1. 黄金バット(1966)
ネタバレ こういうものがあったのは知っていたが実際に見た覚えはない。 何で骸骨デザインなのかとは思うが、戦前以来の紙芝居のキャラクターだそうで今さら突っ込んでも仕方ない。ヒーローが変に自信家だとか悪役が殊更に下卑た言動なのも紙芝居から来ているのか。「われに成算あり」とかいう古風な物言いは格好いいといえなくもない。 内容的には宇宙人が地球の破壊を企むという大スケールの話になっている。この映画の黄金バットは古代文明に由来する存在とのことで、敵も宇宙人という設定なのでどれほど荒唐無稽でも勝手次第ではある。ミニチュアや特殊効果を使った結構大がかりな特撮映画で、街中に出現した敵の本拠地を東京タワーと並べて見せる場面もあった。 なお黄金バットが高笑いすると口が開いているように見えたのは細かい工夫かも知れない。同年のTV番組「ウルトラマン」(1966)でも最初はそのように作ったそうである。ちなみに敵の首領は4つの目が全部色違いのはずだが白黒映画なのでわからない。 物語としては地球の存亡をかけたスリリングな展開といえなくはないが、子ども向けに特化しているためか大人の立場ではあまり見どころがない。そういう点や劇伴音楽(菊池俊輔)の感じが東映特撮ヒーロー物を思わせるところがある。 登場人物では、人間側の主役は天体観測の若者かと思ったら実際ほとんど活躍しない(うるさいだけ)。本来は、観客(小学生男子)が自身を仮託するのはこの男だったのだろうが居場所がなくなっている。また千葉真一は出番が多いがドラマを担っている感じもない。ちなみに後のTV番組「キャプテンウルトラ」(1967)で主役になった中田博久氏もあまり存在感がなかった。 その他の人物としては博士の孫娘が極端に可愛らしい。この年齢で正規の研究所員ということは相当優秀な人物なのかと思わせる。小学生をこんな危ない目に遭わせるなと言いたくなる場面が多いが、危なくなって黄金バットを呼び出す役目らしいので危なくなるのは当然か。黄金バットもこの人を特別扱いしていたようで、最後に「別れの時が来た」とわざわざ告げて去ったところは少し切ない気分になった。全体の主役はあくまで黄金バットとして、人間側の主役(ヒロイン?)はこの孫娘だったとすればドラマ性が全くなかったわけでもない。 [インターネット(邦画)] 4点(2025-07-05 16:33:40) |
2. 月光仮面 絶海の死斗
ネタバレ TVシリーズ全130話のうち「どくろ仮面編」71話分の内容を、二部構成で映画化したうちの第二部ということになる。 もとのTVシリーズを圧縮したからか今回もなかなか意外な展開で、信用できる人間の範囲が狭まっていくのは危機感を高めているともいえる。敵の親玉の正体を終盤まで明かさないのは推理小説的な趣向かと思ったが、そもそも主人公が私立探偵であるからには単なるアクションヒーローでもなく、最初から探偵物として性格付けられた番組だったのかと今回やっと気づいた。 なおこの番組の標語は「憎むな、殺すな、赦しましょう」だそうだが、その割に月光仮面は拳銃の使用に躊躇がなく、また終盤の戦いでは善玉悪玉多数が派手な打ち合いをして死傷者が(少なくとも負傷者が)多数出たようで、敵の親玉も最後に破滅したので許されていないではないかと思わせる。ここは原作者の意図がよくわからなかった。 そのように腑に落ちない点もあるが結果的には悪くない印象で終わった。どうせ古い子ども番組だからと侮っていたが少し考えを改めた。 その他個別事項: ・爆弾の名前は新聞記事にも「H・Oジョー発爆弾」と書いてあったので、これが正式名称と思うしかないが結局意味不明である。開発者は「ゴジラ」(1954)のような末路でなくて幸いだった。 ・助手男女の漫才のようなやりとりは、大笑いというほどでもないが微妙に可笑しい。 ・前作で少年少女の楽団が演奏していたレストランがまた出ていた。今回のステージは男声コーラスグループで、曲目が童謡「七つの子」だったのが子ども番組らしい。ここはストーリーの進行とあまり関係ないようだがけっこう和まされる場面だった。 ・敵の親玉が、自分らにとっても博士は貴重なので心配するなとその娘にわざわざ言ったのは、悪人ながら普通に人情を解する発言のようで、意外に話の通じる相手かと思わせた。娘の人格を評価していたからかも知れない。 ・この「どくろ仮面編」では博士の娘がいわばヒロイン役のようで、主人公に対する目つきに好意が見えている。この人はもしかして月光仮面が誰なのか途中でわかっていたのかとも思ったが、ラストの台詞を聞くとそうでもなかったようで残念だった。あるいは薄々知っていて鎌をかけたのかとか変に深読みしてしまった。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-06-28 20:04:00) |
3. 月光仮面(1958)
ネタバレ TVシリーズ全130話のうち「どくろ仮面編」71話分の内容を、この「月光仮面」と「月光仮面 絶海の死斗」の二部構成で映画化したとのことである。 ヒーローというものに関する当時の感覚はわからないが、変身というより着替えただけのようなのはアメリカのスーパーマン(1938〜)のイメージか。特に超能力はないようだが神出鬼没で超人的な活躍を見せていて、かなり荒唐無稽だが痛快とはいえる。 この第一部では、序盤から悪人連中が正体を見せずに何気なく登場し、すでに劇中世界では敵勢力の浸透がかなり進んでいるとの印象を出している。うち空港と博士宅にいた悪人はわかりやすかったが、この第一部では正体を見せない敵の親玉が、序盤のうちから微妙な怪しさを出していたのは少し感心した(場面のつなぎ方、申し出の内容)。子ども番組の割に、説明しないで悟らせようとする場面が多い。 全体的にはわりと面白く見ていたが、ただし終盤で小学生女児が怖い目に遭わされる場面は大変よろしくない。きゃー助けてーというくらいならまだしも、本当に虐待されたかのようにギャーと泣くのでは悲惨すぎて聞いていられない。こんな場面をいつまでもやっていないで早くヒーローが助けに来いと思ったら、当の月光仮面はまだ外の土手道のようなところを走っていたりして遅い!!!と言いたくなる。結果的には少し遅れたことで次回につながる展開を作ったらしいが、これで印象が悪化したまま第一部が終わったのは残念だった。 その他個別事項: ・爆弾の名前は映像に「H・Oジョー発爆弾」と出るが、本来は「蒸発爆弾」だったのではないのか。空気がなくなるのは「ゴジラ」(1954)の酸素破壊剤に似た感じもあるが、名前からして「爆弾」なのはあからさまな危険物扱いで、ノーベル発明のダイナマイトを思わせる。 ・助手の男女は主にコメディ要員だったらしい。「カボ子」は北関東〜南東北あたりの出身か。 ・暗い窓に不気味な仮面が並んだ場面はなかなか怖かった。 ・少年少女の楽団が珍しいが、児童にこんな労働をさせていいのか。 ・爆弾の争奪戦では、取って逃げて取られて追う、という展開全体がラグビーのようで面白かった。 ・広々とした郊外の風景が見えていたが、これで意外に東京都区部だったりするかも知れない。驀進する蒸気機関車はなかなか迫力があった。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-06-28 19:59:19) |
