1. スイング・ステート
《ネタバレ》 まずは題名に目を引かれる。これが映画の名前ということは何か別の意味のある言葉かと思ったら、普通に激戦州のことだったのはかえって意外だった。邦題であえてこの言葉を選んだのは、日本でもアメリカ政治を意識する人々が増えているとの認識と思われる。 映画の中心人物が民主党側で、そもそもアメリカ映画であるからには民主党推しかと思えばそうでもない。都市部の目で農村部を見下すなど、当初はかえって民主党側への皮肉が効いた形かと思ったが、結局は都会の選挙屋などどちらも同類ということになっていた。 物語的には、結末は意外だったが都合良すぎの印象がある。コメディなので笑わされなくはないが、よくあるようにアメリカ人はこれで何が可笑しいのかわからない的なところも多い。ただTV中継の場面で、両候補の選挙屋が境界を越えて揉め出すなどは気心の知れた同士の馴れ合いのようで、いわゆるトムとジェリーが仲よく喧嘩する感じで笑った。また真相がわかってから、敵側の選挙屋が素直に感心していたのはよかった。 社会的な面では、主に「スーパーPAC」でやたらに資金を集めてネガキャンなどに使う問題を扱っていたらしい。また「本当の問題はマスコミが共謀してること」という指摘もされていたが、日本のマスメディアもアメリカに連動しているようなところがあるので関係なくはない。 また地元民の動きに関しては、全国レベルの争いと別に地方独自の課題と解決策がある、という考え方自体は悪くない。しかし善良なはずの住民が、制度の抜け穴を使って選挙屋を騙すのは「一緒に汚くなったら後悔する」という言葉に反しないのかと思った。 なおこの映画は2016年大統領選の結果を受けて製作されたもので、2020年選挙の実態は反映されていないことになる。11/5投開票の2024年選挙はどうなるかと思うが、この映画の時点からもう深刻度が違ってきている気がして笑っていられない。 [雑記1] 序盤で選挙屋がウィキペディアを見ていたが、アメリカでは州ごとに地方制度が違うようで、ウィスコンシンの「町」とは何なのかに関して自分でもウィキペディアで調べたりしたので、選挙屋もそういうことを見ていた可能性がなくはない(好意的に考えれば)。 [雑記2] CNN、Fox News、MSNBCといった実在の放送局が映像に出ていたが、前半に出たNews 3 Nowというのはウィスコンシンにある放送局の番組で、出演したのは当時の本物のキャスターのようだった。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-11-02 20:07:17) |
2. VIRUS ウィルス:32
《ネタバレ》 南米ウルグアイ(とアルゼンチン)のホラー映画である。ネコや子どもを残酷な目に遭わせる映画が許せない人は見ない方がいい。 序盤からネコの取扱いがひどいので、これでは一体何をやり出すかわかったものでないと思わされるが、さすがに主人公の娘(8歳)にまでは危害が及ばないだろうと思っているとそのうち安心していられなくなる。エンドロールでは「撮影中に動物を虐待しませんでした」が見当たらなかったのでそもそも気にしていないようでもある。 監督はウルグアイ人で、長編デビュー作「SHOT/ショット」(2010)が評価されて「サイレント・ハウス」(2011米仏)としてリメイクされた実績がある。今回はゾンビホラーとしてのスリリングな展開を目指した形かも知れない。 場所はウルグアイの首都モンテビデオだが、最初と最後に屋外風景が映る以外はほとんど屋内で展開する。舞台になっているのは廃業した大型の屋内総合運動施設(実在したスポーツクラブClub Neptuno、2019営業停止)で、主人公は建物の夜間警備員らしい。施設内の設備やバックヤードを使って場面の変化を出していて、また警備業務ということで監視カメラ映像も活用していた。 ジャンルとしてはゾンビホラーだろうが、実際はゾンビではなく感染した人間である(題名からしてウイルス感染)。人間その他生物への加害直後に32秒間活動停止するのが特徴だが、それほど斬新でもなく単に話を作るための制約というだけに見える。登場人物がこの特性を利用した場面は3か所あり、それぞれ違う目的で使っていた。 個人的にはそれほど面白いとも思わなかったが、一定の娯楽性のある映画ではあった。 個別の点として、まず冒頭からタイトルまでが切れ目なくつながってワンショットに見えるのが目を引く。視点が1階→屋外→2階→屋外と移動していくが、さらに空撮にまでスムーズに移行したのは意外感があった。さすがにどこかで適当に繋いでいるのだろうが、これは上記「SHOT/ショット」以来の監督の個性と思われる。 またエンディングでは「亡き父の思い出に捧ぐ」と書いてあり、こんなホラー映画で故人に喜んでもらえるのかと思ったが、監督としては映画に出る父親(2人のうち主にヒゲオヤジの方?)に実父の人間像を反映させていたのかも知れない(釣りが好きでない、学習したことに忠実など)。やるべきことは断行するができないことはできない、というのも人間性の表現のようだった。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-10-12 13:32:59) |
3. ディストピア 灰色の世界
