1. 雨に唄えば
しかし本当によく「動く」映画だ。ミュージカル界のとなりのトトロだな。…いや、待てよ、「となりのトトロの方がミュージカル的なんだ」というべきなのか…。ま、ともかく「走る、跳ねる、回る、叫ぶ、笑う、バンザイする…などといった、一定以上の複雑な思考を必要としない、人類が太古の昔からやってきた本能的な感情表現を、「サイレントからトーキーへの移行期」という設定をなんともまあ巧~いこと使って、違和感なく流れの中に盛り込んだという天才的作品です。もう「唄うついでに動く」のではなく「動くついでに唄う」の領域ですもんね。「♪ローゼス、モーゼス…」なんて、思考などという上等なものはほとんど働いてなくって、掛け声を叫んでるみたいな感じですからね。そもそもここのシーンでのミュージカルに入っていく動機というのも、まず発声練習させられてるジーン・ケリーが退屈でいかにもかったるそうな様子であるのを見せておいてから「さあ、観ている方もぼちぼちイライラしてきたよね?動きたくなってきたよね?ハイ、じゃ、ここでちょっとふざけて茶々を入れて、ほ~ら、一息つこうよ、先生」という風な、実に子供じみた理由ですから。また、オコナーがアクロバチックなダンスを披露するシーンでも「なに?自分に自信が無くなった?そんなときはとにかく動いて無理やりにでも笑うんだ!」というやはり子供じみたパッパラパー本能で入っていきますから。「ここで動きたい」というときにミュージカルに入ってます。結構これが分かってないミュージカル映画が多くって、「ここで唄わせたい」という理性的な理由でミュージカルシーンに入っていこうとした結果、「…さて、それじゃ、ただ唄わせるだけなのも芸がないからちょっくら動かしてみるべ」という本末転倒な行為に及んでいるノーセンスな作品のなんと多いことか。「お前ら、本当にそこでそんな動きをしたいと思って動いてるのか?」とつっこみを入れたくなる作品のなんと多いことか。人間、動く必要のないところで動くことほど不思議で気色悪いことはないのである。その点、この作品は本当に「そもそもなんで踊るのか、唄うのか」というのをよく分かってるし、わざわざミュージカルでやる意義のある作品だと思います。「唄うついでに動く」というタイプの作品の大半は、比較的容易に小説化が可能ですが、この作品の面白さを小説で表現するのはさぞや骨が折れるでしょうね。 [地上波(字幕)] 8点(2014-09-26 20:33:18)(良:1票) |
2. ライムライト
一見すると、非常にベーシックな感動系映画に思えるこの作品。実はこの手の映画としては異端児的な作品なんです。何が異端児か? 世の大半の感動系映画を思い浮かべてください。ほとんどの映画には「悪人」が出てきます。でもこの映画には出てきません。この違いは何か。実はハリウッド映画の大半は「悪とは自分の外に存在するものだ。君が不幸でいる時、それは社会の責任なんだ。ほら、目の前に悪い奴がいるだろう。そうそう、こいつの責任なんだ。うんうん、君は悪くないんだよ。被害者なんだよ」とする点では概ね一致するからです。それがライムライトという名のこの異端児は「悪とは自分の内に存在するものだ。君が不幸でいる時、それは君自身の弱さが問題なんだ。悪いのは君だ」と、ハリウッド映画界に喧嘩を売る様なとんでもない主張をします。この映画をおとなしい優等生映画だなんて思ったらとんでもない、これは天下の大ハリウッド様を著しく不機嫌にさせる不届き千万な映画なんです。「甘えるな!自分の運命は自分で切り開け!」このテーマをより効果的に伝える為にこそチャップリンは悪人を出さなかったんです。例えば、テリーを「パッシーーン!」と引っ叩くあのシーン。普通のハリウッド映画ならば大の大人が(まして主人公が)イタイケな少女を引っ叩くなどありえない。なぜありえないか?そういう作りになってるからです。通常の映画ならばあそこにいくまでの展開で「少女には借金取りだの関係を迫るオーナーだのといった悪い奴が日々付き纏い、同情の余地が十分にある」という話にしているからです。それでは引っ叩けない。もし引っ叩いたら「ちょ、ちょっとチャップリンさん、あーた何もそこまでせんでもええやねん…」という空気になってしまうでしょう。でも異端児ライムライトは違います。天才チャップリンの巧みな構成術によって「少女には一応同情の余地はあるんだが、なんとかがんばって欲しい」という絶妙の展開で進んできたからこそ、あそこでの「パッシーーン!」が生きてくる、とこういうわけなんです。この作品がいかにも世の左翼系の映画評論家が好きそうな話でありながら、チャップリン映画全体の中では今ひとつパッとしない(一応は褒めるんですが)評価でいるのは「いつもみたいに「悪いのは社会の責任だ」と言ってほしい」という彼らの願望を完全に満足させてくれないからではないでしょうか。 [地上波(字幕)] 9点(2013-11-24 17:18:59) |
3. ローマの休日
