1. キー・トゥ・ザ・ハート
ネタバレ フィリピン映画は珍しい。 近年では寓話的なラヴ・ディアスと社会派のブリランテ・メンドーサが日本でも知られるようになったが、 それでも日本公開作は果てしなく少ない。 そんな中、ネットフリックスでひっそり配信されていた本作は、先述の二人のような敷居の高さは感じられない。 いわゆる"キング・オブ・ベタ"を地で行くような感動的なメロドラマだからだ。 幼少期から孤独で職を追われた元ボクサー、生き別れで余命いくばくもない母親、 重度の自閉症を抱えながら絶対音感で天才的なピアノ演奏能力を持つ異父弟、 同居することになったチグハグな3人の家族愛と再生と奮起劇を、分かり切ったハッピーエンド一直線で突っ走る潔さ。 同時に自閉症を取り巻くトラブルに当事者には身近に感じられたし、 主人公の暗い過去とどん詰まりっぷりにフィリピンならではのリアリティがあるものの、 徐々に増えていく応援してくれる善意ある人々に救われる。 審査会の「熊蜂の飛行」の演奏で周囲の空気が変わっていく様はまんま『シャイン』だったけど。 弟役の熱演には見入ったし、『逆転のトライアングル』のシーンスティラーだったドリー・デ・レオンも安定感たっぷりの好演。 イ・ビョンホン主演のオリジナルの素地が良かったかもしれないが、100分のコンパクトさで気軽に見られる佳作だ。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-04-29 23:57:21) |
2. マインクラフト/ザ・ムービー
ステーキ割引券の期限が明日で切れる名目で、隣の映画館にて本作を鑑賞(スケジュールの兼ね合いで日本語吹替版)。 マインクラフトは少し聞いたことがある程度、それを見越してか世界観を分かりやすく説明してくれる箇所が多くて有難い。 一昨年公開して大ヒットした『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』の再来と言っても良い内容で、 完全にファミリー向け、異世界転移もの、そして良くも悪くも"幼稚"であることも共通している。 ただ、観客が求めているものを最適解で惜しげもなく出しており、 一部の評論家に忖度した思想の押し付けで歴史的惨敗した某作と比べれば、本当に清々しいアトラクション映画に仕上がっていた。 '80年代を彷彿とさせるノリと勢いで、その当時を象徴する楽曲の数々、みんなが求めているのはコレなんだなと再認識。 他人の批判をものともせず、「自分の作りたいものを作れ」というクリエイティブ魂に共感。 オタク少年の成長譚であり、子供の心を持ち続ける大人たちへの熱いエールが伝わってくる。 映画の完成度が高いわけではなく、欠点も少なくないが、ジャック・ブラックとジェイソン・モモアの濃ゆい存在感で中和した形だ。 見た後何も残らない? 別にそれでも良いじゃないかという嘘偽りのない陽気さに+1点追加です。 [映画館(吹替)] 7点(2025-04-29 23:24:07) |
3. ツイスターズ
前作は未見でありながら、竜巻以外の要素はほぼ皆無のため、完全新作として見れる。 CG技術が完全に飽和を迎えてしまった現在、ともなると人間ドラマに舵を切ったのは正解だ。 リー・アイザック・チョン監督の作劇は巧みで、大自然を捉えた抒情的とも取れる映像美は本作でも健在だが、 アート表現は控え目であくまで職人監督に徹する姿勢に好感が持てる。 大自然の驚異に無力感がひしひし伝わるも、あとは好みの問題かな。 頭空っぽで見れても、甘さ控えめでもう少し何かが欲しいと思わざるを得ない。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-04-26 23:10:31) |
4. 月(2023)
