1. レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード
サンズ捜査官がときどきジャック・スパロウに見えるという不思議が起こってました。笑。製作年一緒だし、デップが混同してしまったとしても無理ないかも。ロドリゲスはやっぱりいいですね。撃たれてふっとんでいく雑魚敵の皆さんに拍手を送ります。 [地上波(字幕)] 7点(2009-07-19 20:10:26) |
2. パンチドランク・ラブ
うーん、うーん、良かったとはいえない、でも嫌いじゃない。でもありえねーとも思う。でも否定はできない。 彼女役の人どこかで見たことあるなと思ったら、『アンジェラの灰』でお母さん役をやった人でした。 [地上波(字幕)] 6点(2009-07-19 19:49:19) |
3. スコルピオンの恋まじない
2本目のウディ・アレン映画。すごーく面白かったです。ウディの映画はもっと見たいなあ。 [地上波(字幕)] 7点(2009-07-19 19:38:07) |
4. キル・ビル Vol.1(日本版)
《ネタバレ》 大好きです。 レザボアドッグスはよかったけどパルプフィクションはちょっといまいちかな、と思って、自分の中のタラちゃん評価が微妙にはなっていたのですが、キル・ビル、超良いです。 好きなシーンはキル・ビルといえばあのシーンの(ベタです)オーレン・イシイを筆頭にゴーゴー、ソフィア、クレイジー88の皆さんが青葉屋の廊下を歩くところです。あの曲!ゴーゴーの顔!後ろでおらおら歩いている覆面男たち!(その中に田中要次さんを見つけ俄然上がる俺のテンション)もうかっこいいの一言です。 次点は冒頭のブライドの包丁ファイトシーン、それとソフィアの腕ぶった切られシーン2回目、です。 タラちゃんの好きなところは、痛いシーンはしっかりと痛いところ、ソフィアのあげる生理に訴えてくる「ぎゃああぁぁあああ!」ていう悲鳴がいいんです。見ていて辛い、でもそれがいい。 [地上波(字幕)] 9点(2009-07-19 19:33:14) |
5. 裸足の1500マイル
私はアボリジニーに対するオーストラリア政府の隔離政策を一応知識としては知ってた人です。(ちなみに何で知ったかというと、村上春樹著『シドニー!』でだったりする)この話はまあうまいことどちらも美化せず言い訳せず、判断はあくまで見た人に委ねるという態度がいいですね。 邦題に難ありかな。裸足じゃないじゃん!せっかくの中立的立場からちょこっと寄ってみましたみたいな。アボリジニの人々の、オーストラリアの人々の歴史を全く知らない人のための親切心なのかもしれませんが。まあ自分もほとんど知らないに等しいから偉そうなことはいえません。 [地上波(字幕)] 7点(2009-07-19 19:16:04) |
6. 宮廷料理人ヴァテール
フランス映画って感じでした。王をおもてなしするいろんな仕掛けがすごい凝ってて、もちろんCGに逃げないでやってて、映画ならではの贅沢を感じました。 国政の話しながら家臣の前でトイレする王様に(お尻はもちろんお付きの者が拭く)何かおおおと思ったです。 肝心の料理は....まだ手掴みで食べてた時代ですからね。ワイルドだった。 [地上波(字幕)] 7点(2009-07-19 18:18:48) |
7. トーク・トゥ・ハー
初見時はベニグノに全く不快感は覚えず普通に泣いて見てました。皆さんのレビューを読んでから2回目見ると、うーん、人々が「生理的に嫌い」というのもなんとなく分かったような気がします。ていうか嫌われるような書き方を監督はしてるわけですね。 [地上波(字幕)] 6点(2009-07-19 18:13:32) |
8. パッチギ!
《ネタバレ》 私は朝鮮半島と日本の歴史にうとく、作中のあのおじいさんの言葉のどれが事実で、どれが誤った歴史認識になるのか分かりません。ただそれが事実なのかどうかは、私はそれ程大事な事だとは思いません。事実と異なっているからといって、あのおじいさんの悲しみが癒えることはないからです。むしろそれを是認してしまったら、日本に原爆が落とされたから、太平洋戦争を終わらせることができた、というアメリカの主張を受け入れざるを得なくはなりませんか? ポイントは亡くなったチェドキの友人として、キョンジャが好きだという男の子として、彼らの仲間と兄弟杯を交わした者として、それでもおまえらにいてほしゅうない、出て行って下さい、と言われてしまい、葬式の席から立ち去る康介、彼に何を思うかそれだけです。このあと康介は鴨川の欄干で泣きながらギターを叩きつけ、投げ捨て、それが自分と彼らにとってある意味では何の助けにもならないという事を私達に訴えます。 朝鮮半島では他人がひいた線の為に、イムジン河の北と南で同じ民族が争わねばならない。ベトナムでは愚かな戦争が行われ、現代になっても国を変え戦争は続いている。黒人たちは人種差別に苦しみ、核や科学兵器にさらされた人たちは死と病の恐怖に直面しています。 でも結局康介にできたのはギターを叩き壊すという暴力でした。たとえそれが誰に向けられたものでもないにせよ、暴力には暴力での呪わしい鎖を断ち切れたわけではない。そう思うとやりきれません。 康介はこの暴力まみれの映画の中で一貫して暴力とは無縁の存在です。それは多分この映画を見る人たちに近いものとして設定されているからでしょう。その康介が初めてふるった暴力が、だからこそ私たちの心を揺さぶる、とも考えられます。戦争には戦争を、暴力には暴力をは、ある意味では真実だと思います。鴨川の決戦は両者痛み分けとして決着がつきました。暴力といっても、中性子爆弾を落とすだけが暴力ではない。人の心を揺さぶり動かす力、それもまた暴力の一つの側面だからです。 しかしここまで書いといて何ですがこの映画そのものには賛成しかねるんです私。特にラスト。子産まれたらそれでいいんかーいと思う。子が生まれて始まるぢごくもあります、よねえ。みんな多かれ少なかれ、生まれてきたことに悩み傷付き生きているわけですから。 [地上波(邦画)] 3点(2009-07-19 17:35:18) |