(良:1票)
2.  生きる 《ネタバレ》 
黒沢映画や日本映画という枠を越え、すべての映画の中で最高傑作を争える作品。「生と死」という重い厄介な主題と取り組んでここまで感動的な物語を作り出したことが何よりすばらしい。一つ一つの場面の何と痛烈なことか! 公園計画の邪魔をしたくせにいざ公園が完成すると手柄を横取りする助役が厭味たっぷりな演説をぶって一同お追随を打った直後のお焼香の場面、こんな強烈な皮肉が他にあるだろうか。役所の連中にひとかけらの良心でもあるのなら、強烈に自分を恥じるしかないではないか。また主人公がヒロインと最後の会食をする場面、「自分にも、何かできる。ただやる気になれば」と興奮しながら立ち去るところで「ハッピーバースデー」の歌が重なるところは何度見ても本気で泣けてきてしまう。主人公の「生きる」姿を祝福しているのである。誕生日の歌はこのすぐ後に役所の場面でも繰り返されて主人公の「生きる」姿を強調している。その直後に急転直下で通夜の場面になってしまう意外性、さらにその通夜の席で主人公の行動と「癌だったことを知っていたのかどうか」の真相が次第に明らかになり、主人公が残り少ない命を真に燃焼し尽くし、その死は無念な悲惨なものではなく満足した上での死であったことも明らかになる。何度も何度も取り直したという「馬鹿野郎!」「助役とはっきり言えよ!」という左卜全の痛烈なセリフがこちらの肺腑にまで届く。またその場面で終わらずに、所詮は皆の感動も酒の席の上での決意でしかなかったことを見せる場面があってから公園の場面で終わるのも深い見せ方だ。他にも胃袋のレントゲン写真からはじまる冒頭、無音の状態からいきなりクラクションの爆音が響く場面などなど、恐ろしいほど考え抜かれて書かれたシナリオであり、天才が全力投球するとこうなるのだと言わんばかりである。この素晴らしすぎる映画にあえて欠点を言うなら、やはり主人公が超人的すぎ、話が理想的に進みすぎることだろう。それととんでもない誤解を受けたからと言って息子に何も知らせず死んでいくのはやはりちょっと息子に気の毒な気がする。そういう部分はあるが、息子についてはともかく、主人公が超人的すぎ話が理想的すぎることについては「生きものの記録」「どですかでん」できちんと回答を出しているように思う。一つの金字塔であり、この作品がある限り自分が日本人であることに誇りが持てる。心から感謝したい。
[地上波(邦画)] 10点(2010-08-01 05:02:20)
3.  裸の銃を持つ男
10点つけるのはどうかと思ったんだけど、映画で一番笑ったのはこれなので敬意を評して。
[ビデオ(字幕)] 10点(2009-05-27 08:14:40)
4.  ライムライト 《ネタバレ》 
全編を流れるのは老いがもたらす悲哀である。かつてどんなに勢力を誇っても、老いからくる衰えはどうしようもない。必死で過去の栄光を取り戻そうとする主人公の芸人がチャップリン本人と重なって見えるのも自然なことだと思う。 が、考えてみると不思議だ。普通の老人ならともかく、チャップリンは世界の喜劇王ではないか。確かにアメリカを追放されるなど困難な時もあったが、それで没落して死んだわけではなし、金銭的にも名声も人からうらやましがられることはあっても、他人をうらやむ必要はない。悲嘆にくれる必要はないのだ。それにカルベロは年の若いヒロインとの結婚を最後まで拒絶して死んでいくが、チャップリン本人は何度も結婚・離婚を繰り返し、最後の妻は30歳ほども年下であった。だから同じ芸人でもカルベロはチャップリンとは似ても似つかないとすら言えるのである。 これはひょっとすると「仮定」なのかもしれない。現実のチャップリンは大成功をおさめ、世界の喜劇王となった。だがもし芸人として名前がそこそこ売れても、それだけだったとしたら……?  成功した途端周囲を見下し馬鹿にする人間がいる一方で、どんなに出世しても苦しく貧しかったときのことを忘れないという人もいる。現実のチャップリンと劇中のカルベロは正反対の境遇にあるが、チャップリンが重なって見えるのはチャップリンがもちろん後者に属していたからだろう。 