4. 太陽の法 エル・カンターレへの道
ネタバレ 最近少し仏教関係の映画を見た流れでこれも見た。数十年間存在を知っていただけの新宗教だが、具体的に何を言っていたのか今回初めて聞いた。 世界観としては、この映画を見た限りではある程度の科学知識を前提に、既成宗教や各界著名人やオカルトも取り込んだ宇宙統一理論のようなものを作ろうとしたかに見える。壮大な宇宙の成り立ちから始めておいて、最後は現代日本の個々人にまでちゃんと話をつないでいた。 また信仰という面では、この映画を見た限りではわりと穏健なことを言っていたようである(一部論議を呼びそうだが)。ところどころでなかなかいい話と思わせるものもあり、ムー帝国の指導者が太陽について述べた場面などは少し感動した。 信者以外にとっては突っ込みどころも多いだろうが個人的に一つ思ったのは、大昔に地球へ移住者をよこしたという①「マゼラン星雲」、②「オリオン星座」、③「ペガサス」(ペガスス座?)に関して、①は大マゼラン雲か小マゼラン雲だとすれば実体のある天体だが、②③は星座の名前なので地球から見た場合の方向でしかなく、①と並列に名前を出すのは違和感がある。これが例えば地表から天球を眺めた感覚で①〜③を並べたとすると、宇宙空間を三次元でなく二次元的に捉えていたことになり、いわば天動説的な宇宙観ともいえる。こういうところは昭和のTVアニメ並みの発想かと思ったが、ただし映像の方では一応宇宙が三次元的に表現されていた。その他、elとかlaは定冠詞でないのかというのも気になったがあまり細かいことを言っても仕方ない。 評価は人によるだろうが、個人的には特にけなす理由もない(そもそも関わりがない)ので、ここは普通にSFファンタジーか何かを見たという想定で、昔のアニメ大作「地球へ・・・」(1980)と同じくらいの点数にしておく。これ以外を見る予定はない。 [インターネット(邦画)] 3点(2025-06-21 20:29:43) |
5. 親鸞 白い道
ネタバレ 明らかに初心者向けでない。当初はひたすらわけがわからないのでこんなのに付き合っていられない気もしたが、そのうち一般に知られた人物名も出てきて伝記との対照ができるようになる。 最初に京都での弾圧をイラストなどで見せた後、新潟県(頸城〜蒲原)→群馬県→茨城県下妻市小島?→同県笠間市稲田と移動し、栃木県真岡市高田に寺ができたところで終わりになる。回想場面では弾圧時の斬首風景のほか、法然上人への入門に先立ち京都六角堂に参籠した場面らしきもの???があった。かなり荒唐無稽な展開になっているところがある。 題名の「白い道」とは浄土教でいう「二河白道」のたとえの中にある、現世から浄土に向かう道に由来すると思われる。それだと真宗だけでなく、同じ浄土門の浄土宗・時宗などにも共通ということになるが、この映画での意味は主人公が言った「我が命を尽くすことのできる道」のことらしい。その道に立つのが「往生」であり、そこから新しい生き方が始まる(=終幕場面)とのことだった。観念的で、屁のようなものだとその辺の男に言われたのも仕方ないが、考え方感じ方は人それぞれなので当人が納得できるかが大事とはいえる。 なお主人公は来世を否定していたようで、専門用語風にいえば現生正定聚→命終往生ではなく現世往生を説いていたらしい。死後の世界に関知しないということで近代的解釈ではある。 社会的な面では、いわゆる反差別の立場から被差別者を登場させていたと思われる。うち全編を通じた重要人物の「犬神人」が終盤で問いかけた内容は、この時点の主人公にも答えが出せない問題だったようで、これを現代社会(または真宗教団?)に改めて問わねば済まないという趣旨の映画だったかも知れない。なお劇中なぜか唐突に「아이고」と叫ぶ人物が出ていたのは差別と関係あるか不明だった。 また反権力ということでは、世の中が権力者の欲と争いで動かされているという基本認識はいいとして、地方権力者が権謀術数の道具として念仏衆を利用したからこそ、真宗が関東で影響力を拡大できたように見えたのは皮肉に思われる。特に「真仏」という人物が、自ら権力者の手先になった結果として高田の寺を預かったという展開は、見る人によっては(高田派など)反発を覚えるのではと思った。 これを嫌った主人公が最後に一人で去ったのは「沙弥教信」(実在の人物)の例に倣ったようで、ここまで名前はずっと「善信」だったが、この後が本当の「親鸞」だという意味かも知れない。しかしここで本当にいなくなったとすると、まるで立派な寺を建てた地方権力者が現在の真宗教団の基を作ったように見えてしまうがそれでいいのか。あるいは実際に、現在の大教団の存在をこの映画が否定的に捉えていたのなら、かなり皮肉な映画を作ったものだということになる。ただしこの映画は「西本願寺・東本願寺」も後援していたのでどうなのかはわからない。 見る前は、どうせ作った本人のこだわりばかりで変な映画だろうと思っていたら結果的にはそれほどでもなかったが、しかし個人的にはどうせ葬式仏教徒なので関係ない。ちなみに脚本には微妙に裏日本への差別感情が見えた(暗い・寒い・ツツガムシ)。この映画自体が差別者だ。 [DVD(邦画)] 5点(2025-06-21 20:29:42) |
6. 日蓮