《ネタバレ》 南米ウルグアイの映画だが、特にウルグアイっぽさを出そうとはしていないらしい。スペイン語は当然わからないがラ・ニーニャはわかった。 内容的には「大惨事」によって人々が色覚を失ってしまい、白黒灰色しか見えなくなった世界の話である。主人公は何らかの理由で色が見えるが、そのほか赤/緑/青限定で一時的に色が見える錠剤があり、これが小道具的に使われている。 そうなった理由についてろくな説明がないのはいいとしても、全体的に何かの総集編かと思うほど情報不足で、登場人物の正体や行動の意味が全く理解できないのは非常に困る。わかったのは男2人が何かの動機で主人公を灯台のある島へ送り届けたことだけで、その他は全くわけのわからない映画だった。 特徴点として、映像的には前半が現地の人々の見るモノクロの世界、途中から主人公の見る総天然色の世界に移行するが、モノクロ部分では誰かが赤/緑/青の錠剤を使った場合にその色だけが見えていた。三原色ならもっと視界全体が赤/緑/青になり、その中で強弱の差が出るだけではと思ったが、緑の場面は樹木の多い山中だったので、赤青の場面より多く緑を見せていたのも納得だった。個人的には序盤で青だけが見える場面がクールに見えた。主人公も目が青かった。 また主人公は目が大きく初期の宮﨑あおい風に見える。鼻を触られて口でポンと音を出すのはこの辺にそういう習慣があるのかわからないが、幼い子と信頼できる大人の関係が見えて和まされる。男2人が父母代わりだったのかも知れない。 全編わけがわからないがいいところもなくはない映画だった。 [以下想像] 主人公が「感染してる」という台詞も意味不明だったが、もしかすると「大惨事」とは世界的な感染症の流行のことであって、それが社会崩壊の原因になり、またワクチンか何かで助かった人々も副反応で色覚を失ったということではないか。主人公は新生児だったのでワクチンか何かを接種されず、そのため色は見えるが感染もしてしまったと取れる。主人公が行った先は例えばもと感染者の隔離場所?で、その後に回復した人々が結果的に色覚を持ったまま暮らしていた??とかかも知れない。 それ以外の世界では、錠剤が利権化しているせいで色覚を取り戻すための試みもなされず、人類は永久に色が見えないままになるということか。そう考えると全体像が少し見えた気はするが、それでも不明な点はまだまだ残る。 [インターネット(字幕)] 4点(2024-09-21 20:40:16) |
4. あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。
《ネタバレ》 薄っぺらい映画かと思ったらそうでもなくまともに作られている。 そもそも理屈抜きのタイムリープで始まるファンタジー設定であるから、場所設定や戦中描写に現実味があるかなどはそれほど気にならない。原作は中学生を主人公にしたライトノベルなので若い人々が親しめるように書かれていると思われる。 ドラマとしては年少者向けらしい素朴な純愛物語になっている。主演の福原遥という人は、子役時代の「まいんちゃん」というのはリアルタイムでは知らないが、今回見るとなかなか感じのいい人だった。 この映画最大の感動場面は、終盤の「知覧特攻平和会館」を思わせる場所に置かれている(撮影は霞ケ浦の「予科練平和記念館」)。これはストーリーのクライマックスとしてこういう趣向を考えたというよりも、逆に現代の人が知覧に行った経験(=遺影と遺書に泣かされた)をもとにして、そこから遡って物語を作ったという順序かと思った。実際に原作者(鹿児島県出身)もかつて知覧を訪れた影響が大きいと語っている。 人々が平和会館を見学した際には、死者を悼むとともに自分が生きていることに感謝するのが一般的な態度だろうが、さらにこの映画では死者の思いを知るために、時間を遡って当事者に取材して来たかのようでもある。結果として主人公は、男が願った未来としての現在をちゃんと生きるとともに、教師になるという男の夢を受け継いで、自分も未来の世代に貢献しようと決意したようだった。現在から過去を振り返るだけでなく、現在から未来につないでいこうとする映画になっている。 また戦後(前世紀)の常識だと、こういう映画は思想的背景をもって作られるのが普通だと思っていたが、この映画では政治的な色付けがはっきりしないように見える。人が死ぬのに反発するのは主義主張に関わりなく誰でも思う普通のことだが、それで最後に特攻隊は無駄死にだったと貶めて終わらせるわけでもなく、かえってその心を素直に受け取るように努めていた。主人公も最後には、他者のために自分の生命を捨てることもありえなくはない、と思うに至ったらしい。 結果としてこの映画は、左右両極の間にいる多数の人々に向けて、誰もが共通認識として受け取れるように特攻隊を語ろうとしたのかと思った。手紙にあった「人と人が傷つけ合うのではなく、一緒に笑って暮らせる未来を」作るためには、分断と対立ではなく思いを共有できることが大事なのだと思いたい。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-09-21 20:40:14) |
5. お願いだから、唱えてよ
《ネタバレ》 幽霊が出るので形式的にはホラーだろうが怖くはない。またコメディといっても個人的にはそれほど笑えない。途中であからさまに先が読めるが、予想通りの結末になってしみじみ終わってくれるので最終的には悪くなかった。この程度のことでよければ自分にもできなくはないので安心させられる。 ちなみに登場人物が劇団員風に見えた関係から、生きるのが厳しいと思ったときは演劇でも見に行って、生き返った気分になるのがいいのではと思った。東京ならいつでもどこかの劇団が公演をやっていそうだ。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-09-07 20:01:36) |
6. 迷霊怪談集