ネタバレ 「タブーに向き合った」「問題作」と評されれば製作陣もご満悦だろうが、 問題提起と言いながら、"ヒーロー"になりたかったタダの人殺しを喧伝しているに過ぎない。 ベースになった事件で犯人は自己愛性パーソナリティー障害と診断されており、 負担の大きい向いてない仕事に無理に留まらないで逃げれば良かったものの。 他のレビューでも書かれていた通り、多かれ少なかれ誰にでも差別意識はある。 暴れて言葉は通じない、糞尿を垂れ流して異常行動の数々を引き起こす。 もうこれ以上、面倒見切れない家族と職員の心の悲鳴。 綺麗事ではなく、対価がなければ善人ですらそんなものだろう。 だが、「それがどうした?」としか言いようがない。 そもそもホラー映画風の照明の少ない暗めの画作りで、フラットでもない両極端な価値観で職員たちを描いており、 そのテーマの先にあるものがないため、「みんな大変だね」「考えさせられるね」で終わってしまう。 2時間半近くかけて、変な使命感を持った幼稚な思考で凶行に及んでも大きなお世話で、 実際事件が起こっても社会は何も変わらなかったからね。 職員も入所者も待遇は変わらないまま、年一で事件を風化させないアピールして、あとは蓋をするだけ。 重い障害とは無縁の裕福な家庭にとって、どん詰まりで起こった他人事の事件に過ぎない。 YouTubeで入居施設の待機者が大勢いることが取り上げられ、予算削減で「地域の皆さんで頑張ってください」な状態。 きっとこの先も施設に預けられず家族が手に掛ける事件が増え、それすら日常になって、社会は事件の風化を待つだけだろう。 だからこそ、子供を失くした主人公夫婦の再起を描いたパートが作品の焦点をぼかしており、 結局何が言いたかったのか、何を視聴者に伝えたいのかが理解できなかった。 表面だけフワッとなぞった中途半端な本作では、啓蒙にもならないのは当然と言える。 [インターネット(字幕)] 4点(2025-04-26 10:34:55) |
5. リンダはチキンがたべたい!
ネタバレ 抽象絵画風のタッチで描かれる、ニワトリを巡る大騒動。 登場人物が鮮やかな一色で塗り分けられた思い切りに、様々な国のルーツを持つフランスの多民族性を象徴する。 デモやストライキが当たり前のように描かれているのもこの国らしい。 父親を亡くし、集合住宅での暮らしはカツカツ、娘は多感な時期で、母親も常に余裕がない。 思い出の大切な指輪を失くした件で理不尽に娘に当たってしまった母親が罪滅ぼしで、 家族の思い出の料理であるパプリカチキンを作ることを約束するも、 どこもここもストライキで閉店して、追い詰められた母はニワトリを盗んでしまい…。 15分あたりから話にギアが入って、大人も子供もわちゃわちゃするも、フランスらしいほろ苦さと翳りが見える。 誰もが自分のことで手一杯で何とか折り合いをつけて生きているのだから。 死と黒色は忘却の中に置き去りにされていくものであり、その中にカラフルが差し込まれて、 思い出として生き続けていくミュージカルにホロリとさせられる。 何だかんだで大団円でご近所さんと一緒にパプリカチキンを食べられて良かったね(ニワトリはお気の毒)。 フランスの倫理観や民度はどうよ?と思いつつも、主人公と同じ歳の時に自分自身を出せたらと羨ましくもあった。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-04-25 23:07:06)(良:1票) |
6. 新幹線大爆破(2025)
ネタバレ オリジナルは未見。 可能な限り、予告編以外の情報はシャットアウトした状態で見た。 50年前の事件が幾度か言及されている通り、本作は続編寄りのリブートということになる。 SNSやスマホ、人気YouTuberによるクラウドファンディング身代金の要素は令和ならではと同時に、 清潔感がありながら上辺だけの虚無的な空気が感じられる。 その象徴が爆弾を仕掛けた犯人で、自らの手柄を吹聴している元警察官の父から虐待されていた女子高生だった。 爆弾の製作を教えた男も前作の犯人の息子というあたり、面子を保つための美談に走る偽善に満ちた現代社会への復讐。 登場人物の悪意ある言動がちらほら見えるも、その犯行動機にリアリティが一気に消失してしまう。 後半の犯人バレから展開がダレていくのは残念だ。 不倫した女性政治家が、重大死亡事故を引き起こした観光会社の社長が、引率の女性教師が役割を終えてただの背景と化す。 殺さなければ爆弾が解除されないという、『ダークナイト』ばりの究極の選択を迫られるもそんなことをする勇気もなく、 「お客様の安全を第一に守る」という主人公のモットーと、鉄道仲間のプロフェッショナルな仕事ぶりに、 困難に立ち向かう乗員乗客が一致団結する美徳が強調されるため、 JR東日本の特別協力と引き換えに思い切った展開にできず、"お行儀の良い映画"のまま終わってしまった。 