ネタバレ 「日蓮と蒙古大襲来」(1958)と同じ製作者による二度目の映画化である。前作と同じく安房での立教開宗から始まるが、ところどころに子役の出る過去の回想場面を入れ、最後は入寂までを扱うことで題名の人物の全生涯を紹介している。 前作のような大スペクタクルでもなくドラマが中心で、より一般向けらしく言動の過激さや、この人物に必須の奇跡・予言も控え目のようだった(ただし龍ノ口は派手)。超人でもなく一人の人間として戦った宗教者を表現しようとしたかも知れない。 また特徴的と思われたのは、いわば初恋の人(松坂慶子)が登場していたことで、これは原作がそうなっているらしい。役者の実年齢と無関係に少しお姉さんの立場だったようで、信徒らの受難で心が折れそうになった主人公をきつく励ましていた。 ところで全体構成を勝手に考えると次のように見える。 【一 希望】 立宗後、鎌倉での辻説法を中心に弟子や信徒を増やしていく。法華経の教えの何が人々を引き付けたのかこの映画でもわからなかったが、主人公は前作よりも人間味があり、普通に人格者であって好感が持たれた。微妙に可笑しい場面もある(丹波哲郎とサル)。 【二 逆境】 鎌倉政権への働きかけを開始したことで、各種の法難や流罪といった苦難が続く。その間には普通に幸せな場面もあった(池上季実子)が次第に殺伐とした雰囲気になり、主人公に共感できる場面もなくなっていく。 【三 晩年】 政治から離れて甲斐の身延山へ入ったが、文永・弘安の役は主人公の助力がなくとも日本が勝った(当然だ)。その後に信徒の受難に慟哭し逆上する場面があったが、個人的には全く共感できずに突き放した気分だった。 最後の場面(武蔵国池上)では後にいう「六老僧」に対し、日本中に法華経を広めるという夢の実現を託していた。しかし現代でも果たされていないその夢の実現は、この映画を見た全国の信徒に委ねられているという終幕だったと思われる。 前作のような愛国ヒーロー物語でもなくまともな宗教映画(宗教者の映画)だったようだが、やはり部外者にはついていきにくいところがある。途中まではなかなか面白いと思っていたが最終的には残念感があった。 その他雑事: ・天変地異の場面で、地震による山崩れや地割れは日本が沈没するかのような超迫力(誇大表現)だった。また凶兆たる彗星を人々が見ている場面があったが、「吾妻鏡」には実際に彗星が出たとの記事があるらしい。時期的にこの映画と合わないがハレー彗星も記録されているそうである(1222年)。 ・終盤の熱原法難の際、為政者を批判しているはずがまるで日本全部を呪詛しているかに見えたのは「保育園落ちた日本死ね」(2016年)に似ている。ここは主人公本人が悪鬼と化した印象だったがこんな演出でよかったのか。 ・佐渡でも撮影があったようで佐渡っぽい島影が見えていたが、有名な「波題目」は出なかった。現地では「梨ノ木地蔵」が映っていたようだが、こういう場での刃傷沙汰は(映画ロケで騒ぐのも)よろしくない。 [DVD(邦画)] 5点(2025-06-21 20:29:41) |
7. 続 親鸞
ネタバレ 吉川英治の小説を原作にした映画の続編である。最初に6分程度の「前篇解説」があるので、正・続というより全体を二分した前後編のうちの後編という扱いになる。今回は原作のうち「大盗篇」「恋愛篇」「同車篇」に相当する。 この後編では、恋心に悩む主人公がやっと法然上人に師事し、その教えのもとで僧侶として妻を持つことになる。そこまでで終わりなので、現代的にいえば自由恋愛を称揚する青春賛歌ではあるかも知れない。 しかしラストが変に宗教っぽい雰囲気で終わるので素直に喜べない。夫婦二人の朝食を前に主人公が面倒くさい話を始めたりするので、いいから早く飯を食えと言いたくなった。 また原作との関連ではどうも半端に終わった感がある。仮にこの後編も前編程度の長さだったとすれば、その後の念仏門への弾圧で主人公が流罪にされるところまでを扱うことで、これを機に広く地方へも布教しようという、主人公の生涯に関わる新しい希望を持たせることもできたはずである。ちなみに弾圧のきっかけを作った人物の名前(松虫、鈴虫)が、一部のキャスト情報には載っているが完成作には登場しないといったこともあり、実際そのような予定だったが短縮したかと思わせる。 また特にこのタイミングで切ったため、その後に大盗賊が改心する場面がなくなってしまい、いわゆる悪人正機の具体例を表現した場面が失われている。テーマを結婚に絞った形だが原作の映画化としては不足感があり、またそれならそもそも二部作にする必要もなかったのではと思った。長編小説の映画化は難しいということか。 以下個別事項: ・法然上人が口調と顔で圧倒的な説得力を出しているのはさすがと思った。ほかにも今でいう浄土宗の関係者が何人か出ている。なお「熊谷蓮生房」は平家物語でも知られた有名人である。 ・通報で駆けつけた六波羅の騎馬武者が速かった。ここは今でいえばジェット戦闘機が轟音とともに飛来したかのような印象だった。 ・最初から出ていた山伏は原作では最後に改心するので、途中で終わると出て来た意味がなかったことになるわけだが、実は三部作くらいで原作の最後までカバーする壮大な構想だったかと思ったりもした。そこまでやれば有名な河和田の唯円房も出て来る。 ・前編で大盗賊に誘拐された人物がその後に遊女になっていたのは、原作と違うが流れとしては自然であり、また前編序盤に出ていた遊女町との対比をなしている。この場面は、現代であれば社会悪の被害者を懐柔洗脳して問題が表面化しないようにしていると批判されかねないが、自分はそういうことは言わない。ラストではちゃんと元彼と一緒に念仏していた。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-06-14 21:31:55) |
8. 親鸞