本作でもっとも感動的な場面はヒロインが歩けるようになる場面である。もうとっくに怪我自体は治っているが、ヒロインには歩くだけの勇気がない。カルベロがいかに励まそうと心を閉ざしてしまっている。だが、あるときカルベロが珍しく失意のどん底に落ち、ヒロインは彼を何とか励まそうとする。いつもの役割が逆になるわけだ。そして心から相手を励まそうとしたときに、自分でも思いもしない力がわき出て、ふと気がつかないうちに歩けるようになる。もっとも力強い勇気は他人を思いやることによって生まれるものなのだと教えているのである。「I'm walking!!!!」の絶叫とともにこの場面は忘れられない。
[地上波(字幕)] 10点(2008-08-24 14:49:18)(良:1票)
5.  街の灯(1931) 《ネタバレ》 
この映画の主題はなんだろうか。はっきりとはわからないが、一つには人間の二面性を描きたかったのだと思う。例えばあの酔っぱらい紳士。酔っているときはチャーリーを恩人だと思い(実際恩人なのだが)金でもなんでも惜しまないくせに、シラフになると途端にチャーリーを忘れて追い出してしまう。そしてもちろん最後の場面、自分を助けてくれた親切なお金持ちが実は目の前の見すぼらしい小男だとわかって、ヒロインは「あなたなの……?」とつぶやく。いろいろ解釈が分かれる場面であるが、男の格好など一切かまわず抱きついて涙してもいいぐらいの場面であることを考えると、やはりヒロインはチャーリーに対して冷めてしまったのだと私は思う。結局はシラフになった紳士と同じなのである。チャーリーは人間の残酷さを知っている。だから正体を知られずに立ち去ろうとしたのだが、映画は二人を再会させる。 だから私はこの映画を悲劇であると見る。冒頭の演説の場面、ボクシングの場面など笑える場面が満載でありながらその笑いの中に人間の持つ歪んだ一面を描いたものであると見る。チャーリーの無償とも思える愛情と比べてその対比が余りにも見事なので、この映画は今後さらに年月が経過しても古くならないだろう。
[地上波(字幕)] 10点(2008-08-22 06:09:00)(良:4票)
6.  どですかでん 《ネタバレ》 
原作未見。期待して見始めたが、開始の音楽がなんか予想外に軽いし、いきなり「ナンミョーホーレンゲーキョー」ではじまってかなり泡食った。どうでもいいような話がいくつも続くし、初のカラー作品だからとは言うものの、あの赤と黄色の対比はどうもしっくり来なかった。貧乏って、もっとくすんだ色だろうに。正直、前半で一時鑑賞を中断した。 が、思いなおして見てみると、不思議に一つ一つの話にぐいぐい引きずり込まれるのだ。あえて言えば本作の主題は「人間の愚かさ」である。どれもこれも救いようがない話だし、機知に富んだ話もあることはあるが(劇薬を飲む話)、結局のところ語られるのは人間の愚かさであり無力さである。こうなった原因はなんだろう。貧乏か。社会か。差別か。いや、何が原因であれ、この愚かさもまた人間の本質なのだ。 ここには「生きる」や「赤ひげ」のような美しく感動的で力強い結末など存在しない。誰かがちょっと手を貸してやれば助かるような子供ですら実にあっけなく死んでしまう。妻が改心して戻った話も、夫が一つでも言葉をかけてやれれば妻は救われるのにそれができない。哀れである。その哀れな中に美しいものが見える瞬間がないでもない。例えばかつ子が酒屋の配達をする男との別れ際に「ごめんなさい」とつぶやくセリフ。この相手に全く届かない(すでに自転車で去ってしまっているから)セリフが、はかなくも美しい。悪妻を非難された男が憤る場面もそうだし、他人の子供だとわかっているのに「みんな父ちゃんの子供だ」とにこやかに宣言する父親の姿も美しい。が、よく考えるとこの美しささえ、愚かさと同居している。 話としてまとまっていないとは私は思わなかった。むしろ人間の醜悪さを描く上で、この形式は逆に効果的ではないだろうか。醜悪なまたは弱々しい人間が醜悪な事件を重ね、そしてどの話も救いらしい救いがないまま物語は進行する。母の信心にもかかわらず毎日毎日何も変わらず走り続ける六ちゃんの電車のように。 あと一つ気になったのは根岸明美の長ゼリフの場面、役者の動きといいセリフといいカメラの動きといい、映画よりも舞台くさく、しかも素人くさかった。 さらに死んでしまう子供はかわいいけどセリフが……。どうしてもしゃべらなければならない場面以外は、ただうなずくだけでもよかった気がする。