本作の死亡者が別件の元警察官だけというのもね……大怪我した後輩が最後まで生きていたのが不思議なレベル。 ツッコミどころ満載はともかく、全員助かるご都合主義の塊が作品の緊張感を削いでしまった感がある。 だからこそ、当時の国鉄から協力を断られた故の制約で、ぶっ飛んだ話を作れたオリジナルに倣って欲しかった。 物語をその日の数時間に絞って、余計なドラマを最小限に抑えたことは評価したい。 [インターネット(字幕)] 4点(2025-04-23 23:16:37)(良:2票) |
7. 教皇選挙
ネタバレ ノーマークであったが、本作の評判を目に映画館へ。 混戦状態だった賞レースで作品賞サプライズ受賞の可能性もあっただけに、 本作も例に漏れず多様性を象徴していた。 前半にあまり乗れなかったものの、有力候補が次々と脱落していく権謀術数を巡らせる後半の展開に唸る。 もしかしたら主人公が後を継ぐのかと予想していたけど、新教皇の正体に唖然とした。 亡くなった前教皇はそれを知っており、当選率を上げるため、 選挙は主人公の行動も計算した上で全て彼の手の上で踊らされていたわけ。 ただ、新教皇が"手術"を受けなかったのは予想できなかったようだ。 信仰とは異なる存在への赦しと寛容である。 確信を持ってしまえば、変化も内なる疑念を抱くことも困難になる。 その象徴として、生粋のイタリア人で保守派のテデスコ枢機卿の、横柄な態度と終盤の台詞に、 ドナルド・トランプとダブってしまったのは自分だけか。 もしテロで枢機卿に死者が出てしまったら、テデスコが新教皇になる可能性があった。 トップを選ぶということは運命の悪戯で、社会を良くも悪くも変容させてしまう。 ラストシーンに伝統を重んじ閉鎖的なバチカンであることに変わりがないが、 僅かに光が差すような新たな時代の幕開けを感じさせた。 [映画館(字幕)] 7点(2025-04-05 16:54:06) |
8. 侍タイムスリッパー
ネタバレ 時とともに失われ、忘れ去られていく時代劇への敬意と郷愁。 誰もが考えるベタすぎる設定ながらも、観客の裏をかく脚本がお見事。 30年のラグで同様に未来に飛ばされていた"宿敵"との緊張感あふれる関係、 侍としての誇りと流れてゆく時代の無常さを感じながらも一つの区切りと情念を映画に残していく。 斬られ役の舞台裏を知ることができ、時折コメディ要素を絶妙なタイミングで挿入しているのもあり、 シリアスになりすぎないバランス感覚で明るく見終えられるのが良い。 [インターネット(邦画)] 8点(2025-04-02 23:08:20) |
9. ミッキー17
ネタバレ ポン・ジュノの本当に撮りたかった映画はこれだったのか? 搾取される側が体制に反旗を繰り返す話と言えば、過去作の『スノーピアサー』を思い出す。 格差というテーマは本作でも登場するが、そこに生命倫理が入ってくる。 というのも、先代の記憶を受け継いだクローンが主人公だ。 "使い捨て"として幾度か死んで甦るも、それは自分自身という"他者"の記憶を共有しているに過ぎない。 そのことを色んな人に聞かれても、「気分は最悪」としか言いようがないだろう。 搾取されるということは人間扱いされていないのと同義。 氷の惑星のクマムシみたいな生命体もそこに含まれる。 何で主人公を助けたのか、そこの掘り下げが欲しい。 権力者の都合で平然と尊厳を踏みにじる夫婦がマンガみたいに分かり易い悪役で如何にもと言ったところで、 主人公と同じく借金取りから命からがら逃げた友人のティモも平然と裏切るクズの小悪党。 搾取の階層が浮き上がる構図ながらその設定が上手く活かされていない。 なんせダメ人間のはずのミッキーがエリートなヒロインのナーシャと恋に落ちるのが不自然で、 裏があると思ったらそうでもなかったし、カイからもモテモテだけど彼女の出番はそのくらい。 もっと膨らませることのできる展開がいくつもあったのに全てが尻すぼみで終わってしまうのだ。 過去作みたいにもっとシニカルで居心地の悪いラストを期待していただけに普通に大団円風なのも頂けない。 これでは大ヒットは望めないだろう。 次回作は『殺人の追憶』や『母なる証明』のような現実的なサスペンスものを期待したい。 [映画館(字幕)] 5点(2025-03-29 01:35:24) |