ネタバレ 吉川英治の同名小説を原作にした映画で、同年の「続 親鸞」と合わせて前後編になっている。宗教がらみの映画だが真面目に見た。 原作全部を映画化したわけではなく、この映画では原作全体のうち「去来篇」と「女人篇」だけを扱っている。幼少時に比叡山に入った主人公が初めて山を下り、社会の実相に心痛めるとともに初めて女色に惑わされる話になっている。なお主人公が最初から「親鸞」と呼ばれているのは明らかに変だが映画なので仕方ない。 物語としては原作に沿った形で展開し、変えた点もあるがそれほど違和感はない。 この映画で感心したのは、主人公が極めて純粋で真正直な奴だったことである。その人格のまま妥協も逃げもせず、真正面から考えて悩んで突き詰めていった結果として一宗を興したというなら納得できなくもない。 また「最も苦しみ戦うのは女色を禁ずるの戒め」とのことで、まずはそこを何とかするのが若い主人公にとってのテーマになるが、それにしても純情な男女の様子には笑わされた。プレゼントの礼を言われた姫が恥ずかしがって隠れたとか、宮中でも臆することなく冷静で怜悧な主人公が、好きな女性のことになると理性を失って逃げ出すなども微笑ましい。恋慕の情という最大最強の悪魔が襲来して仏壇に縋ったところで、怪獣が出そうな音楽が流れたのは笑った(音楽:伊福部昭)。 原作の主人公はあまりに貴族的で秀才でご立派すぎて正直好きになれなかったが、この映画では若い頃の話ということもあって結構好感の持てる人物像だった。 以下個別事項: ・京都市左京区に「雲母坂」という場所があることを知った。ストリートビューで「親鸞聖人御旧跡」の石柱が見える。 ・映像面では、目隠しをした主人公が暗中で姫の姿だけを見た場面が印象的だった。背景で歌われていたのは鬼ごっこ用の歌ということだと思われる。 ・御所の歌会始で詠まれた歌が市中の流行り歌になっているというのは面白い。この場面は、主人公が後に布教のための田植え歌を作った話につながるのかも知れない(この映画には出ない)。 ・大盗賊の一党は悪人ではあるが簡単に人を殺すことはなかったようで、諸外国と違ってさすが日の本は仏法の国だと思わせる。 ・婆様が蛇に噛まれたのは映画独自の場面である。慕えば慕うほど仏が遠のいていく、という台詞は切実な感じを出していた。現代に人々を救う仏はあるのかと思うが、今では阿弥陀仏など大衆向けに作られた架空のキャラクターだという説もあり、そもそも何に救われるのかがわからなくなっている。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-06-14 21:31:54) |
9. 日蓮と蒙古大襲来
ネタバレ 題名の人物の生涯のうち、安房での立教開宗から元寇までを扱っている。冒頭説明には「歴史の事実から飛躍して自由に創作した」とあったが、実際はよく知られたエピソードを抜粋した感じになっていて、この人物の伝記としてはそれほど荒唐無稽でもないと思われる。主に元寇の部分で、主人公がわざわざ博多まで出向いていったこと、及び神風を吹かせたのが主人公だったことが飛躍+自由な創作ということかも知れない。 なお仏教映画なら白黒でもいいだろうと思うがカラー映画で、鎌倉武士の衣服や敵味方入り乱れる合戦場面がカラフルに見えた。鎌倉幕府の宏壮な御所も目を引いた。 主人公は個人的に馴染みがない人物だが、最初からやたら自信満々なのは引いてしまうものがある。親にも似ていない。 法華経の教えの何が人々を引き付けたのかこの映画ではわからなかったが、奇跡や予言でこの人物は本物だと思われたということはあるらしい。信者の病気が治るなど現世利益も期待されていたようだが、一方で主人公に仇なす人物が次々死んでいくのはやりすぎかと思った(これが常識なのか)。やたら災難が降りかかるのは、世俗的にいえば主に本人の言動のためだろうが、迫害されること自体が「法華経の行者」であることの証明というのはなかなかうまい説明だと思った。 歴史的な面では北条得宗家の専制体制が固まるとともに、得宗家の御内人が権勢を誇る様子が描写されている。また元寇では、元・高麗連合軍(むくりこくり)の非道の描写は控え目で、人の手に穴を開ける場面もなかったが、戦いになればちゃんと「てつはう」が爆発し、敵船団壊滅の場面もなかなかの大迫力だった。有名な竹崎季長がどこに出ていたかわからなかったが、戦にかける鎌倉武士の心意気は少し見えていた。 宗教関係の映画として見た場合、無関係者の立場としては共感できたともいえないが、要は冒頭の言葉に出ていた「熱烈な愛国の先覚者」による国防映画だったとすればわからなくはない。個人的には「日本海大海戦」(1969)を思い出したが、製作時期や名前の感じからすると(見たことはないが)「明治天皇と日露大戦争」(1957)のようなものかと思った。 以下は感動した台詞: ・比企大学(若侍の父)「他宗の一切を罵倒し、一天四海みな妙法に帰すべしとまで極言すれば、政事を司るわれらとしては、軽々にこれに賛同するわけにはいかん」…現代の一般論として、特定の主義主張により他者を罵倒し従えと迫るのでは社会の分断を生む恐れがあり、民主主義国の主権者としても賛同できない。 ・主人公「この大難に当たるには、およそ日本人(にっぽんじん)たるもの、一人残らず心を一にして、国を守らねばならん」…戦後でも、まだこんな台詞をあからさまに言える雰囲気があったらしいのが感動的だった。安全保障ではみなが一致できないと困る。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-06-14 21:31:53) |
10. 蹄の悪魔
ネタバレ ホラーとして怖くはないが教訓的なのは悪くない。自分のやれること・やりたいことは何をやってもいいと決めつけて恥じない連中に罰が下るのはいいことだ。 また突然アニメになるのも悪くない。お母さん鹿が泣いているなどアニメならではのことで哀れを誘う。実写の場面では木が2本立っているのがいい風景だった。 ところで細かく考えるとよくわからないところもある。序盤でいきなり①「狩りは過ち」という台詞が出るので狩猟全部を非難しているのかと思ったが、実際には②狩るにしても「森の掟」は守れということで、禁止の範囲に広狭の差があるように見える。 このうち①は、単に欧米流の「動物の権利」思想に迎合したようでもあるが、あるいはスリランカでは仏教徒が多数派とのことで、不殺生戒のようなものが共通認識として国民に行き渡っているのかも知れない。子ども時代の主人公が殺生をためらっていたのは、人には本来仏性が宿ることの表現だったとか。 また②に関してはそれと直接関係なく、森の中に昔からいる超越的な存在が決めたものだろうが、自然の世界も弱肉強食で殺生自体は常にあるわけなので、生命維持のための狩猟は人間にも認められて当然といえる。ただし人類の場合は生命維持に関わらない趣味的な殺生もありうるため、生物種の存続が危機にさらされないよう歯止めが設けられてきたということか。 現地の事情はよくわからないが、少なくともセイロン島の先住民は狩猟採集の民だったそうで、昔はここでいう「森の掟」を守って暮らしていたかも知れない。主人公は①人間世界の倫理など無視すれば済むと思っていたが、②人外のものが定めた法は仮借なく冷酷だったようで、これは伝統的な宗教道徳が力を失った現代でも、自然に宿る霊力はまだ侮れないというようでもある。 なお「ハンターの家系」というのが単一の家系なのか一族なのか不明だが、主人公の子孫に関していえば、息子を連れてこなかったことで負の連鎖が絶たれたかも知れない。骸骨の数からして主人公の先祖だけが死んできたわけでもないようで、狩猟を好むイギリス人の骨も多数あったとかいうなら面白いと思った。 ちなみに一般論として殺生はよろしくないが、人里にクマが出た場合は駆除もやむを得ない。近年ではクマが川を下ってどこまでも来て、市街地にまで入って来るのではたまったものでない。猟友会には感謝している。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-05-31 20:29:47) |