[DVD(邦画)] 10点(2008-08-13 08:46:49)(良:3票)
7.  赤ひげ 《ネタバレ》 
「生きる」の完璧すぎるほど完璧な出来ばえに比べればどうしても落ちるが、やはり満点。やや時間が長いし、前半の話にはやや助長なもの(特に佐八の話)もあったけれども、おとよの登場から俄然映画自体が変わってしまう。心を開きつつあるおとよが保本の看病をしている場面、ふと窓を開けると雪が降っていてそれに合わせて音楽が鳴り出すところ、この場面がとても感動的だ。おとよ役の二木てるみだけで十分すごいのだがさらに長坊役の頭師佳孝が加わってこの二人が本当にうまい。死にかけている長坊の魂を呼び戻そうとしておとよが井戸に向かって絶叫する場面、はらわたから絞り出すような「ちょぉぉぉぼぉぉぉぉ~~~」(活字にすると変だなぁ)という身も世もない叫び声が悲痛の極みだ。もちろん保本の徐々に成長していく姿もしっかりと描かれており、おしきせを初めて着る場面、自分の情けなさに涙する場面、いずれも印象に強く残る。ラストの「お許しが出たんですね」はそのセリフ自体がうまい。さらに音楽と相まってまさに大団円という感じで、長いけれども良質の映画をみた幸福感で満たされる。いい作品だ。それともう一つ、本作が「理想的すぎ」と思われる方は、ぜひ「どですかでん」を御覧あれ。
[ビデオ(邦画)] 10点(2008-08-08 04:38:25)
8.  トイ・ストーリー2 《ネタバレ》 
ピクサーって現代の黒澤組じゃないだろうかと私は勝手に思っている。それほどに彼らの作品は完成度が高く、すばらしい感動を与えてくれる。このトイ・ストーリー2はピクサー作品の中でもとりわけ出来がよく、すばらしすぎてかえって書くことがないのだが、とりわけジェシーの歌には絶句するしかなく、涙が止まらない。これは単に捨てられるオモチャの歌ではない。人間の根源の悲しみの一つにふれた歌であり、この歌一つでこの作品は不滅であるとすら言いたい。
[DVD(字幕)] 10点(2008-08-08 04:03:39)
9.  M3GAN ミーガン 《ネタバレ》 
面白かった。この手のものは大体「最後はロボットが暴走して終わり」と相場が決まっていて、この作品もその通りだったのだがそれにもかかわらず楽しめた。しかも「怖い」一点張りではなく、特にお披露目のときに泣きだしたケイティに対するミーガンの対応は圧巻で、ホラー映画であることを忘れてしまうほど感動的だ。だがこの後物語はホラー調を強め、ケイティを守るためとは言え凄まじい殺戮が始まる。ミーガンを地面に叩きつけ馬乗りになり「お前、ミーガンをレイ○する気かよ!」と焦らせたあの超クソガキを成敗する場面での立ち上がり方や四つんばいで走るところ(同じく少女型AIロボットを主人公とした「わたしはあい」という漫画に同じような描写がある!)など実に不気味だ(でもスカッとした人も多かったはず:汗)。だが終盤は少し暴走に歯止めがきかなくなりすぎた感じで、エレベーターでの殺戮などやりすぎのようにも思われた(ケイティに関係ない‥‥よね?)。最後の最後まで見応えがあったがこれぐらいよい出来ならば次回作は「最後に暴走して終わり」という毎度毎度のオチ自体をぶち破るような斬新な作品を期待したい。あと「21世紀」にしては少々進みすぎた技術であるようにも思われたが、さて‥‥。あとね‥‥どうでもいいけどなぜ柵が壊れたままで犬が通れるようになってるの? あれ直しておけばケイティも噛まれなかったし、つまり犬もおばはんも死ななくて済んだよね? 