10. エミリア・ペレス
ネタバレ 日本公開前から主演のトランスジェンダー女優のSNSでの差別発言が掘り起こされ、 賞レースに影響を及ぼすなどネガティブな話題ばかりが取り沙汰されていたが、 実際に本作を見ても先入観が覆されることはなかった。 "多様性"という一部の意識高い系映画評論家が持ち上げているだけで内容がまるで伴っていない。 正直、本年度のアカデミー賞で最多部門候補に挙がるほどかと。 事実、米配給のネットフリックスでも人気がまるでなく、ロッテントマトでも観客の評価は最低、 舞台のメキシコでも不評だらけだ。 そりゃそうだ。 日本に例えれば、日本のことをよく知らない外国人監督が、性転換するヤクザの話を描こう、 それで主演俳優陣が片言日本語だらけのアジア系俳優ばかりなら、この映画の違和感が分かるはずだ。 自分らしく生きたい、好きなように生きたいと歌っても、そこには責任が伴う。 性転換前は凶悪な麻薬カルテルのボスとして悪逆非道を働いた性同一性障害の男が、 "女"に生まれ変わって、行方不明者の捜索と遺族への支援といった慈善団体を立ち上げるも、 どこか凄い虫が良すぎるのではないか。 死を偽装しながらも、子供には会いたいと叔母として招くあたりもそう。 元妻も子供そっちのけで元カレと遊びまくり、 演じる俳優陣の素性もあって、身勝手すぎて感情移入できるわけないでしょ。 ギャング映画としても、社会派映画としても、ミュージカル映画としても中途半端。 単に"多様性"で誤魔化しているだけで、オーディアールのベストでもない。 グダグダな展開が続いて、エミリアが誘拐される事件が終盤起きるも、 発端が正体バレではなく、子供の"親権争い"と元妻の身代金目当てだから下世話すぎて… 取って付けたような悲劇的なラストも、自分からしたら因果応報にしか見えなかった。 もし、カマラ・ハリスが大統領になって、主演女優の炎上発言がなければ作品賞受賞の可能性があった。 観客不在であり、政治発言の場所ではない。 今後、トランプの"テコ入れ"前に方向転換するか、屈服を拒絶してDEIを推し続けるか、 映画産業は大きな転換点を迎えている。 クリエイターには本当に描きたいものは何か、その原点に立ち返って欲しい。 劇中でも現実でも振り回されたゾーイ・サルダナはもはや主演と言っても良いくらいの熱演で、 彼女のために3点献上します。 [映画館(字幕)] 3点(2025-03-29 00:44:17)★《更新》★ |
11. Flow
ネタバレ なぜ人類は文明を残して滅んだのか、そして大洪水が引き起こされたのかは最後まで明らかにされない。 なぜなら高度な思考も言葉も持たない動物たちが主役だから。 台詞はなく、擬人化も最低限で、映像がより雄弁に語り、没入感を深化させる。 数多くの余白に想像を掻き立てられ、語りたくなる。 異なる存在に目もくれない自分勝手な同胞よりも、辛苦を共にした異なる種族の仲間の大切さに気付かされる。 この先、再び洪水が訪れて、終着点のない旅路を流れ続けることを匂わせつつも、 今までいつも一匹だった黒猫はもう孤独ではない。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2025-03-14 23:58:06) |
12. 逆転のトライアングル
ネタバレ 全編にわたって寄せてしまう"眉間のシワ"。 原題は美容外科用語から来ている。 監督の前作『ザ・スクエア』は視聴済み。 2作連続でカンヌパルムドール受賞の快挙らしいが、他に相応しい作品はあったのではないか? 格差社会を描いたテーマは過去にもたくさんあれど、 本作はその対象物(男性と女性、富裕層と労働階級、白人と非白人、健常者と障害者、資本主義と共産主義)を広げすぎてしまい、 ブラックコメディとしての切れ味がイマイチだった。 居心地の悪さと気まずい空気を生み出す巧さは相変わらずだが。 割り勘を巡り、インフルエンサーの彼女と長々と揉める立場の低いモデル男性の卑小なプライド。 