11. うらぼんえ
ネタバレ 芸能プロダクション「テロワール」が主催する「短編映画ワークショップ」で制作された映画である。他の短編も見たことがあるので見覚えのある役者が出ている。 題名は盆行事のことなので、物語としても死者と生者の関わりを扱っている。日本古来の祖霊信仰とは直接関係ないようだが、とりあえず死者も生者も安心できる結末だったらしい。終盤の逆転は驚くほどのものではないが悪くない。 素材からするとジャンルはホラーになるだろうが、実際それほど怖がらせる気はないらしい。当初からかすかな不穏さがあって「ちょっと怖いですよね」という台詞もあるが、全体としては微妙にユーモラスで若干の不思議感のある映画ができている。 ほか主人公が絵画教室の講師ということで、映像中の水彩画の色彩感が特徴的だった。また人物関係では序盤で「あさちゃん」の挙動が少し面白いので目を引いた。その他いろいろ考えて作ったところもあるようで、なかなか見ごたえのある佳作と思った。 以下ネタバレ: ・絵画教室の人々は、人気画家(加藤休ミ)のTシャツを着ているとかドローンを駆使するなど現世の動向をちゃんと追っている。けっこう楽しくやっていたようだが最後は主人公と一緒に行ったと思われる。 ・「ムカサリ絵馬」が物語にどう関係するかは少し考えさせられた。主人公の絵は単純に現実を描いただけで本来の意味からすると裏返しだが、「あさちゃん」の絵が自分と主人公を描いたとすれば死者同士ということにはなる。役者の年齢で20歳以上離れているので年の差婚かと思ったが、魂であれば見た目の年齢差などは関係なく、純粋な心の問題になるのかも知れない。 ・主人公の母親は他の人々と境遇が違っていたらしい。例えばよく言うように自害した人物は成仏できないとかいう事情があって、全部わかっていながら現世にとどまっていたということか。息子をいつまでも自分のもとに置きたい思いはあっただろうが、最後は嫁に息子を取られた形になったようで、全体的にはハッピーエンドでもこの人だけは寂しい結末だったかも知れない。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-17 20:58:23) |
12. I Just Wanted to See You ~誰かに見られている気がする~
ネタバレ 世評としては主人公が荷物を置いたまま去ったことが話題になっていたようだが、個人的には上戸彩の父親が犬というCMを思い出す映画だった。脚本・監督は日本で活動するイギリス人だそうである。 まず題名のうち日本語の副題のような部分は変だ。曖昧な「誰か」ではなく特定の不審者であり、また「気がする」どころか明らかにつきまとわれている。話しかけたりせず逃げて警察に通報するのが適切だ。 【1】また内容的には結局何が言いたいのかわからない。監督インタビューに書いてあることがテーマとすると主人公の心の問題ということになるが、しかし主人公本人がこれまで何を思って生きてきたのか想像させる描写は特になく、今回の行動も単に本人の直情的な性格(または映画的な作為)によるものでしかないようで、見る側として共感するところが全くない。短い映画なら短いなりにちゃんと中身を詰めておかないとスカスカの印象になるという例かと思った。 【2】それとは別に、そもそも不審者がかつて日本を去った理由が不自然である。手紙の文章は多少変な日本語ではあるが、この程度書けるなら「美幸」くらいは問題なく書けるだろうと思うと、日本人としては男に対する不信感しか生じない。要はいい加減な理由をつけて一度は逃げたが、今回また来て嘘くさい演出で母子を欺こうとしているのではないかと思わされる。 実際の経過がどうだったのかを適当に考えると、例えば外国人は日本で女性に不自由しないとの噂(むかし言われた「イエローキャブ」)を聞いた男が英語講師とかの名目で来日し、避妊の配慮もなくやりまくったため子ができてしまい、それで一時は父親気分になったが結局逃げたということではないか。母親役の実年齢からすると、17年前は20歳になるかならないかだろうから恨みも深いと思われる。 今回また来た理由に関しては、題名の英語部分を信じるなら単純に会いたかったからということになるが、実は自国で行き詰ったか何かの事情があって、改めて母子を食い物にするため来日したとも考えられる。よくいえば、そういう不埒な目的で来る外国人を戒める映画と取れなくもないが、悪くいえば、日本人はこの程度で簡単に騙せる連中という表現のようでもある。 もしかすると日本人を相当舐めてかかった映画でないのかと思ったが、しかし点数は一応良心的に、上記【1】を想定した数字にしておく。 [インターネット(邦画)] 2点(2025-05-17 20:58:22) |
13. 編集霊 deleted