《ネタバレ》 ベトナムのホラー映画である。原題の「Chuyện ma gần nhà」とは近所の怪談というような意味らしい。場所はほとんどホーチミン市(サイゴン)、終盤の農村部は近郊のロンアン省とのことで、現地の雰囲気が映像に出ていなくもない。 内容としては、一部屋に集まった若手男女が都市伝説3話を語る趣向である。人が集まると怪談会を始める民族性なのか(日本だけでないのか)と思わせるものがあり、それで終了後に怪異が起こるというなら百物語の風情だが、この映画では語り出す前から怪異が起きていて、最後はむしろ新たな都市伝説(現代風ゾンビ伝説)が生まれたという意味かも知れない。 物語としては、第1話は比較的わかりやすいが設定上の突っ込みどころが大きい。また第2・3話は意味不明であって、Wikipediaベトナム語版のネタバレを読んだら(Google翻訳)かろうじて大体わかった。おれはおまえだ的な展開が2回もあり、登場人物の人格が無にされたかのように見えるのは物語としてつらいものがある。 出演者としては第1話の主人公が可愛い感じで、また第3話の主人公も眉がきりっとして嫌いでない。難点はなくもないが、奇抜な映像や現地の情景など全体的な印象は悪くなかった。 以下雑記 ・時代設定に関しては、最後のTVニュースは2020年代として、都市伝説の方は劇中の事物からして1990年代(末頃?)の話かも知れない。また都市伝説の原因になった事件はさらに遡った南ベトナム時代のことだったようで、主な観客層にとっての昔と、古いサイゴンやその周辺への懐古が表現されていたのかと思った。 ・テーマ曲は、南ベトナム時代に発表された「私を独りにしないで」(Đừng bỏ em một mình)という死者の心情を歌った歌で、昔のホラー映画でも使われたりしたものらしい。エンディングのほか3話それぞれで曲名や歌やピアノのアレンジ曲が出ていた。 ・第1話の絵は、現地で本当にこういう人物画を屋台に描く習慣があるようで、今は「コ・ミア」(Cô Mía/ミアさん)という呼び名が付けられている。その由来に関する都市伝説も実際なくはないらしいが、この映画の話とは違う。 ・第2話の「賞金300万ドン」は南ベトナム時代の通貨価値によるものかも知れない。 ・第3話の「人の魂は死ぬ時、3つに分かれる」は突拍子もない発想のようだが、19世紀末の朝鮮国に関する記録でも「人間には霊魂が三つあると考えられている。死後三つの霊魂はそれぞれ位牌、墓、《黄泉の国》に行く。」とされている(イザベラ・バード「朝鮮紀行」講談社学術文庫P374)。この朝鮮国での考え方は、故人の居場所が仏壇(の位牌)・墓・冥土(→来世)の3か所だということなら日本人にも納得しやすいが、この映画でも同じ考え方かどうかは不明瞭だった。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-08-31 09:06:57) |
7. 地縛霊 5階の女
《ネタバレ》 ベトナムのホラー映画である。原題の「Thang Máy」とは普通にエレベーターの意味らしい。監督はサイゴン生まれのアメリカ人で、1975年4月の「サイゴン陥落」時に逃れてロサンゼルス周辺で育ったが、現在はホーチミン市に戻って活動しているとのことだった。 撮影場所もホーチミン市とのことだが、舞台は主にマンションと廃病院なのでご当地感はほとんどない。また登場人物は富裕層なのかと思わせる人々で一般庶民の生活感も出ていない。かろうじて現地らしいのは、主人公の従姉妹の甲高い声が東南アジア風に聞こえることくらいだった。 有名な都市伝説を題材にしたとのことで、映画冒頭では「韓国の都市伝説に基づく物語」だと説明が出る。その一方で、今回見た映像配信サービスの解説では「日本にも「異世界エレベーター」と呼ばれる同系統の都市伝説が存在している」と注釈がつけてあるが、これは日本で公開した場合、日本にもあるだろうがという突っ込みが入ると予想されたからと思われる。 日本の「異世界エレベーター」では4→2→6→2→10→5と階を移動することになっているが、この映画では二度目の2階が省略されているだけなので共通性はある。邦画では「きさらぎ駅」(2022)でこの「異世界エレベーター」のアイデアを使っているが、アメリカ映画にも「エレベーター・ゲーム」(2023)というのがあって世界的にも有名ではあるようだった。 ホラー要素としては、エレベーターや廃病院自体の不気味さのほか、特殊メイクの人物数名と若干の異世界描写があるが特に独創的なものは感じない。また特に問題だと思ったのは、邦画にもある独りよがりの面倒くさい難解ホラーだということである。主人公の心の傷や義父への憎しみがドラマの中心だったようだが、少女の関係などわからない点が多く解明する気にならない。最後は単純な夢オチではないと思われるが、それがまた全体的にわけのわからない印象を出している。 結果としては困った映画だったというしかないが、しかし主演の人がかなりいい印象だったので悪い点はつけにくい。個人的には主人公が精神不安定という点で、邦画「アイズ」(2015)と似た雰囲気も感じた。ちなみにエンディングの曲は洋風の軽快な曲で最後に和まされた。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-08-31 09:06:55) |
8. 女戦士クトゥルン モンゴル帝国の美しき末裔
《ネタバレ》 モンゴルの時代劇である。他国と並んで製作国に名を連ねるのでなく単独のモンゴル映画らしい。風景として青空・草原・湿地・丘陵・砂漠などが映る。 主人公のクトゥルンは、13世紀モンゴル帝国の有力者だった「ハイドゥ」(カイドゥ)の娘とされている。本人に関わる逸話として、力業(字幕ではモンゴル相撲)で自分に勝った者の妻になると宣言し、応募者をことごとく打ち負かした話が東方見聞録に紹介されていて、これが英題のWrestling Princessの由来になっている。 時代背景としては、2代目ハーンのオゴタイの家系に属する主人公の家と、当時の5代目ハーンのフビライの勢力が対立している状況で、大まかには史実を踏まえているがかなり簡略化して改変している。帝国自体はまだ健在なので、邦題にある「末裔」という言葉のイメージほど後代の話ではない。 なお言語は基本的にモンゴル語のようで、口の奥で出す音が耳につく印象だった。また主人公が元のフビライに対抗する立場だったこともあり、漢人や漢語への微妙な反感が見えるようだった。 戦いの映画としては、騎馬軍団の戦いというより人と人が戦うアクション映画のイメージである。なぜか忍者部隊のようなのも出て土遁の術など使っていた。 主人公の物語としては「かぐや姫」のように、言い寄る男を次々排除する場面を大きく扱うのかと思ったらそうでもない。