[インターネット(字幕)] 9点(2024-02-01 23:54:13)
10.  アース 《ネタバレ》 
小学校低学年~ぐらいの子供と一緒に鑑賞するのにこれ以上のものはない。もちろんこれは繰り返してみるものであって、一度だけではもったいない。動物の名前や生態を覚え込むぐらい繰り返し見れば、理科の点数も上がる(保証しないけど)。「アリのままに生きる」という下品な映画など、絶対見せない方がよい。ま、子供に「つまらん」と言われれば、それだけだけど。
[インターネット(吹替)] 9点(2022-09-10 04:09:11)
11.  KUBO/クボ 二本の弦の秘密 《ネタバレ》 
大変美しい映画。親子愛(特に母が子を思う気持ち)のようなものが大変強く伝わってきて、ところどころ涙なしには見られなかった。ただ「クボ」はどうしても名字なので、子供の名前としては変に感じてしまう。スタッフに日本語のできる人はいなかったのか? それと月の帝が実は善良な村の老人であった(しかも村人たちがその存在を記憶していた)というのは伏線も何もなく唐突すぎて意味がわからない。彼らの一族(?)はかぐや姫でいう月の人間のような、地上とは隔絶した存在ではなかったのか。父母は死んでしまったので、普通に考えればこの後クボはこの老人と生きていくことになるだろうなどという考えがよぎったりするとさらに違和感が増す。最後の灯籠流しは感動的だがみせ方にもう少し工夫があるとよかった。子供よりも親に受ける映画だと思う。
[インターネット(字幕)] 9点(2021-05-14 15:48:39)
12.  チャップリンの殺人狂時代 《ネタバレ》 
かつて魔女狩りというものがあったが、あれは単なる迷信ではなかった。魔女狩りで始末される犠牲者たち(女性だけでなく男性も多く処刑された)の財産を誰がどう分けるかが、一番肝心なことだったのだ。要するに魔女狩りは迷信に名を借りたありえないほど悪質な財産略奪の手口だったと言える。これは現代の戦争にも通じる。「戦争で得をする連中」がいるから戦争が起きるのである。要するに戦争はビジネスであり、大勢の人が死ぬことによって大儲けする人間が存在する(特にアメリカには)のだ。チャップリンはそれがわかっていたから、それを大衆に伝えたかったからこの映画を作ったのである。冷酷な殺人鬼が「大量殺人者としては、私などアマチュアだ」「殺人はビジネス、小さい規模では上手くいかない」と言うのはもちろん自分の殺人を言い訳しているのではない。これ以上ないほど簡潔に鋭く戦争の真実をついた指摘をしているだけであり、だからアメリカの武器商人たちは本気でチャップリンに怒った。上映反対の運動は過熱し、映画の興行成績もチャップリン作品の最低となった。アメリカ追放はこの5年後である。チャップリンがこの作品を「自分の最高傑作」と呼んだのにはそうした背景もあったろうと思う。その辺の背景や戦争の本質がわかっていないと、よくわからない映画だということになってしまうだろう。
[DVD(字幕)] 9点(2010-07-17 08:31:19)
13.  チャップリンの独裁者 《ネタバレ》 
チャップリンはヒトラーと同年同月生まれで(4日しか誕生日が違わない)身長までほぼ同じだったという。本人に扮するというアイディアはそこから出てきたのかどうか知らないが、床屋との一人二役というアイディアは秀逸である。さすがにチャップリンだから笑わせる場面が多くて、いきなり敵陣に一人で侵入してしまう場面、飛行機で水を飲むシーン、デタラメなドイツ語の演説(笑)、ハンガリー舞曲第五番などなど思い返すだけでも笑える。かなり肥満した部下やこれまたお調子もののムッソリーニ(ナパローニ)と合わせてコントばかりなのだが、冷酷な部下(ゲッベルスがモデルだろう)の存在がうまく引き締めている。 が、もちろん本作は単なるコメディではなく、いささかその後の展開を考えると物語的には破綻していると思われる最後の演説が核心となる。どうしてもチャップリンはああいいたかったのだ。全世界に向かって。