《ネタバレ》 恋愛映画の仮面を被った冒険映画ですね。前半の大まかなプロット進行は、①皇族の主人公が世間という名の異世界にポ~ンと飛び込んでいく②夜中に街中で眠りこけるという危機が発生③おせっかい焼きの新聞記者という頼もしい仲間の登場で危機を脱出④仲間から「お金」と「一般常識」という二つの武器を授かったことにより以降わりと楽チン快適ルンルンな冒険が進んでいく。…大体こんな感じです。この中で一番楽しい時間はやはり王女にとっての人生初の街中探検でしょう。この王女というのがまた「みんな、あたしに危害を加えないでね、大切に扱ってね」光線をバシバシ出してくるので(本人にはその自覚が全く無いというのがミソ)道中を見守る我々は楽しくって仕方ないです。なんていうか、この映画を観ていると、「ローマの休日という名の動物園の中で、オードリー・ヘップバーンという名の珍獣を見守る」という感覚に陥っちゃいますw「あ、自分ひとりでジェラートを買えた。あ~良かったねえ…。あ、おじさんが花をプレゼントしてくれた。あ~良かったねえ…」こんな感じの楽しみです。また、我々凡人というのは「世間イコール我々」という意識をなんとなく持っているものなので、王女が世間の楽しさを理解していく度に「ああ、なんだかヘップバーンが我々に近づいて来てくれている…」みたいな心地よい錯覚にも陥ります。この辺りはヘップバーンというキャラクターの特性が存分に生かされている本当に一番楽しい時間です。だがしか~し、蜜月の時間は長続きはしません。やがてペック扮する新聞記者との別れのときがやってきます。「なんと申しましてもローマです」の一言に成長の証を見せる王女。そんな王女との思い出をそっと胸の内に仕舞い込み、記者は静かに去っていく…。いや~素晴らしい。ウケる要素をふんだんに盛り込んだ上にラストまで完璧だなんて、なんていい映画なんでしょうか。なかなか隙の無い映画ですが、しいて言えば全体的にちょ~っと編集がヌルめかなと思えました。名手ワイラーも、ヘップバーンの魅力に客観的な判断力を微妙に狂わされたでしょうか。編集というのは重要な部分なのでちょっぴり辛めに7点です。む、我ながらこれはちょっと辛すぎかな~?でもまあ限りなく8点に近い7点という事で…。 [地上波(字幕)] 7点(2013-09-04 19:02:35) |
4. 七年目の浮気
《ネタバレ》 マリリン映画の中ではこれが一番好きです。一般的に評価の高い「お熱いのがお好き」の方は、なまじ作品自体の完成度が高いだけに、マリリン以外の女優がヒロインをやっていてもそれはそれでヒットしていたような気がします(歌のシーンは良かったですけど)。それに引き換え、この作品はどうでしょう。もしヒロインがマリリン以外の女優だったら単なるしょうもないコメディ映画で終わっていたんじゃないでしょうか。つまりこの映画はマリリンが出た甲斐のある映画という事です(この映画以外では「王子と踊り子」なんかもそうですよね)。この、「ストーリー自体のしょぼさを女優自身の魅力だけでここまでのレベルで救うことが出来る」という点が、彼女と同時代のライバル達との一番の違いかなとも思えます。名前はいちいち挙げませんが、同時代の人気女優のほとんどは、ストーリーに救われることはあっても、ストーリーを(本当にここまでのレベルで)救ったことは実はほとんど無かったんじゃないかと思うんです。そういった意味で、マリリンの凄さが良く分かる好サンプルなのではないでしょうか。ほかに「お熱いのがお好き」よりも好きなところは、単純にカラー映画であり、しかも明るい画面が多いので彼女のブロンドがとても冴え渡って見えるというところ。あと、声もポイント。彼女の声質が、この映画のほんわか~っとした雰囲気に本当にマッチしてます。特に私のお気に入りが、トム・イーウェルの「マティーニの大盛り?」の問いに「U-HUN♪」と、なんとも可愛らしい声色で返事をするシーンと、チョップスティックを、それはもう楽しそうに「パパパパパパ♪」と演奏するシーンです。彼女の声って、人を安らかな気分にさせると思います。そんな声で、酒の上の不埒を後悔してしょんぼりしているイーウェルに「あなたは立派な人よ」と優しく慰めてくれるってんだから、も~う男はたまりませんよね!こんな特殊な天然キャラを、1ミリの違和感もなく演じられるマリリンはやっぱり凄い人だったんですよね。日本人でいえば石原裕次郎さんではないでしょうか。全然違うか。ま、ともかく8点です。 [地上波(字幕)] 8点(2013-08-19 23:16:32)(良:1票) |
5. リオ・ブラボー
《ネタバレ》 実はそれほどセンスの良いセリフでもない会話の応酬で進められていくストーリー。これが私にはなんとも退屈でした。要するにこのキャラクター達の性格が波長に合う人にとってはたまらなく楽しい映画ということなんでしょう。でも残念ながら私には合わなかったようです。西部劇の影の主役ともいうべき「雄大なる大自然の風景」が少なかったのも不満でした。さらには撃ち合いにダイナマイトを持ち出すなど、何かちょっとずれた西部劇を観せられたかなという感じです。最初の酒場での「いきなりぶん殴る!いきなりぶっ放す!」というハードな展開を観た時には「おお、これはかなり期待が持てるか!」と思ったんだけどなあ…。 [地上波(字幕)] 5点(2013-07-28 22:54:24) |