「スタッフを休ませなきゃ」という思いつきで無理矢理泳がせるセレブばあさんの偽善。 ファーストフードも高級ディナーも口に入れば、吐瀉物も排泄物もみんな一緒。 無人島漂着時、セレブ全員にサバイバルスキルがないために、唯一持っている女性清掃員が女王に君臨するグダグダな一幕。 どこかで見たことのあるような展開で、いくら皮肉たっぷりに金持ちも貧乏人も全方位的にコケにしたって、 前者からしたら免罪符、後者からしたらガス抜きにしか見えない。 今の資本主義社会の権力者の横柄に"ノブレスオブリージュ"は必要だが本作を見て襟を正す人はいるのか(財○省とかね)。 金で買える"安全な場所"がある限り、ヒエラルキーの頂点に立つ者はどこまでも無礼になれる。 無人島がリゾート地だと判明した瞬間、女性清掃員にはその金がないし、いつまでも平穏は存在しない。 社会構造が転覆しようが、これからもずっと誰かが割を喰らい続ける。 [インターネット(字幕)] 4点(2025-03-11 23:46:31) |
13. アンラッキー・セックス またはイカれたポルノ
ネタバレ 日本で劇場公開された監督〈自己検閲〉版ではなく、映画配信サイトJAIHOで配信されたオリジナル版で視聴。 本当に行為をしているのではないかという生々しい性描写がノーモザイクで繰り広げられ、 ハリウッドのR18指定映画がディズニー映画に見えるレベル。 舞台はコロナ禍のブカレスト。 夫との痴態を撮影したプライベートビデオがネットに流出し、その後始末に追われる名門学校の女教師の話。 品もなく、悪趣味かつ前衛的に描くことでマスクに隠された人間の偽善や差別意識を炙り出し、 一周回って社会風刺をさぞや高尚に見せているようで実は中身などない。 '70年代にヨーロッパで流行った悪趣味映画を、コロナウイルスの脅威に曝される時事ネタに差し替えただけだ。 かつてのチャウシェスク政権によるルーマニアの負の遺産? だから何だと言うのだ。 そんなものはどの先進国にもある事象でしかない。 第1章はコロナ禍のブカレストをただ撮っているだけ、第2章はゴダールみたいなアーカイブ映像と画像のコラージュ、 第3章は学校で保護者相手に説明する絶体絶命のピンチを迎えるさまを、3つのマルチエンディングで。 エンディング3番目は主人公がヒーローに変身して大人の玩具で懲らしめるジョークみたいな終わり方だが、 裏を返せば「こんな映画に本気になってどうすんの?」と嘲笑しながらも監督が逃走しているように見えなくもない。 ベルリン映画祭で金熊賞を受賞したらしいが、本作を評価できるほどインテリジェンスはありません。 [インターネット(字幕)] 2点(2025-03-11 00:34:38) |
14. TATAMI
ネタバレ 2023年の東京国際映画祭で本作が紹介されており、劇場公開を期待していた。 イラン政府の家族や立場を人質に取ってでも棄権を強要するやり口には憤りを覚えるし、 柔道の指針である「心・技・体」の精神に背いていて、国家としての参加資格はないだろう。 スポーツと政治は別物のようでいて表裏一体。 歴史上、国威発揚と言いながらプロパガンダの道具にされたことなど数知れず、現在でも変わらない。 工作員が大会の観客として、スタッフとして紛れ込み、揺さぶりをかけてくる。 信頼していたコーチからも同じチームの選手からも孤立し、 人生を賭けた試合で肉体もメンタルも限界の中、レイラはどう勝ち上がっていくのか。 同時に訳ありなコーチの葛藤や心の機微も綿密に描写しており、もう一人の主人公と言っても良い。 モノクロでスタンダード比率の画面が映像を引き締め、閉塞感を強調する。 (低予算で観客のエキストラを呼べない、チープさを誤魔化したいのもあるが)。 己の立場や面子より試合を続けさせるためにレイラを守ろうとする柔道協会のスタッフの奔走、 一度はレイラを裏切ったコーチが「負けるな!」と応援する展開が熱い。 スポーツにはフェアネスがあり、尊厳があってこそ成り立つものだと認識する。 それでもレイラは準決勝で負けてしまうのだが、もしイスラエルの選手と戦っていたら、 優勝する展開があったら、リアルで大問題になってしまうからか、フィクションとは言えあえて出し惜しみしたのかな。 政府の意向に背いたコーチは拉致されかけるが逃走、柔道協会に助けを求める。 そしてレイラに涙を流しながら自分の嘘を告白し和解する。 国家に利用されるだけの嘘だらけの人生に別れを告げ、一年後、亡命先のパリで難民代表として再スタートを切る二人。 イランに限らず、母国から亡命した人々が祖国に戻れるように、 良い国だと誇れるように少しでもマシな未来になってほしいものである。 [映画館(字幕)] 7点(2025-03-01 22:10:19) |