そして母に向かって(ハンナはチャップリンの母の名前である)。そのメッセージは極めて率直でわかりやすいので、それをどう受け取るかは、あえて論評する必要はないだろう。……ただ、チャップリン亡き後数十年経過した2010年現在いまだ世界は悲惨である。インドや中国など内面に大きな問題を抱えた国が勃興しているのはよいことでは全くない。なぜならどこかで決着をつけねばならず、その決着には流血も予想されるからだ。またルワンダ虐殺をみてもいかに我々が白人中心の人種差別から逃れられないかがよくわかる。安っぽいヒューマニズムで満足することは、もはや我々には不可能なのだ。誤解のないように書いておくと、私はチャップリンが安っぽいと言っているのではない。それを我々が安っぽく解釈してはならぬと言いたいのだ。なおチャップリンは「もしナチスの実態を知っていれば、こんな作品は作らなかった」と言っているそうだが、それを差し引いてもこれをつくった勇気はやはり称賛に値すると思う。この作品以降、チャップリンはアメリカ追放までアメリカの一部の勢力ににらまれ続けることになる。追加:上記投稿からなんと12年が経過した(ここも長寿ですねほんと)。そして「2022年現在いまだ世界は悲惨である」と付け加えなければならない。露宇戦争(勝手に命名した)は戦火の止む気配がなく原発までもが攻撃の対象となる危険も出てきた。世界は二分され、10年前に「問題を抱えた国」と指摘したインドや中国はロシア側につき、このまま第三次世界大戦に突入するという意見すらある。国内もコロナで疲弊し、ロシア制裁からくる影響を受けじり貧となっている最中に元総理が凶弾に倒れ、その後で政治とカルトとのありえない関係が明るみとなり、移民が増え格差が広がり凶悪犯罪が増えつつある。日本は、世界は本当にどうなるのだろうか(2022年9月10日)。
[DVD(字幕)] 9点(2010-07-15 08:00:03)(良:1票)
14.  チャップリンの黄金狂時代 《ネタバレ》 
古さを忘れてしまうぐらい面白くできのいい映画。確かオリジナルに音楽を追加したバージョンもあったように思うが(私が子供のときテレビで放映されたときは、音楽+愛川欽也の語りつきだった)、そっちの方がにぎやかでずっと個人的には好きだ。DVDを入手したが音楽なしのオリジナル版だった。どこかで音楽つき版を入手できないもんだろうか? 有名な靴を食べる場面(「殺人博物館」というサイトによると遭難して人肉を食べたドナー隊の悲劇がもとになっているのではとのこと)や、飢えでチャップリンが鶏に見えてしまう場面、これは何らかの理由で断食・絶食した人じゃないと本当には理解できないんじゃないかと思う。ロールパンのダンスは動きといい顔の表情といい芸術作品と言っていい。音楽つきバージョンだと軽快な音楽が合わさってさらにすばらしい場面となる。小屋が落ちそうになる場面も印象に残る(ここも音楽つきの方がずっと効果的だったと思うが)。一方、ヒロインとの恋物語はさほど濃厚に描かれず、一方的なチャップリンの片思いにも見え、最後いきなりハッピーエンドになってしまう感じなのがちょっと強引に思えた。大金持ちになったチャップリンが貧乏根性丸出しで「まだ吸える」とばかりにシケモク(吸殻)を拾う場面が笑わせてくれる。金持ちになってもそう簡単に習性は変わるものじゃないし、また変わらない方がいい習性もあるのだ。恐らく現実のチャップリンもそうだったんだろう。いやシケモクは拾わないだろうが、苦しかった時代のことを片時も忘れたことはあるまい……。
[地上波(吹替)] 9点(2010-07-15 07:18:52)
15.  チャップリンのニューヨークの王様 《ネタバレ》 