Wrestling Princessは題名だけかと思っていると、最後に少し時間を取ってその関係のエピソードが入れてある。確かに前半で、主人公が賊に負けてしまって意外に弱いと思わせる場面があったが、それがラストにつながる伏線だったらしい。 原作小説の著者は女性の地位向上に関わっている人物のようで、この映画でも自由を得るためには強くあれ、というメッセージが感じられる。見ていてそれほど面白いとは思わなかったが、最終的になるほどそういうことだったかと納得した。 登場人物として、主人公の仲間たちは人間性が深堀りされないが、うち小太りで小汚く見える「アバタイ」が実はイケメン枠だったらしいのは意外だった。主人公は、日本でいえば浅野温子(の若い頃)のような外見で、乗馬ができる役者のようだがモンゴル人なら普通かも知れない。敵方に「かわいい顔」と言われていたが本当に可愛い人で、終盤でにっこり笑った顔が、序盤の子役の笑顔を思い出させたのは少し感動的だった。この人の強い+可愛い姫様像が映画全体の価値をかなり高めている。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-08-24 09:46:54) |
9. 新感染半島 ファイナル・ステージ
《ネタバレ》 原題を漢字で書くと「半島」だけなので簡単だ。新幹線の続編だが、前作と同じ劇中世界で時間が4年後というだけで登場人物は全く違っている。 序盤では現状説明として、半島南部がもう人の住む場所でなくなったために国家としては消滅し、単に「半島」と呼ばれていることが説明される。香港の怪しい男が言った「悲しい過去があるからな」という言葉が、「日本沈没」(小説・映画)を連想させる物悲しさを出していて、ここからどういう話になるのかと期待させられる。 しかし現地に行ってからは単なる世紀末バイオレンスの世界になり、また後半はカーアクションが延々と続いて正直辟易する。最後は天から救いが来るといった極めて都合のいい展開であり、自然体で前向きな姉妹の活躍が特徴的という以外は、娯楽映画として前作に及ばないというのが率直な感想だった。 物語面では、まず助けるか見捨てるかの問題は前回につながるように見える。これについてはマレーシア人が言ったように、皆にとってベストになるよう常識的な選択をする、という考え方は当然ありうるが、しかし軍隊のような無機的な判断ではなく努力したかが問題であって、特に家族を見捨てることなどできないはずだということかも知れない。 また微妙に自国向けのメッセージかと思ったのは、半島が地獄だ(※参考事項「ヘル朝鮮」헬조선)といって簡単に逃げ出せばいいのでなく、家族が一緒ならどこでも地獄ではないはずだ、と取れる台詞だった。とぼけた爺さんが本当に元師団長だとして母子と本当の家族なのかは不明瞭だったが、少なくとも母子の方では4人が家族として暮らしたこと自体を大事に思っていて、場所がどうかは問題にしていなかったらしい。もしかすると原題の「半島」というのも国家の枠を取り払った上で、自分らの住みかの本来価値を見直そうというような意味だったかも知れない。 他国のことなので理解に困るところはあるが、最後の「私がいた世界も悪くなかったです」という言葉に少し心を打たれたのは間違いなく、結果的にあまり悪くはいえない気分で終わった。「日本沈没」の韓国版(沈没しないが)のようなものと思っていいか。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-08-17 09:36:11) |
10. バビ・ヤール
《ネタバレ》 「バビ・ヤール」とは第二次世界大戦中にユダヤ人の虐殺があったウクライナの地名であり、1941年9月の2日間だけで37,771人が殺されたとされている。 内容としてはアーカイブ映像によるドキュメンタリーで、編集技術もあってか結構な臨場感がある。バビ・ヤールの事件そのものは写真(静止画)だけで、事件前の部分は恐らく主にドイツが宣伝用に撮った映像、事件後の部分はソビエト政権下での戦犯裁判が中心になる。絞首刑で人が死ぬところまでをしっかり撮っていたのはどうかと思うが、そこで大群衆が喝采したのは前近代の遺風かとも思わせる。 なお2022年以降にウクライナの地名からロシア語を排除する風潮が生じる前の映画のため、字幕ではリヴォフ、キエフ、ハリコフなど昔の名前を平気で書いている。そもそも題名からして「バブィン・ヤール」(Бабин Яр)とか書くのが政治的に正しい表記だろうが、英題がBabi Yarなのでそうするしかないともいえる。 原題のContextは意味がよくわからないが、映画はバビ・ヤールの前に起きていたユダヤ人迫害のところから始まるので、バビ・ヤールを単独の事件として捉えずに、当時の現地事情を背景にして理解すべきという意味か。また戦後に現地の地形が改変されるところまで扱っていることから、そのことも含めた文脈を読み取るべきだということかも知れない。 最後に工場の廃液を谷間に流し込んでいたのは、後の1961年に「クレニフカ土砂崩れ」(Kurenivka mudslide)という別の惨事を引き起こしたわけだがそこまで映画には出ていない。しかしこれがユダヤ人迫害に対するソビエト政権の冷淡さを表現したと考えれば、1962年に作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチが交響曲第13番「バビ・ヤール」を発表した動機にも通じることになる。 ところで序盤にリヴォフで起きたユダヤ人迫害の場面は細かい説明がなかったが、これは「リヴィウポグロム」(Lviv pogroms (1941))というものであって、当時ナチスに親和的だった「ウクライナ民族主義者組織」や一般市民も迫害に加わって千人単位の死者を出したとされる事件である。バビ・ヤールの方ではキエフの一般市民が関与したとの話は特になかったが、あえて先行してリヴォフの件に触れたというのは、後のバビ・ヤールにつながるcontextを捉える上で重要と捉えていたからだと思われる。 侵攻して来たドイツ軍が解放者として歓迎されたこと自体は、ソビエトとナチスのどっちがましか、という比較の問題ともいえなくはない。しかしそこで名前の出ていたステパン・バンデラは、2022年以降ロシアがウクライナをナチス呼ばわりする根拠に使われている民族主義者のようなので、この名前をあえてユダヤ人迫害に絡めて出したのは、現在のウクライナにとっては腹立たしいことかも知れない。監督は自国の不評を買っても動じない気骨のある人物らしいが、映画人ならそのくらいで普通か。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-07-20 10:30:07) |