ネタバレ 映画の編集作業に焦点を当てた業界ホラーで、「女優霊」(1995)以来の制作現場モノということらしい。ちなみに「録音霊」(2001)というのもあったが音楽業界の話だった。関係ないが「劇場霊」(2015)は演劇である。 登場人物は編集助手、アシスタントプロデューサー、俳優2人の若手が中心で、その他スタッフに編集霊本人も含めた全員が映画関係者だった。どの程度リアルか不明だがお仕事映画の雰囲気があり、「順撮り」「バレモノ」といった業界用語も紹介している。まめに差し入れするのも業界文化の一端か。さすがに枕営業の話はなかったらしい。 ホラーとしてはそれほど怖くないが特殊メイクや造形物の気色悪さはあり、また突然の音で笑わせる場面が多い。 題名の編集霊は、編集時に特定場面を削除した者(指示した者)の顔を削いでいたので編集霊というより削除霊かと思った。ビジュアルとして公開されている能面のような顔は実は表層で、その下に本当の顔があるということになっている。面が剥げるのと顔を削ぐのは相似関係のようだがちょっと意味不明で、これは何か本人のこだわりがあったと思われる。 また映画の台詞を言ったら消えたというのもちょっと意味不明だが、これは長い台詞を覚えて最後まで言うと助かるという意味か? 都市伝説によくある対抗手段として使えるものかも知れないが(口裂け女でいうポマードなど)覚えるのが大変そうではある。とりあえず編集助手の人が無事でよかった。 物語的には、前向きに仕事している若い連中にはなるべく死んでもらいたくないと思っていたが、結果的には一番軽薄そうな1人がやられてしまっていた。編集霊の望みが劇場公開だけなら観客に被害が及ぶとも限らないが、しかし現実問題として4人も死ねば公開困難であり、以後も関係者が死に続けることが考えられる。公開を安請け合いした男はどこまで生きていられるかわからないが、とりあえず編集助手の人が無事ならいいことにする。 全体的にちょっと意味不明な点もあるが、個人的には本来こういう気楽なホラーが好みなので悪い点数はつけられない(劇中映画も多分似たようなもの)。なお序盤の台詞で「レンタルDVDほぼ壊滅」で「配信」などに頼ると言っていたのは現在の実態のようで、確かに自分も映画を見るのはほとんど配信になっている。地元の映画館を応援しなければと思うがなかなか行けない。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-03 23:00:39) |
14. 黄龍の村
ネタバレ 登場人物が変に多いと思ったが初めからグループ分けはできている。村に来た連中は明らかにテンションの違う2組に分かれていたが、迎えた側でも1人だけ胸の谷間を見せないことで微妙な差をつけていた。 後半の戦いではあえて格闘戦のアクションにこだわったようで、こういうのを作りたい監督だったらしいと想像させる。全体的には展開の意外さが面白いだけのようでもあるが、さっさと死ねと思わせる連中が全部死滅したのは悪くなかった。 なお撮影場所は埼玉県秩父郡小鹿野町のあたりだったらしい。橋を渡って山道を行く隔絶山村のように見せておきながら、普通に舗装道路が通っていて「通学路につき最徐行」という看板が出ていたのがとぼけた感じだった(わざとか)。 その他雑事: ・監督インタビュー記事を読むと、日本にある謎の慣習をぶち壊したかった、というようなことが書かれていて、それが一応のテーマということになるらしい。しかし理不尽な因襲を憎む者は現代だけでなくいつの時代にもいたわけなので、自分らより上の年代層を見境なく害悪と捉えて敵に回さない方が無難と思うが、若者受けだけ狙った映画とすればそんなことはどうでもいいのか。ちなみに最近は「老害」だけでなく「若害」という言葉もできているようで、年代層による社会の分断が進んでいるらしい。 ・題名は結局意味不明だったが、監督によれば無意味であるから深読みするなとのことで、そこに突っ込んではならないことになっているようだった。突っ込めば突っ込めるが書かない。 ・ちゃんと血抜きをしていたのは少し感心した。そういう風習なのか。 [インターネット(邦画)] 3点(2025-05-03 23:00:37) |
15. 6時間 (2019)
ネタバレ 冒頭に映画学校のロゴが出る。日本国内では2020年の「なら国際映画祭」の学生映画部門で上映されているので学生が作ったものらしい。題名以外の文字情報は英語/ラテン文字で書かれて世界向けになっている。 最初に姉(レナ)が何を考えていたかはよくわからないが、一応の説明としてはスラブ人の慣習である「戦士の葬式」をすると死に対する姿勢が変化するという噂があり、これを信じて決行したことになっている。例えば姉は都会で働くビジネスパーソン(経営者?)で、さらなるステップアップを目指した自己改革の試みというようなことだったか。 しかし実際やってみたところがそういう結果というよりは、妹(字幕はオリガ、台詞では愛称のオーリャ)との人間関係が劇的に改善されて終わっただけに見える。これで所期目的が達成されたのかは不明だが、自分本位で人を振り回すタイプだったのを見直すきっかけにはなったかも知れない。個別の映像の意味も不明だが、例えば尿の温かさは生きている証拠、松の若木は新しい人生の始まりの象徴だったとか。 なおホテルで妹のいる部屋と隣室の窓を並べて見せていたのは少し面白かった。隣室の2人が姉妹の本来望まれる姿を表していたようでもある。 登場人物としては、姉は顔だけ見ると細身そうな感じだが、実は皮下脂肪が厚いようで寒さに強いのではと思った。ただ寒いは寒いだろうから腹を出して寝るなと言いたくはなる。また妹は、姉に名前を呼ばれて何!(Что! / Shto!)とドスのきいた声で答えたのは少し笑ったが、その後に眠れずそわそわしている姿は印象的だった。朝の場面では、姉をどつく前に一瞬溜めを作っていたのも面白かった。 ほか現地の風景はいい感じだった。土が凍っているというのはツンドラかと思わせるが、姉妹がいたホテルは首都中心部から南西100km程度の場所にあり、極北の地というわけでもなく大都市圏の郊外である。このHOTEL “PINE RIVER”は、現地語ではダーチャホテルという触れ込みなので、都市住民の別荘である「ダーチャ」の気分で泊まれるコテージということかも知れない。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-04-26 13:40:43) |
16. 6時間 (2015)