黒沢ですらも老いて無残な映画を残したが、チャップリンには老いはなかったことの見事な証明。いわゆる「チャーリー」ではなく、スクリーンに写る姿は老いたチャップリンそのものだが、精神は断じて老いてはいない(相変わらず女好きでもある:笑)。ユーモアを交えながらも痛烈にアメリカを皮肉っているのがまさに「王様」の貫祿だ。なるほどこの映画がアメリカで10数年の間公開できなかったのも頷ける。なお本作は当時のアメリカの状況がわからないと意味がわからないので、赤狩りやチャップリンがアメリカを追放された歴史について少しでも知っておくべきことは、言うまでもない。それにしても病めるアメリカの姿は、ついに飛行機による自爆テロまで引き起こした。あれをチャップリンが見ていたらどう思っただろうか。
[ビデオ(字幕)] 9点(2009-05-25 10:25:42)
16.  レミーのおいしいレストラン 《ネタバレ》 
まさかレミーの正体が評論家に明かされるとは思わなかった。だが考えてみると、この映画の主題は「料理は誰にでもできる」なのだ。どんなに無理な、突拍子もない夢だって、「お前が? そんなの無理無理~~」と言われる夢だって、絶対叶わないなんて言えないんだよ、と言ってるのがこの映画なのだ。よりによって、不潔なドブネズミがフランス料理のシェフになりたいなんて、ありえなさすぎる(笑)。このありえなさすぎってところが効果的にこの映画に笑いをもたらしているのだが、とにかくこれに比べれば大抵の夢なんてずっと現実味があるってもんじゃないだろうか?  そして「どんな無理と思える夢だって、無理じゃないかもしれない」というためには、やはりレミー本人が評論家に堂々と認められないと説得力がなくなってしまう。フランス1の辛口評論家を実力で納得させるのは、リングイニではだめなのだ。それでは焦点がぼけてしまう。だからあんな展開になったのだろう。 普通は映画にせよ小説にせよ、作者の言いたいことというのは話の中に自然に折り込むのが常套手段だと思うが、本作品ではそれが非常に分かりやすい形で(イーゴの評論文)最後に語られる。やや説教臭くなってしまうけど、この不思議な突拍子もない物語をきちんとまとめてみせる効果があったと思う。 ラタトゥーユに感動する場面も効果的だ。が、日本人なら漫画雑誌等でこれよりもずっと凄い表現を多々目にすることも事実(特にワインのあの漫画)。だが「たかがワイン1本でお前妄想が激しすぎやしないか」と漫画にツッコミを入れたくなる自分にとっては、この程度ぐらいでちょうどよい。 賛否両論あるようだが、個人的には実に不思議な感動を味わえた。さすがピクサー。
[DVD(字幕)] 9点(2009-01-20 07:45:22)
17.  隠し砦の三悪人 《ネタバレ》 
内容は確かに重いものじゃないが、こんなに痛快でハラハラドキドキさせてカッコよくてスカッとする映画もないだろう。馬上の三船が雄叫びを上げて「八双の構え」で突き進む有名な場面、ビデオで見てすらド迫力なんだから、スクリーンだったら全身鳥肌が立ったんじゃなかろうかと思う。確かに聞き取りにくいセリフがちらほらあるが、一度何言ってるか理解すれば次からは問題ないのでそんなにひどい傷とは思わない(DVDには日本語字幕があるので、この問題は解決済みだと思う)。雪姫もりりしく、美しい。リメイク? 悪いけど、見る気にもなれない。
[ビデオ(邦画)] 9点(2008-08-08 04:18:25)
18.  東京物語 《ネタバレ》 
この年になって人生で初の小津作品の鑑賞だったと付け加えておく。そしてとても複雑な気持ちにさせられた。画面はとても美しく、詩的であるとすら思えたが、話の頂点がどうにもこうにも心にひっかかってならなかった。一応「8点」をつけてはいるが、正直何点をつけたらよいのかよくわからない。 年老いた両親は子供にとっては厄介者になっていた。親への愛情がないわけではないのだが(後に長女は母の容態をきいて慟哭している)、特に物語の前半では長男長女は露骨に親を邪魔者扱いする。哀れな両親はあちこち追い立てられる。だが次男の嫁の紀子だけは義理の両親にかいがいしく接する。最後に父が「自分の子供より、いわば他人のあんたの方が、余程よくしてくれた」と感嘆するぐらいに、である。だがそう言われた紀子は激しく泣き出す。しかもその涙はその賛辞に対する感涙では全くなく、自分の中の矛盾をずばりと指摘されたような罪悪感を伴った涙なのである。