11. ザ・ミソジニー
《ネタバレ》 ホラーだが別に怖くない(映像効果も安っぽい)のはいいとして、前作よりさらにわけのわからない映画だったのが腹立たしい。舞台挨拶で監督が、人生かけて考え続ける映画になることもなくはない、という意味のことを言っていたようだがそこまでの気力も熱意もない。映画の台詞でも、全部わかったら生かしておかないというのがあったのでわからなくていいことにする。 わからないなりに見たと思ったことを書くと、全体的には劇中現実の中に劇作家の仮想現実を入れ込んで、またその内部で劇中劇と、劇中人物が幻想で体験する物語が展開する複雑な構成のようだった。各物語の境界が判然とせず重なる箇所もあったりして、実際に何が起こっていたのかはわからない。出演者は重層的な物語の中で何役も務めていたようで、役としての関連性はあるのだろうが混乱させられる。服装による区別は比較的わかりやすいとして、ほかに劇中人物の年齢の違いを演技で表現したところもあった。 物語の流れを作る要素としては、劇作家の創作活動/一人をめぐる二人の争い/母と娘の関係/ヨーロッパ中世の魔女と現代の魔女/アメリカ帝国主義と戦う超ファシズムの団体(笑)といったものかと思った。また女性が背負う宿命の観念が根底にあったようで、こういったものによって題名の内容を表現しているのだろうが理解不能で何ともいえない。 なお天国はないとしても地獄はあるといった感覚は前作とも共通のようだったが、今回は性別による違いがあるという設定だったらしい。穴が不気味だとかあまり突っ込むと障りがありそうで触れたくない。 ところで劇作家がやっていたのは脚本の制作だったようで、できた台本で稽古するというより主役が参加して実演しながら作っていく形かと思った。役者の感覚を取り入れようとしたところもあり、また役者の実体験に基づく述懐をそのまま書こうという発想は実話怪談本的でもある。出演者はそれぞれに個性的で演技も印象的だった。 ちなみに個人的にはアメリカと戦う話が面白かった。思想としては前作のボリシェヴィズムに対するファシズムかも知れないが内容不明なのでいいとして、戦時中にアメリカに対抗できる「呪いの兵器」を日本が開発しようとしたというのは実現しなかったのが残念だ。ただし「巫蠱の毒」などというと本来は大陸系だろうから、もっと強力なものが日本以外で開発されると恐ろしい。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-06-22 10:35:08) |
12. ゴジラ-1.0
《ネタバレ》 最初はトカゲゴジラかと思ったら後でちゃんとゴジラ型ゴジラになっていたが、振りや表情がクサすぎて演技過剰に見える。映像面では重巡洋艦の主砲射撃と敢闘精神、また大正時代の峯風型から戦争末期の丁型まで揃えた駆逐艦が見どころで、震電も本物っぽい感じで飛んでいた。ちなみにゴジラが2万トンというのは高雄の倍くらいということだ。 ドラマとしては安手だが一定のメッセージ性はある。「この国」(身内や知人その他自分のいる社会を構成する人々)を守るための戦いは誰かがしなければならないことであり、自己都合で去るのは止めないが、自ら志をもって行くのを止めることもできない。ただし死ぬと決まった出撃ではなく、必ず生きて帰る前提だ、といったこと自体は理解できる。 ただしタイミングとして今それを言うかという感じではある。映画の設定としては戦争直後でも、いま製作するからにはいまに通じるテーマがあるだろうと思うわけだが、公開時点の国際環境のもとでは、極東有事の際は「米軍も当てにできない」から日本人が率先して戦おう!というような、勇ましいが不穏な空気を醸している。アカデミー賞の受賞は、そうなったら頑張って戦ってね笑というアメリカからの激励ではないか(どうせ武器だけ買わされる)。時事性の面では最悪だったというしかない。 なお時代を遡ることで反核色を消すつもりかと思っていたが、核兵器との関連付けは一応残してある。ただしそれは初代ゴジラの先行映画「原子怪獣現わる」(1953米)からのことであってアメリカでも常識の範囲内である。放射線量を測って首を振る場面は旧作にもあったが、この映画のは形ばかりで心がない。 ほかに「日本政府も…当てにできない」から民間主導というのは意味不明である。何か意図があったにしても最低限、金の出所がわからなければ納得できない(実はアメリカにやらされていたとか)。また「情報統制はこの国のお家芸だ」と言っていたのは別に「この国」(日本国家)限定のことではないだろうが、昔の人は視野が狭いということなら仕方ない。 最後にゴジラが生き返りそうになっていたのは、50周年で一度終わった邦画ゴジラに関し、今回の延長上でまたシリーズを始めるための仕切り直しだったという意味か。最後の病室で、浜辺美波さんの首筋をこれ見よがしに映していたのは意図があったようだが、そういうことまで好意的に受け取るのは完全に無理である(浜辺美波さん=沢口靖子か)。 全体として、視覚効果は現代風だがマイナス要因が多いのであまりいい点はつけられない。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-05-25 21:12:00)(良:1票) |