15. ANORA アノーラ
ネタバレ 大人だからこそ、若さがあるからこそ、大きな困難を乗り越えられると思っていた。 だが、いくら大金を得られてもヒエラルキーからは逃れられない。 そして強大な権力によってどうしようもない厳しい現実に打ちのめされる。 NYのストリッパーで時折性的なサービスも請け負っていたアノーラが求めていたのはお金だったのか、 それとも自分自身を受け入れてくれる代わりの利かない愛情だったのか。 最初で最後かもしれないチャンスに彼女は必死にしがみつく、必死に抵抗する。 大富豪の部下たちの脅しには汚い言葉で打ち負かし暴れまくる。 決して折れまいと毅然とした態度で立ち向かうマイキー・マディソンのパフォーマンスに圧倒された。 ポールダンスからロシア語まで完璧にこなし、アノーラというキャラクターに現実味を与える。 本作では愚かな人間しか登場しない。 勢いでアノーラと結婚した大富豪の息子のイヴァンですら、彼女を置いて逃走して、NYのクラブで泥酔しまくるし、 自分という核がなく流されるがままの幼稚で無責任な青年。 両親を見ても「この親にして、この子あり」な横柄さでロシアという国家そのもの。 その中で寡黙な用心棒のイゴールだけはアノーラに対して距離を置きながらも、彼女を気遣い、見守っていた。 婚約解消のシーンで部外者ながらイヴァンを謝罪させるべきだと進言したのも彼だった。 ある意味、彼だけはファンタジーの住人だ。 当たり役を好演したユーリー・ボリソフに肩入れしたくなる。 夢から醒めたように現実に叩き戻されるラスト。 朝から白い雪が降り続く灰色の世界に、車内にはワイパー音だけが響いている。 自分に良くしてくれたイゴールへの厚意を性行為でしか示せない悲しさに今まで張り詰めていた糸が切れ、 アノーラは"一人の女の子"として泣き崩れる。 イゴールもやんわり拒否しながらも無言で、 「もうこれ以上、自分を傷つけなくていいんだ、頑張ったよ」と彼女を慰めているように見えた。 アノーラのこれからの物語はどうなるのだろうか? きっと、二人は恋人同士になれなくても、お互いに信頼し合える存在として支え合いながら強く生きていくと思う。 なんたってアノーラはロシア語で"光"を意味するのだから。 [映画館(字幕)] 7点(2025-03-01 21:18:50) |
16. タバコは咳の原因になる
ネタバレ タバコに含まれる5種類の有害物質で悪の軍団と戦う「タバコ戦隊」は今回も敵を退治するも、 地球滅亡を企むラスボスのトカーゲに立ち向かうには結束力が足りない。 そこでネズミ司令官の命令で湖畔の基地で合宿を行うのだが…。 日本の戦隊ものをリスペクトしているのか、茶化しているのかよく分からないゆる~い空気に、 本筋とはかけ離れた怪談話ばかりして、時折牙を剥くグロ描写。 ダニエルズとは別のベクトルのシュール&ナンセンスさに戸惑いを感じてしまう。 5人ともほぼ同じスーツで色さえ分けてくれたら少しは楽しめたかも。 本作の本質とはズバリ"恐怖"。 合宿先で特殊なトレーニングを受けることもせず、ヒーローものとは無関係な怪談話に花を咲かせる。 しかもどれもこれも中途半端でオチがない、ただ消費されるだけ。 つまるところ、自分たちが負けたら地球が滅亡するという本筋=最悪の恐怖から逃げているとも言える。 だから、トカーゲの計画が前倒しになったとき、狼狽して何もできないので新たなサポートロボットに頼る。 ところが、その最後も脱力したくなる展開で、トカーゲは夕食で妻子に毒を盛られて死ぬことになり計画は中止、 サポートロボットの時代逆行機能も一向に起動することなく、前のロボットの方が有能だったという。 今までの話は、怪談話はいったい何だったのか…… 戦隊5人でタバコを吸いまくり、プカァーって煙を浮かべるラストシーンに哀愁が漂って笑える。 喫煙で頭がボーッとしていって、後ろ向きな脆い絆とひたすら現実逃避し続ける人間の弱さがそこにあった。 [インターネット(字幕)] 4点(2025-02-28 22:50:13) |