これがなんともこちらの心を複雑にさせた。 なぜ紀子は自分を「ずるい」というのだろうか? 恐らくは本音の部分でもう夫を忘れつつあり、新しい人生を歩みたいと漠然と思っているのに、その本心を隠しながら亡き夫の両親に尽くす自分の矛盾をわかっていて「ずるい」と言っているのだろう。本心を隠して両親をもてなしたのはいわば演技であり芝居である。今風に言えばいい子ぶりでありご機嫌とりである。少なくとも紀子自身は自分をそんなふうに思っている。だからそんな自分の「ずるい」親切をありがたがって心の底から自分の幸せを願ってくれる父親の言葉に耐えきれずに泣いたのだろう。‥‥とまぁそんなふうな解釈は一応成り立つと思うのだが、根本的な疑問として「どうしてそこまでしなければならないのか」という考えが自分から消えない。 「古き良き日本人を描いたものだ」という意見もあるが、その割には特に長女は繊細さのかけらもないような人物として描かれていて、対比させる意味だとしても極端すぎる。さらに紀子は長男長女を非難する末娘には「嫌だけど仕方がないこと」といって二人をかばうのである。しかも「自分も二人と同じ」とまで付け加えている。義理の両親にあれだけ尽くしたのに、邪険にした長男長女と自分は同じだと言っていることになる。余りにも八方美人すぎるとは言えないだろうか。「昔の古き良き日本人」は、果たして本当にこんな姿なのだろうか。仮にこの作品の数十年後を想像してみると、「何かを待っている」とはいうものの紀子は年老いるまで結局再婚はせず、寂しい心のまま笑みを絶やさず慎ましく、それでいて内心そういう自分に本当は腹を立てているという姿が想像される。もしそうならそれは余りにも鬱屈した人生だし、救いがなさすぎる。それとも形見の時計に紀子は何かを誓って生まれ変わることができたのだろうか。そう解釈する向きもあるようだが、私にはそう断定できる根拠は感じられなかった。 「そもそも主人公は老夫婦であり、紀子ではない」のだろうか。視点を老夫婦に移してみると、彼らこそ心穏やかな人格者であり、長男長女についても立腹するわけでもなく「すべてをそのまま受け入れる」達観した感がある。特に父は苦楽を共にした妻の死にもまるで動揺せず涙一つ見せず(悲しくないわけではないと思う)「もっとやさしくしてやればよかった」とつぶやく。こちらの方がまだ「昔の古きよき日本人」と言われれば納得できるかもしれない。実際家族の死などは、結局のところ受け入れるしかないことが多いからだ。だが正直、行き過ぎている感は拭えない。何年も経過した後ならともかく、亡くなるということを聞かされた直後に「そうか、もういかんのか」と淡々と語るのは並の達観ではない。普通なら絶句するとか、涙を堪えるとか、そういう姿を見せるものではなかろうか(それまで死ぬということは予想もしていなかったことがセリフから伺えるので、余計そう思われる)。紀子ともども、ありえないような作り物のような人物だなという印象が拭えない。そう考えると詩的に思えた人物の撮り方(常に人物が正面で語りかけるような撮り方)も、さらに「作り物じみた」錯覚を起こさせる。 年老いた親とそれぞれの人生を歩む子のどうしようもない亀裂が見る人の心を打つのだろうか。だがそれを描きたいのなら紀子は不要だ。両親を邪険にする長男長女とそれに憤る末娘だけが出てくればいい。紀子が出てくる以上、紀子はこの映画が描く人間関係において救世主的な、ある意味人間愛の権化のように描かれなければならないはずなのに、そしてその通りの行動を紀子は示して父を感嘆させているのに、肝心の本人がそれを「ずるい」と言っているのはどうにもこうにもこちらを当惑させる。すべては見るものが想像するしかないのだろうか……。(セリフ引用はすべて趣意)
[インターネット(邦画)] 8点(2024-08-16 16:34:40)
19.  ファースト・マン 《ネタバレ》 