13. アナベル あいのきずな
《ネタバレ》 ホラー映画ではない。どちらかというとファミリー向けの映画である。 製作国がバハマというのは珍しいが、国自体はタックスヘイブンであることや「バハマ文書」という言葉で知られている。主産業は観光と金融とのことで、ほとんどマイアミの沖合のような場所のためアメリカからの観光客が多いらしい。劇中映像では当然ながら南の島らしい景観が見られ、また名前が出ていた飲食店は現地に実際あるので行ける。ただし楽園のようでも時々来るハリケーンが深刻な脅威であることは台詞にも出ていた。 映画としては、南の海でイルカと少女が戯れるお気楽な映画かと思うと実際そういう雰囲気で始まるが、そのうち深刻な親権争いが起きて法廷闘争になったりするのでファミリー向けには少し厳しい。ただしハッピーエンドというのは初めから見えていて、もう駄目だとなったところで横紙破り的な打開があったのは少し面白かった。最後はボート一艘が全損したが、金さえあればどうにでもなると思ってはいられる。 ほか英題の印象通りイルカにもかなりの演技をさせている。また個人的にはエンドロールの最後に出たThe Islands of the Bahamasのロゴがバハマ諸島の地図のデザインになっていたのは感心した。 ところで撮影場所はほとんどがグランド・バハマ島にある国内第二の都市フリーポートと思われる。ここは1955年から米英の投資家や金融家が政府との協定のもとで開発してきた地域であり、現在も民間資本のGrand Bahama Port Authority (GBPA) が主体になって地域の開発と運営に当たっているとのことで、エンドロールの最後にはこのGBPAのロゴも出ていた。映画の「製作」はロサンゼルスの合同会社であるのに何でアメリカ映画でないのかと思っていたが、こういう機関が関与したからこそのバハマ映画ということかも知れない。 劇中では悪役として、孫を金で買おうとするニューヨークの富豪や金で動く弁護士が出ていたが、それで最後に天罰が下るわけでもなく、金持ちであること自体は罪ではないらしかった。それよりラストの場面のように富裕層も低所得者層も海賊も、アフリカ系も英米系も(イルカも)みな交じり合って楽しく過ごせる場所がバハマだということになっている。 結果的には、所得階層を問わず皆さんぜひ遊びに来てください、というPR映画だったのかと思った。ただし下級公務員が金で簡単に転ぶと思われていたり、未成年の詐欺・窃盗の常習犯がいたりするようなので渡航時は注意が必要だ。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-05-04 10:53:17) |
14. オクス駅お化け
《ネタバレ》 題名とビジュアルの雰囲気に騙された感じだった。 原題を漢字表記すると「玉水驛 鬼神」だが、原語では日本語の「の」に当たる助詞が省略されているので、邦題ではこれを補って「オクス駅の…」とすべきところ、省略したままにして不器用な直訳の印象を出している。また「鬼神」は「鬼神」のままでもいいだろうが、あえて幼児語の「お化け」にしてユーモラスな方向に引っ張っている。どうせなら「おばけ」にすればもっととぼけた感じが出ただろうがそこまでは徹底していない。 この邦題と、怖そうなポスタービジュアルのギャップに目を引かれたのが見た動機だが、しかし実際そのイメージ通りの映画でもない。黒いオバケが駅に取りついているのかと思ったらそうでもなく、そもそも導入部と本編がほとんど関係ないように見えたのは意外だったが、前日談として一応つながった形ではあるようだった。 ホラーとしては特に怖いところはない。井戸の慰霊で決着がついたかと思ったら実は終わっていないとか、呪いを他人に移すのは確かに「リング」っぽいが、似ているというだけで特に面白くはない。 物語としては、各種問題を頭出ししただけで薄っぺらいので社会派的な面での本気は感じない。劇中の「玉水保育院」は日本で起きた事件を元にしたとのことだが、臓器売買まで持ち出すのでは現代的すぎて唐突感がある。また「4桁の数字は、韓国で児童を対象とした犯罪事件の日付」だそうで、1211・1013・0329は確認できたが、そういう悲惨な事件を思わせるのも形だけの問題提起にしか見えない。 さらに主人公を記者の設定にして巨悪を告発する物語のようでいて、最後は個人的な復讐でしかなくなったようなのは話を逸らされた感がある。ただし社長本人も巨悪の隠蔽に加担した過去があり、今回知らぬふりで逃げようとした?のを主人公が潰した、というようなことなら勧善懲悪的な(というより懲悪的な)話だったことにはなる。また湯灌師の発言をもとに考えれば、主人公は恨むべき相手に正しく復讐したことで、世の中全部を恨まなくて済んだのが幸いだったいうことか。これが儒教倫理的な筋の通し方ということかも知れない。 一応の娯楽性は備えているので極端に低評価にはならないが、何かと半端な印象を残す映画だった。個人的には事前の期待が大きすぎたということもある。 その他、特に序盤で変に漢字が目についたのは日本向けのサービスだったかも知れない。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-04-20 17:15:45) |
15. オンマ/呪縛