ネタバレ 南米チリの映画である。場所は首都サンティアゴで大都市らしい高層ビルも映る。原発事故の映画ということで、短時間だが派手な映像効果も入っていた。原発は首都のすぐ近くにあるという想定だったようだが、チリは幅が狭いので隣国も大変なことになりそうだ。 なお劇中ビデオ映像の右上に出ていたのは日付だろうが、26-04-13と27-03-15の二通りあるのは意味があったのかわからない。チリの習慣では日・月・年の順だとすると2013年または2015年の話ということか。 ドラマとしては、原発の爆発時刻が迫る中での人間模様と主人公の心境変化を描写していたらしい。しかし特に何ということもない話が延々と続き、しょうもない場面を背景音楽で盛り上げようとするのは冷める。また何かと唐突な展開で、特に瀕死だったはずの男がいきなり性暴力というのでは真面目に見るのがアホらしくなる(「恋空」の病人か)。そういうのはもういいから結末だけ見せろという気分だった。 そもそも基本設定からして適当な感じで、何をどうすればそういうことが起きるかまともに考えたのかも怪しい。印象が似たものとしては2014年公開の核実験の映画があるが、この映画では核実験と原発事故を区別する気がないようでもある。秒単位でカウントダウンしていたのは、6時間前の時点で秒単位の予測ができていたという意味なのか。 結果的に南米チリの映画を見たという意義はあったが、それ以外はほとんど得した気がしない映画だった。関係ないが「大阪最後の日」(2013)でも見た方がいい。 ちなみに実際はチリに原発はないらしい。今世紀初めに導入を検討したことがあったが、2011年の東京電力の原発事故を受けて国民の反発が高まった結果、2012年の世論調査では国民の84%が原発に反対という記事もあった。この映画もそのような世情を背景にした社会派的な意味があったと考えられなくはない。 [インターネット(字幕)] 3点(2025-04-26 13:40:42) |
17. 怪獣の日
ネタバレ YouTubeにもあるがU-NEXTで見た。世間ではシン・ゴジラとの関係で受け取られているようだが、単純に怪獣映画として見た場合に問題なのは、劇中政府にとって保管施設の建設に何の得があるのか不明なことである。また主人公が、怪獣であるからにはどういう危険があるかわからない、という点にひたすらこだわっていたのもあまり説得力がない。 しかし見ている側が頭の中で、怪獣→原発と完全に読み替えれば言いたいことはよくわかるので、要は怪獣映画の形を借りた社会批判の映画という方が実態に合っている。製作時点ではまだ2011年の原発事故が記憶に新しかっただろうから、こういう映画を作るのはけっこう度胸が必要だったのではないか。 この映画では「原発」を「怪獣」の姿にした上で、地方に突然降ってきた原発立地の話を海洋生物の漂着(ストランディングstranding)に喩えている。悪くないと思ったのは地元民の描写であって、突然国から押し付けられたことへの対応をめぐり、立場や考えは違ってもみなそれなりに地域社会のことを考えていたが、住民が何を言っても考えても結局は落ちるところに落ちるしかないという無力感も出していた。町長も気の毒な立場だったように見える。 また「建屋」という言葉が原発事故の報道でよく出ていたこともあり、個人的には単純に原発の新設を扱った話なのかと思っていたが、しかしU-NEXTの映画紹介を見て、なるほど高レベル放射性廃棄物の処分地選定でも今後こういうことがありうるわけだと気づかされた。候補地の皆さんは心してこの映画を見た方がいい(「100,000年後の安全」(2009)も見た方がいい)。 なお2025年の現在でいえば、地域環境への影響が懸念される大規模な再エネ発電施設(洋上風力含む)も同様ということになる。グローバルな社会正義が武器にされるのは困ったものだ。 [付記1]動物の死体は「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」第6条の2第1項の規定により市町村が運搬、処分しなければならない。怪獣ともなると劇中の町単独では厳しい負担だろうが、劇中政府はその費用について同法第22条などにより町を支援するわけでもなく、代わりに交付金(原発の立地交付金のようなもの)を餌にして迷惑(有害)施設を押し付けたらしい。いわゆる飴と鞭ということだ。 ちなみに、ただのクジラの場合なら2023年の大阪市による処理費用が8019万(海洋投棄)、2024年の大阪府の費用が1507万(埋設)という事例があるが、大阪市が高すぎだと批判されていた。 [付記2]単純に怪獣映画として見た場合、この映画の怪獣はクジラに手足がついたようなものだったらしいが、これは1954年のゴジラが「海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物」だという説明の「爬虫類」を「哺乳類」に変えたようでもある。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-04-19 12:55:17)(良:1票) |
18. 大怪獣のあとしまつ
ネタバレ 「怪獣の日」(2014)の前座として見たが、東宝のシン・ゴジラを茶化すために作ったような印象だった。日本人が知力と意思の力で災厄に立ち向かう真面目な話が嫌いらしい。 死体処理という発想自体は「ウルトラマン研究序説」(1991)の頃からあるが、そういう小ネタを長編映画にしようと誰も思わなかっただけと思われる。またそもそもシン・ゴジラのラストから直接思い付くことでもある。 内容的には安手の風刺と寒いギャグでまともに見る気が早々に失せる。政府閣僚のコメディは、舞台劇の観客ならともかく一般人には笑えない。「どですかでん」とは何のことかと思うが劇中群像の比喩か何かなのか(見たことがないので不明)。ウンコで笑うのは小学生、下ネタで喜ぶのは中高生だろうし、また政治を喜劇化して嘲笑するのは昭和(戦後)感覚の人々(どちらかというと高齢層)向けだろうから自分は対象範囲から外れるが、年齢層の上下幅が広いとはいえる。 また最後の締め方も呆れるしかない。謎は解明されたのだろうが、それまで展開していた人間ドラマらしきものの結末が見えない。「御武運を」というのも何の戦いなのか不明だが、次の第2弾でまたヒーローが臭いものを処理させられるという意味か。この監督の映画を見たことはなかったが今後も見ない。 なお公開後に、プロデューサーの「予想以上に伝わりませんでした」という言葉が世間で話題になっていたようで笑わされた。ノベライズを読めば映画を見なくてもわかるらしい。 その他雑記 ・劇中日本では2012年に国防軍が創設されて徴兵制も導入されていたようだが、一方の現実世界では近年のウクライナ情勢に対応して、ヨーロッパ諸国でも徴兵制(兵役)を復活させようとする動きがある。また中立と思わせておいて今さら軍事同盟に加わる国や、最近では基本法(憲法に相当)を改正してまで軍事費増額を図る国もあったりするが、劇中日本はそれよりはるかに先を行っていたことになる。 ・「国民の知らなくていい権利」というのはいわゆる「報道しない自由」とセットになるものかと思ったが、確かに自分に降りかかって来ない限りは知りたくもない人々も一定割合いるので微妙に納得した。 ・全体として政治的な右だけでなく左の一部や近隣国(半島+大陸?)も含めて愚弄する態度だったらしい。いわば国民各層の共感を期待したのかも知れないが、作り手側が高いところからその他全部を見下していたようでもある。 [インターネット(邦画)] 3点(2025-04-19 12:55:16) |
