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1.  マンマ・ミーア! 《ネタバレ》 
評価8はガイドラインの「見た後、率直に面白かったぁ・・って言える作品。出来としては良い。」に添って評価しました。私のミュージカル映画の悪しきイメージを払拭してくれた映画でした。単純にシチュエーションもいいし、音楽もいいし、そしてダンスも良かったし、メリハリを感じました。劇団四季の「マンマ・ミーア!」も観たくなりました。行ってないですけどね・・・。こういうミュージカルなら大歓迎です。
[DVD(字幕)] 8点(2013-07-30 22:35:04)
2.  天使と悪魔 《ネタバレ》 
ロバート教授がカルロ氏から「神を信じますか?」と尋ねられるシーンがとても印象的でこのスタンスが基軸になっているように感じました。ロバート教授はその問いに対して「私が信じているのは、宗教が・・・」でセリフを遮られてしまっているがその続きの言葉が知りたい。そして再度カルロ氏から「人が神について語ったことではなく、神を信じますか?」と尋ねられる。そして「私は科学者です。頭で神を理解することは決してないでしょう」それに対し「心では」とまた切り返され「理解を超えた存在で、私が未だ授かってない贈り物です。」という答えが「神」という存在に対して信仰者であれ無信仰者であれ、科学者であれ万人が取るべきスタンスではないかと感じました。  ロバート教授は「神」という存在を信仰や信じる対象ではなく探求する対象として捉えているように思う。「神」のような存在を証明することも難しいがそれと同じぐらい無いという証明をするのも難しいて思います。  映画としてはイルミナティという言葉が出てきたり、バチカンの風習や仕来りが出てきたりとても興味深く鑑賞しました。結構人がバンバン死んだり、胸に焼印されたりキナ臭いシーンもあります。この映画は信仰の世界で起こったサスペンスという視点で鑑賞するのがベターだと思います。どうしても信仰がテーマになっているのでどのように転んでも賛否が出てしまうと思います。そのようなテーマに挑んだことを評価します。
[DVD(字幕)] 7点(2016-12-30 22:04:09)
3.  ギャング・オブ・ニューヨーク 《ネタバレ》 
ダニエル・デイ=ルイスの存在感が圧倒的でした。映画俳優としての格の違いというかこれ程感じた映画はあまり記憶にないぐらいです。映画の内容も去ることがらそのことが痛烈に残ってしまいました。扱っている題材がギャングの世界なので血生臭い闘争を描いてます。ニューヨークにかつてこのような歴史が実際にあったというのは驚きです。元来暴力的で血の出る映画は苦手なのですが、ダニエル・デイ=ルイスの演技に引き込まれました。キャメロン、デカちゃんなんか安っぽく見えちゃいました^^;
[DVD(吹替)] 6点(2012-06-22 16:38:44)
4.  インファナル・アフェア 《ネタバレ》 
「その深さ30cm」 見終わった後の率直な感想です。 この深さは物語の深度のことです。  何か脚本がいい、仏陀の教えが入ることによってグッと良くなっている・・・等々のレビューが散見します。 そのようなレビューを読んで、観たからか、とても浅薄な感じを受けてしまいました。  何がそうさせたのかというと、それは「結末」です。  「無間道」「インファナル・アフェア」という題材を扱ってしまったところが、まさに「無間道」にハマってしまっている・・・  釈尊は「無間道」ということを本質的にどう、説いていたのでしょうか?! そして、それを元に、どう生きるべきなのかを、問いていたのでしょうか?! ついつい、そこに思いを及ばせてしまいます。  確かに「生きる」ということは「地獄」なのかもしれなません。 しかし、釈尊は天国はどこにあるのかということを、どこでもなく、その人の中にあるとも説いています。 つまり、その人の思考や、行動で天国にも、地獄にもなるということです。  最後に生き残ったラウは、生きることに執着しました。 仕えていた、ボスを殺し、助けてくれた仲間も殺し、そして生き残ったのです。  改心したかに見えましたが、心根は「生きる」ことを何よりも優先した人物です。 その人物が生き残ったところで「無間道」と言われても腑に落ちない。  具体的に言うと、あのエンディングを見て、 「なるほど、そうか、そういうことだよな」 とはならなかったということです。  先に書きましたが、その人が生き様を地獄とするのか、天国にするのかは、その人自身によると釈尊は説いています。  ラウはそれだけ、生きることに執着をしていました。 生き残った段階で、ラウから「シメシメ」というフィールングが伝わって来るわけです。  むしろ、ヤンが生き残れば、なにか「生きる」ことへの葛藤が伝わって来たなぁ・・・と率直に感じました。 なので、とっても浅薄で、その深さ30cmぐらいかなぁと感じたわけです。  釈尊好きなので、なおさらそう感じてしまったのかもしれません。  釈尊の哲学というか、真理とでも言うべき教えは、3000年経った今でも生き続けています。  これは、成熟させ、洗練させるには、10年や20年ではどうにもならない深遠さがあるわけです。 いわば、シンプルでありながら、底が見えない深さがあるわけです。  それを何か、片鱗でも伝えられるメッセージを感じれれば、奥深さを感じたのではと思います。  しかし、ラウが生き残った時点で、それで「無間道」を伝えたの? という映画自体のテーマに、疑問を持つわけです。  サムの犬という時点で、生粋の悪なわけで、少々改心したようなパフォーマンスをしてみせたところで、説得力はありません。 出家して、仏門にでも入るという展開なら、また違ってましたが、人は口では、色々言えますからね。 まして、人殺ししちゃう人が何言っても、説得力はないわけです。  何か下心ありありで「チャンスをくれないか」という時点で、だめでしょ。 本当に改心する気があるなら、ヤンが言ったように「法廷」でしかるべきジャッジを受けるべきです。 その覚悟があれば、なるほど「改心」する気があるだ・・・ということが伝わってきます。  その「法廷」を逃れようとした段階で、深さ30cmになるわけです。  生きることに執着して、最後に生き残って「無間道」と言われてもね・・・ということです。 刑務所入って「無間道」となれば、別ですけど、堂々と警官として存在しているわけですから、それはラウにとって「天国」ですよ。  あのエンディングは、ラウにとって、最高のハッピーエンドであって、見てる方にとっては、なんとも釈然としない気持ちにさせるのではと思いました。  ヤンは、堅気に戻りたかったわけです。 そして、唯一自分の存在を証明出来る、ウォン警視を失います。 その中で、心の葛藤を持ちながら生きるのは、ヤンだとばっかり思っていました。  どちらかが死ぬのではなく、どっちも生きれば「無間道」になったかもしれませんね。  物語自体は、引き込まれるし、展開もいいし、サスペンスの緊張感もあるので、もったいないです。  しかし、釈尊の「教え」を中途半端に取り入れてしまったところが、残念さを倍増させていると感じました。
[DVD(吹替)] 5点(2021-01-07 13:33:31)
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