《ネタバレ》 題名の印象と違ってアメリカ映画だった。韓国人のお母ちゃんが押しかけて来て恨み言をいうならいかにも怖そうだが、ホラーというより北米の韓国人移民の物語になっている(脚本兼監督はカナダ出身)。 なお英題がUMMAなのはオンマ/엄마のㅓが、例えば太陽/SUNという時のUに近い音だからということかも知れない。韓国語の正規のローマ字表記法ではEOMMAとなるはずだが、それではアメリカ人が(日本人も)読めないわけなので監督の判断を尊重する。 内容的には人間ドラマが中心であって怖さは感じない。超常現象や変なケモノが出ることの必然性もないようだが、監督の考えとしてはホラーというジャンルを使えばテーマを極限まで突き詰められるとのことで、それはその通りと思われる。 題名との関係からすれば母子のドラマが中心で、母~主人公~娘の三世代にわたる母子関係を重ねた形になっている。また、そこへさらに移民の一世~二世~三世(でなく0~2?)という関係も重ねていたようだった。前の世代との間で呪縛と化したつながりを断たなければ前には進めないが、つながっていた記憶自体は失わないことで、自分という存在の原点を心の中で守っていきたいという意味か。白人風に見える娘が母親とともに韓服を着て、墓碑に拝礼していたのは他人事(他民族事)ながら若干感動的だった。 また商店主の姪が言った「自分だけが変な人間だと思うのは間違ってる…」というのは北米社会の包容力を示したものと思われる。これに関して日本社会がどうかは少し考えさせられるものがあったが、適法に入国して現地社会のあり方を尊重し、自ら分断を図ることなく平和に生きるなら、その上で故郷由来のアイデンティティを守ろうとするのはいいのではないか、という少しリベラルな気分になったりはした。韓国の本国社会はどうか不明だが。 その他、映画では韓国(朝鮮)の伝統的な事物を紹介していたが、韓服とかお面は別として、「千字文」や九尾の狐、あやとりは韓国(朝鮮)限定のものではないとアメリカ人に言っておきたい。夜空の月が最後に満月になったのは、月が満ちて機も熟したというようなことの表現かと思うが、これも東洋的な感覚か。 また全くどうでもいいことだが、韓国語の初学者にとって言い分けにくい+聞き分けにくいが意味の違う言葉として달・탈・딸が有名だが、この映画にはその三つが全部出ていて感動した。달は映像だけで台詞に出なかったのが残念だ。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-04-20 17:15:41) |
16. リゾートバイト
《ネタバレ》 2chオカルト板発祥の怪談をもとにした映画である。永江監督のこの手のホラーはシリーズ化していたが、今回の劇場予告編に「ネット怪談最終章」と書いてあるということはもうネタ切れで終わりになるのか。 場所はエンドロールに出ている通り瀬戸内海の白石島(岡山県笠岡市の笠岡諸島)とのことで、特に義理はないが紹介しておくと、旅館は名前を変えているが「白石島旅館 華大樹」、食料品店「あまのストア」も実在する。また地元民役として、オーディションを経た地元キャストが多数出演しているようだった。 原話を読んだことがなかったので一応内容を確認したが、題名の話だけでは長編映画にならないのを、その他の怪談も組み合わせて充実させている。具体的には「リゾートバイト」をメインにして、主人公が御堂に籠る場面から「八尺様」を前面に出す形に作っている。また旅館の2階に上中下の引出しがあったのは、その場面で文字が見えた「禁后」という題名の別の怪談に入っている要素だった。 ほか映画宣伝にある「絶対に先が読めない」展開を意図して、原話にない趣向をラストで加えた形になっている。それ自体は「きさらぎ駅」と似たような印象もあって感心するほどのものではないが、終盤の最終決戦の開始に当たり、登場人物の誰が誰だかわからなくなるのは出演者の演技力が試される場面だったかも知れない。その後のコメディ風味は結構いい味を出していたので嫌いでない。 なお主題歌は不気味な曲で好きともいえないがホラーのエンディングにはふさわしい。全体的に娯楽映画として悪くない感じだった。 出演者として、主演の伊原六花という人はよく知らなかったが、2024/3/16の大相撲中継にゲスト出演したのを見て(終盤のみ)なかなか面白い人だと思っていた。一見あまり特徴のない顔かと思っていたが、今回見るとかなり個性的で魅力的な表情をしてみせる人だった。終盤この人がヒーロー的に大活躍する場面も作ってあるのは大変よかった。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-04-13 15:45:03) |
17. “それ”がいる森
《ネタバレ》 大人が真面目に見るものではない。点数は子ども向け映画という前提で甘くしておく。 題名の「森」(こんもりした山の意)のモデルになったのは福島県に実在する「千貫森」だそうである。ここは実際にUFOの目撃例が多いとのことで、地元の福島市飯野町では「UFOの里」を地域の個性として売り出している。エンドロールに出ていた「福島市UFOふれあい館」は市の施設として公開されており、また2021年には「国際未確認飛行物体研究所(UFO)研究所」も開設されたとのことで、そのPR映画として作ったとすれば子ども向けにできている理由はわかる。ちなみにその研究所は雑誌「ムー」(映像中にも見えた)の協力を得ているとのことで、この映画もホラーというよりオカルト映画と思えばいいかも知れない。従ってSFでもない。 ドラマ部分はいわば「学校の怪談」のようで、大人はわかってくれない系の展開が苛立たしいのは前世紀の遺物のようでもある。しかし子ども向けにしては刺激が強すぎで、特に宿題していただけの児童(川瀬麻友ちゃん)が犠牲になったのは痛々しい。他にも帰って来なかった連中がいたにもかかわらず、最後が晴れやかな雰囲気で終わったのはかなり適当な感じだったが、子ども向け映画として型どおりとはいえる。 なお宇宙人は福島市飯野町にしか来ないとしても、クマの方は全国的に警戒が必要だ。冬眠しないクマがいる場合もあるそうである。 [インターネット(邦画)] 4点(2024-04-13 15:45:01) |
18. 事故物件 恐い間取り