人類史上かなり大きな出来事を可能な限り思い入れを排除して色をつけず淡々と描いた作品。一言でいうと地味だがそれがよい。 一つにはいわゆる「宇宙もの映画」というと大抵の場合遊園地の絶叫もののような恐怖を観客に与えるのが使命というかお約束的なところがあって、それにいろいろと「争い」「葛藤」など緊張感を高める要素がありつつも結局「感動的な」結末にたどり着くというのが常態化しているので、このように淡々と描かれていると却って新鮮な感じがするし、あくまで事実を下敷きにした物語としても真実味が増す(どれぐらい史実に近いのかは調べてみないと判定できないけれども)。主役の表情を押し殺した演技もよい(仲間が亡くなった時ですら取り乱して叫んだりしない)。最後に二人が一言も会話せず終わるところもよい。山ほど語ることはあったろうに。……一つだけちょっとだけ気になったのは、火災の場面。最後爆発があるとき外からのカメラに変わって少し煙が出てくるという演出はアニメなどで余りにもよくみかけるため(タイム〇〇〇とか)ちょっと気になった。船内で爆発して終わった方がよかった(と思うが、アメリカ人がタイム〇〇〇知ってるわけではなし……)。
[インターネット(吹替)] 8点(2022-09-10 03:09:44)
20.  トイ・ストーリー3 《ネタバレ》 
「最高傑作」「泣ける」という評判を耳にしつつ、公開から10年近くになってようやく見たわけだけれど、結論からいうと水準以上で面白いのはもちろんだけど、泣けるかと言われればそんなことはなかった。2のジェシーの歌などはいまだに見るたびに涙が出てくるのだが、あの歌のような強烈な印象は残らなかった。一つにはこれまで前二作においてアンディの人間性についてほとんど掘り下げられずにいたので、今回の描き方がちょっととってつけたような感じに思えたことがあるのかもしれない。さらに一番の疑問として、結局元凶はあの親玉一人の醜悪さであったわけで、正義感の塊のようなウッディたちなら逃げ出すことよりも「保育園のみんなを救うために」親玉を倒すことを考えるべきだったのではないか、ということがある。これは結構大きな疑問で、結局「個人」の所有物でいればその個人が成長してしまえば別れがきてしまうのだから、やはり保育園にいる方がオモチャにとっては幸福なことではないのかという疑問が捨てきれなくなる。そう思うとこの映画の結末はまた次の別れの予告になっているだけともとれるわけで、実は根本的解決にはなっていない(ジェシーはすでに女の子から捨てられる経験をしているわけだから、この子が大きくなったらまた捨てられるのではないかと思っているかもしれない)。最後の最後でウッディは「仲間といっしょにいること」を選択し自らアンディと別れたわけだが、やはりそれなら保育園に残っていてもよかったわけで、何のために家まで戻ってきたのかという疑問も出てくる。あのウッディのメモによって仲間の運命も一変してしまったが、みんなで話し合ってあの「作戦」を行ったのならともかく、ウッディ一人の咄嗟の独断であることも気になるし「俺たちはアンディのオモチャなんだ」と強硬に主張していたこととも矛盾するように思える。アンディがオモチャを捨ててしまうつもりだったのならともかく、一応は屋根裏に保管しウッディについては大学に連れていこうとすらしていたわけだから一方的な印象が拭えない。ウッディを譲る場面、あのときアンディは「ごめんね、このオモチャだけは譲れない。これは僕の親友なんだ。大学でも一緒にいたいんだよ」といってもよかったわけで、もしそう言ったらどうだっただろうか? 結局ウッディは(映画は)アンディよりも仲間を優先した。それが悪いとは言わない。しかしウッディはアンディの母のように、しばしの別れを選択することもできたはずだ。そうしなかったことに、若干の疑問は残らないでもない。……それとあと一つ、あの絶対絶命の場面、ウッディたちの覚悟は見事だった。あと「神さまー」というセリフ、あれには爆笑した。
[インターネット(吹替)] 8点(2019-08-14 07:34:47)
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