19. ミラーズ 呪怨鏡
ネタバレ 日本でいうコックリさんとかエンジェルさんのようなものを若い連中がおふざけでやっていたら、鏡の中から「スペードの女王」という魔物が出てきて大変なことになったという映画である。ホラーとしては特に怖くもなく、そもそも何が起きたかわからない場面が多かったが、全体的にそれほど悪い印象はなかった。 個人的に気になったのは題名の意味である。邦題は無視でいいとして、英題と原題にある「スペードの女王」(Queen of Spades/Пиковая дама)は19世紀のプーシキンの短編小説、及びそれを原作としたチャイコフスキー作曲の歌劇の名前と同じだが、この映画はそれと全く関係なさそうに見える。 小説の「スペードの女王」は、トランプの「スペードのクイーン」が悪意を象徴するという程度の意味づけだと思うが(岩波文庫版では「悪しき下心」)、一方で現地ではカードの人物が一人歩きする形で、鏡の中から出て来る魔物として語られているらしい(※注)。その実態を単純に取り入れたホラーなのかも知れないが、それにしても世界的に有名な「スペードの女王」を題名に入れておいて、本当に小説と無関係なのかというのが根本的な疑問点だった。 これに関して思ったのは、最後に出た縦長の鏡をトランプのカードに見立てると、そこに顔が映っていた人物(見ていた本人は除く)の「悪しき下心」を鏡が映していたのではないかということである。つまり現地の俗説に合わせてトランプのカードを鏡に変え、その上で小説の意味づけも生かしたのかと思った。 そうだとすると、ラストで主人公はティーンエイジャーになって大人の世界に近づいたが、これまで姉のように思っていた友人が、今後また両親の間を裂く原因になっていきそうなことにどう対応するかが問われる、というようなことか?? わかりにくいが考えさせられる話ではあった。 ※注:子どもたちの「召喚」(ウィキペディア「Детские «вызывания»」などによる) この映画の直接の元ネタは、現地の児童文化として伝わる「召喚」という魔法かゲームのようなものである。これは魔物とか童話の登場人物とか歴史的人物などを現世に呼ぶもので、「スペードの女王」は魔物の代表例らしいが、ほかにシンデレラとかバーバ・ヤガーとかプーシキンとかスターリンなど多種多様なキャラクターが召喚されるそうである。向こうの感覚としては日本の「トイレの花子さん」と同種類似のものということになるらしい。 召還の目的はスリルを楽しむとか、単に存在確認するとか(日本なら家に座敷童がいるか調べるようなもの)、将来のことを尋ねるとか(何歳で結婚できますか、など)、願い事をするなどして面白がることらしい。主に小学生年代の女子グループがやるものだそうなので、この映画でかろうじて該当するのは主人公だけになり、あとの連中は完全に悪ふざけと思われる。さすがに21世紀には廃れ気味のようだが、昔懐かしい風習を改めて思い起こそうとする映画だったか。 ちなみに「スペードの女王」を召喚する場合、扉と階段を鏡に描くというのはこの映画のとおりである。女王が階段を降り切らないうちに階段を消せば来ないそうだが、この映画ではやらなかったので来てしまったことになる。少女の真似して«Пиковая Дама, приди!»と言ってみたくなるが怖いので言わない。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-04-12 20:14:05) |
20. クイーン・イン・ザ・ミラー -女王の召喚-
ネタバレ 「ミラーズ 呪怨鏡」(2015)のリメイクのようで、元映画の脚本・監督を原作者とし(Story by)、題名も元映画の英題にあるQueen of Spadesをそのまま使っている。世界的に有名とも思われない元映画を、何でわざわざカナダまで持って行ってリメイクするかと思うが事情は調べていない。 内容としては元映画と同様、鏡の中から「スペードの女王」という魔物(台詞では幽霊)を召喚したら大変なことになったという映画である。一応ホラー映画だが、元映画と同じく特に怖いところはない。ただ主人公が叫んだ顔が楳図マンガを思わせる場面はあった。 ちなみに映像面で、高層集合住宅の外観を頻繁に映していたのは元映画へのオマージュと思われる。また映像に出たトランプのカードにQ(Queen)でなくD(Dame)と書いてあったのはフランス式だが、これは元映画の原題にあるдама(dama)にも通じる。 登場人物の構成は元映画と同様で、名前も同じか似たものにしている。最も違うのは元映画の父親の役を母親に変えたことで、父親は映像に出て来なかった。 物語としては、登場人物の性別などに合わせて適宜に変えた点も多いが、基本的な筋立ては元映画とほぼ同じである。個別の場面もかなり忠実に再現されていたりして、ここまで元映画に寄せる必要があるかと思う点がかなり多い。 ただ元映画で不明瞭な点や無理がありそうなところを受け取りやすいよう変えたのはよかったかも知れない。例えば主人公の「願い事」というのが何なのか、元映画では素っ気なさすぎて想像がつかなかったが、この映画を見るとなるほどそういう方面のことかと逆に思わされた。また序盤のプールでAEDが出たのはどういう意味かと思っていたら、後でちゃんと生かされていたのでなるほどと思った。元映画のように病院まで行く必要はなかった。 しかしラストの場面の意味は前にも増して難しい。今後は主人公自身が何かの火種になっていくという意味か、あるいは主人公の「願い事」をかなえるべくスペードの女王が何か画策しているのか。元映画も全部わかったような気はしないので、この映画でも実はわかっていないことが多々あったりするかも知れないがまあいいことにしておく。 なお点数は元映画と一応同じにしておくが、元映画にあまりにも寄りすぎのため違う映画を見た気がしない。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-04-12 19:57:50) |