《ネタバレ》 原作を読んでいないので比較できないが、実話とされているものをベースに映像化した感じは出ていて、全体的な印象としては悪くない。芸人の業界らしいドラマもあり、ホラーにしては特色ある劇中世界ができている。 映画的な趣向としては、物件を渡り歩くうちに悪しきものがついて来て、4軒目に至ってヤバさが頂点に達する形になる。クライマックスの対決は盛り上げ過ぎのようだったが、もとの怪談本をそのまま再現したのでなくホラー映画として作ったわけなので仕方ない。最後は一応ハッピーエンドかと思わせておいて、ホラーらしく後味の悪さを加味した終幕になっている。 好んで事故物件に住むなどろくなことにならない気はするわけだが、原作者本人は特に支障なく今に至っているようなので、必ず何かヤバいことになるわけでもない。この映画でもラストの展開からすると、仮に周囲で何かヤバいことが起きたとしても、結果的にこの二人は何とかなるのではと思ったりした。ついて来ていた銀河帝国皇帝のようなのは二人の生命を縮めるものかも知れないが、場合によっては守護する側に回ることもあるかも知れず(「恐怖新聞」の配達人のように)、また笑いで二人の生命が延びれば相殺して余りが出る可能性もある。 その他現実問題として、外国人は事故物件でも気にしないことがあるそうなので、住む人の心持ち次第という面は確かにある。映画では一般の不動産屋に担当者がいたようだが、現実世界では事故物件を専門的に取り扱う事業者もいるようで(高齢者と外国人向けなど)、そのような動きを通じて物件の適正な流通が促されるのはよいことだ。実在の事故物件公示サイトの運営者もそのようなことを言っていた。 ほか出演者では江口のりこさんが魅力的な登場人物になっている。メイクアシスタント役の奈緒という人もいい感じを出していた。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-04-13 15:44:59) |
19. イビルアイ
《ネタバレ》 ホラーとのことだが特に怖くはない。宣伝画像の絵は怖そうだがこういう場面はない。登場人物の演技過剰とBGMの過剰によって軽薄な印象を出している。 話の中身としては、祖母が邪悪なのか主人公の精神状態が変なのかわからないまま引っ張って、終盤にまとめて真相を語る形のようだったが結局よくわからない。わからないのでネタバレを見たらなるほどと思ったが、わかったからといって何かいいことがあるわけでもない。だから何だという感じで終わった。 その他雑感として、メキシコというと荒野のイメージだったが森林もあるらしいことがわかった。衛星画像で見ると緑色の面積も広いので当然だ。また「バッカ」(Bacá)というのが出たので一応調べると、カリブ海のドミニカ共和国にあるものらしい。隣国ハイチ発祥のゾンビと違ってあまり知られていないのを世界にアピールする意図があったかも知れない。 [インターネット(吹替)] 3点(2024-03-09 10:32:32) |
20. ベネシアフレニア
《ネタバレ》 「ホラー&スリラー映画」とのことで、現地の警察も出て事件の真相に迫っていくサスペンス風味もある。ベネチアの風景が見られるのはいいが、物語としてすっきり整理された感じはなく、昔の薬とか秘密結社の正体は何だったのか、人数を集めて最終的に何がしたかったのか(動画配信で終わり?)が納得できるよう作られている気はしない。最後もそれほど盛り上がらず尻すぼみのように終わってしまう。 テーマとしては世界的に問題化しているオーバーツーリズムを扱っている。以前からベネチアでは大型クルーズ船による観光客の増加や環境悪化が問題になっていたが、2019年6月には衝突事故が発生し、またユネスコの危機遺産指定を回避する関係もあって、2021年8月には政府が大型船の中心部乗り入れを禁止した。しかし大型船が来なくなったわけではなく観光公害も解消されないため、2024年4月からはほとんどが大型船で来る日帰り客を対象に入域料を取ることになっているが、たった5ユーロでは抑制効果がないとの批判もあったらしい。 この映画では大型船の観光客を、疫病を運ぶネズミの群れに見立てて人間扱いしていない。観光客が殺人鬼に殺されるのを住民が見過ごしにしていたのは激しい怒りと憎悪の表現であって、いわば全市が「人殺し(暗殺者)通り」と化していたということになる。ちなみにこの映画は地元イタリアのベネト州も支援しているようだった。 ところで題名の「…フレニア」は精神疾患を意味する接尾辞だろうがそれだけでは意味不明なので、例えば一つのものの中に異質で相反する要素が同居していることの表現と思うことにする。 同居の組み合わせの一つとしては、住民の間に観光客への強い反感がある一方、当然ながら観光で生計を立てる住民も多いことである。もう一つはカラス男(ペストドクター)とピエロの関係だが、これは一人の人間の持つ二面を双子として表現したようで、カラス男も本当は皆殺しにしたい衝動を秘めていたと解される。こういったことで現地の利害対立や住民の苦悩を表現していたようだった。 主人公は本来地味な性格のようだったが、実際来れば無銭飲食とか怪しい場所へ好んで入り込むなどネズミ集団の一員になってしまっていた。ネズミの分際で、友人を殺した男を「人でなし」と罵ったのは笑うところかと思ったが、この主人公も一個体に人とネズミが同居していたと取るべきかも知れない。 それでどうすべきかに関しては、例えば登場人物が言ったように、騒ぎたいだけの奴はラスベガスとか、カナリア諸島やバレアレス諸島のリゾートにでも行けということだ。また目の敵にされていたのは大型船で来る大集団だけで、それ以外は許容可能という区分けはできなくもない。橋で殺された東洋人はそれほど迷惑系にも見えず群れてもおらず、観光客とすれば好ましい方ではなかったかと思われる。主人公のネズミ仲間で生き残ったのも、スマホを持っていない奴と多少なりとも歴史に関心のある奴だった。 最後は歯切れの悪い終わり方で、この映画自体が分裂を内包しているのかと思ったが背後の意図は受け取れなくはない。金を生まない文化は持続性が期待できないにしても、金額で計れるものだけが文化の価値ではなく、また金を生むだけ生ませて潰して(沈めて)しまっていいわけでもない。ユネスコもそういう考えかどうか。 思ったより深い映画だったので長文になってしまった。 [インターネット(吹替)] 7点(2024-03-09 10:32:31) |