17. セプテンバー5
ネタバレ 報道が、情報が、人を殺す、社会を捻じ曲げる。 スピルバーグの『ミュンヘン』でも描かれた、 1972年のオリンピックで起きた「黒い九月事件」をアメリカの放送局の視点で描いた社会派ドラマ。 全編の9割がスタジオのみの展開であり、直接的な犯行シーンが一切ないことから、 前代未聞の事件に対する混乱、情報が錯綜するクルーたちの判断が"報道することの重み"を突きつける。 パソコンもない時代、当時のテロップが如何に表示されていたのか興味深い。 注目を浴びたいがためのインパクト重視の報道により、犯人側に重大な情報が提供されてしまう皮肉さ。 情報の裏付けを取らないまま、人質解放のニュースを流し祝杯を挙げたその矢先の急転直下、そして最悪の結末へ…… 未曽有の事態によって生み出された悲劇を教訓に、その繰り返しによって現在の平和が成り立っている。 テレビの報道バラエティで活躍する某ジャーナリストが本作へのコメントを寄せていたが、 別の記事で偏向報道を是として開き直る姿勢に呆れ果てたことがある。 日本のオールドメディアを見ていると、過去からむしろ何も学んでおらず、 フラットな視点もないまま扇動しているとしか思えない。 視聴率さえ取れれば、メジャーリーガーの自宅を空撮しても構わないほど良心の呵責もなく、 自分たちに都合の悪い情報は"報道しない自由"を行使するわけ。 その積み重なった信用のなさがネットやSNSといった新たなメディアへと移行するきっかけになった。 だからといってネットが真実でもなく、プロパガンダもデマもディープフェイクもあふれる世界で、 どれが正しいかを見極め、誰もが情報を発信できることに身が引き締まる思いだ。 テロの生中継という結果的に凶悪犯を喧伝させる事態にさせたこと、そして9億人がその生中継を目撃したということ。 ラストのテロップが静かに重くのしかかる。 [映画館(字幕)] 7点(2025-02-24 23:15:13) |
18. ブルータリスト
ネタバレ アメリカンドリームが華々しく煌びやかであるほど、あぶれた分だけ漆黒の絶望が広がっていく。 虚栄と強欲にあふれたアメリカで偽りの自由に囚われ、"アメリカ人"として生きていくこと、そして己の帰属意識とは? 「期待はしていない」と常にやつれた顔を見せる建築家。 ホロコーストから逃れても、新天地でも差別され、搾取され、凌辱されて支配される。 緩慢な地獄、そしてシオニズムへの回帰。 ブルータリズム建築物はコンクリートを中心に構成された、どこか無機質で冷たく、コントロールされた印象を受ける。 それはタイトルの語源である"Brutal"="残忍な"を意味する通り、 人間の残忍さだけでなく、狡猾さ、傲慢さ、醜さ、愚かさと卑小さを兼ね揃えている誰にでも持つ本質。 それでもなお、その先にある"到達点"こそ重要であると。 ユダヤ民族の苦渋の歴史を生々しく映しながらも、尊厳としての、抵抗としての建築物を残すこととリンクする。 そこに意思を貫こうとする"美しさ"があった。 (ただ、イスラエルのガザ侵攻を見るに、公開時期的にタイミングが悪いとしか言いようがない)。 215分の長尺であるが2部構成に分け、中盤に15分の休憩時間を差し込むことで、 意識の切り替えと後半への期待を寄せる、故に観客を退屈させない仕組みを構築している。 昔の大作映画にはそういうものがあったそうで、今までにない貴重な体験。 オープニングとエンドクレジットの意匠凝らしに、 クラシックへの回帰だけでは終わらせないアーティストとしての矜持を感じた。 そう、本作の監督はブラディ・コーベット。 ミヒャエル・ハネケのリメイク版『ファニーゲーム』に出演したぽっちゃり系の若者は生き残るため監督へと転身した。 若さ故だからこそ挑発的な作りであり、巷にあふれている消費されるだけの映画業界に対して抵抗を叩きつけた。 粗削りで暴力的とも言える野心たっぷりで、負けてたまるかと言わんばかり。 次世代のアーティストが力で押さえつけようとする時代と戦い続ける限り、これだから映画はやめられない。 [映画館(字幕)] 8点(2025-02-21 22:36:03) |
19. リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様
ネタバレ 公開当時、一部の識者から「ヤバい」と言わしめた怪作をようやく見れた。 タイムスリップ、ミュージカル要素があるとは知っていたが、意外にも"普通の映画”だった。 初めてテニプリを見る人には開いた口が塞がらない凄まじさだが、 私にはもっと狂ったものを期待しただけに肩透かし感はあった。 原作漫画こそ原点で頂点ということを再確認した形だ。 CGがプレステ2並みのクオリティだなんて些細なこと。 テニスギャングやらラップバトルやら脚にラケット付けてテニスやら、アレな情報量が多すぎる。 現役時代の南次郎に見つかっても、家族共々なぜか受け入れてしまうしツッコミどころ満載。 歴史改変を始めとしたタイムパラドックスとか大丈夫?かなんて気にしない。 「だってテニプリだから」で片付けられるヤバい世界だから。 原作の最初期に登場し、終盤につれて次第に存在が透明化していったヒロインの桜乃が、 本作ではメインで活躍していたのは嬉しかった。 原作者が製作に関わっているのもあるが、『テニスの王子様』の本質に立ち返った物語になっていた。 本作には二つのバージョンが存在しており、公衆電話からの通話相手がそれぞれ違い、 己の価値観に基づいたアドバイスをリョーマに授ける(全体のストーリーに大きな変化はなし)。 クライマックスでは強さの根源を探るべく南次郎と試合するのだが、なぜか青学の先輩たちを始め、 他校の選手たちも召喚されて踊り狂うミュージカルに。 特に突然の柳生比呂士の独断場に笑ってしまった。 声優がかつて『アナと雪の女王』のハンス役の吹き替えを担当していただけあって、 わざわざこのシーンのためだけにその上手さを笑いに変えているのがズルい。 少年誌原作ながら女性ファンの心を射止め、乙女ゲームまで作り、 ドラゴンボール並みにインフレ化していくギャグバトル"テニヌ"漫画としての側面も忘れない。 老若男女、誰もが笑顔になる、それが『テニスの王子様』だ。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-02-15 23:59:20) |
20. チャレンジャーズ
ネタバレ テニスプレイヤーの親友の二人が将来有望な一人の女性テニスプレイヤーを愛し合う。 まるで実話みたいな内容だが、本作は完全なフィクションである。 (かつて選手だったフェデラーの妻のしかめっ面から着想を得たらしい)。 親友同士だった二人の試合と10数年にも渡る愛憎に満ちた三角関係の行方を、 ラリーのように現在・過去・現在・過去という具合に時間軸を交錯させていく。 三角関係だったらどこにでもある題材だが、男二人のキスシーンに驚いた。 その二人を止めることなく、笑顔になるヒロインのタシ。 監督がかつて同性愛映画を撮っていたルカ・グァダニーノだから、普通のテニス映画にならないわけだ。 現在で描かれる試合に向けて、テニスでしか生きる意味を見出せない三人がそれぞれ切望しているもの。 試合前日に罵り、不安を煽り、心理面で揺さぶりをかける。 タシは本当に二人を愛していたのだろうか? 選手生命を絶たれ、それでもコーチとして表舞台で注目を浴び続けたい理由付けのためにアートを利用したのか? アートは自分をコントロール下に置くタシに愛想が尽きたのか? パトリックは本当はアートと復縁したいのか? それぞれの思惑が意見の分かれる曖昧なラストに結実していく。 その後の物語は一切描かれていないが、タシの"Come On!"(やった!)を見るに、 あの一瞬の理想のために三人は手に入れたいものを手に入れたのだろう。 テニス映画として見ると、コミュニケーションツールとしての役割でしかなく、別にテニスで描く必要はない、 デヴィッド・フィンチャー映画でお馴染みのT・レズナーとA・ロスのコンビによる スコアの完成度が高かっただけに拍子抜けした。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-02-15 01:16:04) |