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目隠シストさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2250
性別 男性
ホームページ https://twitter.com/BM5HL61cMElwKbP
年齢 52歳
自己紹介 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

2024.1.1


※映画とは関係ない個人メモ
2024年12月31日までにBMI22を目指すぞ!!

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1.  さかなのこ 《ネタバレ》 
世に数多存在するサクセスストーリーは「目標を掲げ」「弛まず努力し」「挫けず諦めず」「成功を勝ち取る」が基本です。その点本作は全く当てはまりません。好きな事を続けていたら人気者になれた話。メッセージは極めてシンプルで「好きなことをしよう」です。これは「自分らしく生きることのススメ」でもありました。『そんな綺麗事言ったって結局は成功者の自慢話じゃん』にならないのが素晴らしい。そのためにわざわざ本人(原作者)を登場させ「さかなクンが世に出なかった場合」もフォローしています。彼は不幸せに見えますか?人生の勝ち負けとは「お金」でもなければ「社会的地位」でもありません。楽しく生きた者勝ち。そこに出自や性別、健常性といった属性は関係ないのでしょう。とはいえ「お金は無くていい」「社会に認められなくていい」「好きなことだけすればいい」ではありません。ミー坊はきちんと報酬を受け取っていますし、魚の絵が評価されたのもTVで人気が出たのも社会のニーズと合致したから。よく伊集院光氏が師匠・三遊亭円楽の言葉として『好きなことに社会性を持たせろ。そうしたら食っていける』を紹介しますが、まさに本事例のこと。ただ残念なことに皆が実践できる生き方ではありません。「運」の要素は少なからずあります。実際ミー坊はついていました。彼の成功は「子の好きを肯定し続けた母親」と「よき理解者の助力」があったればこそ。とくに母親については(嫌な言葉ですが)「親ガチャ」と呼ぶくらい完全に運任せです。「あの母親にしてミー坊あり」なのは間違いありません。たぶん我が子の生まれ持った性質上「出来ないことを出来るようにする」は多大な苦しみが伴い幸せを遠ざけてしまう。それなら「好きなこと、やりたいことを全力で応援する」へ教育方針の舵を振り切ろう。そう決断したのだと思います。これは生半可な覚悟ではありません。「普通」を捨てることだから。もしかしたら離婚原因の一端では。そうだとしたら夫とお兄ちゃんは大変お気の毒ですが「腹を括る」とはこういうこと。母親はミー坊の幸せだけを願ったのです。その強い思いこそ「愛」であり、尊くもありますが恐ろしくもあります。 実は本編冒頭の「男か女かはどっちでもいい」でズッコケました。あぁ~しらきかと。そんな事は物語を通じて伝えればよい話で、わざわざ最初に断るなんて野暮もいいところ。あまり期待できないと感じました。ところがどっこい。もうずっと可笑しくて。本当に全部楽しかったです。それでいて寂しくなったり、辛くなったり、嬉しくなったり、グッときたり。大いに揺さぶられました。脚本が良いのは勿論ですが、それ以上にキャスティングが神懸っておりました。何といっても主演ののんさんが素晴らしい。ミー坊役がフィットする男性俳優さんなら沢山思いつきますし、雰囲気重視なら「もう中学生」もイケそう。それなのに、あえて役と性別が異なる女性俳優を選ぶとは。『福福荘の福ちゃん』じゃあるまいし。ある意味博打だった気がしますが、ジャンボ宝くじ1等級の大当たりじゃないですか。あえて「男か女かは~」と宣言した監督の気持ちも理解できるというもの。もう「のんミー坊」にゾッコンでした。自分のナイフは魚臭くなるから嫌だとか、ししゃもの種類で店員に酔って絡むとか、ミー坊が映る全シーン全カットに釘付けでした。破格の愛らしさとでも申しましょうか、人間性の「旨味」に溢れていたと思います。のんさん(能年玲奈も含む)主演作品は『海月姫』と『この世界の片隅で』を鑑賞済みでしたが、これほど魅力的な役者さんとは気づきませんでした。面目ない。替えが効かないオンリーワンな俳優さんだと思います。脇を固める皆さんも最高でした。友情厚い狂犬、実は気のいい総長、シャツの網目が広すぎるカミソリ籾、トホホなバタフライナイファー(そんな言葉はない)、胡散臭い成金?歯医者、憂い多きモモコさんに顔が優勝娘ちゃん、もちろん強くて優しいお母さんも。例外は先生(ドランクドラゴン鈴木)くらいかな。うそうそ冗談です。もう全員大好きです。やはりコメディはキャラクターが命。これだけ素敵な人を揃えられたら文句の一つも出てきません。奇を衒ったようにも見えますが、王道の人間賛歌であり愛の映画でありました。年明け早々こんなに長文になってしまい申し訳ありません。いつもはこの半分くらいを目安に感想を纏めるよう心掛けていますが今回ばかりは無理でした。それだけ「語りたくなる映画」という事でお許しください。本編も2時間20分もあることですし。
[インターネット(邦画)] 10点(2024-01-01 00:00:00)(良:1票)
2.  サマーフィルムにのって 《ネタバレ》 
どこから見ても『時をかける少女』+『映像研には手を出すな』です。かの作品に対するオマージュを隠す気も無さそうです。また、映像研が商業アニメ製作のリアルを体現したシリアスな格闘技だとすれば、本作は真っ当な高校部活動の範疇であり「ものづくり」に対するガチさを物差しとするなら、さしずめ学生プロレスと言ったところでしょうか。だいぶヌルい。しかしプロレスにはプロレスの良さがあります。いいトコ取り、何でもあり。時かけの切なさ、映像研の産みの苦しみをブレンドした物語は注文どおりの面白さでしたし、クライマックスの破天荒ぶりには度肝を抜かれました。映像研の浅草氏なら(プロの映画監督なら)絶対にあんな展開は選びません。「ものづくり」のルールに反するから。しかしプロレスなら出来るのです。「何時だってやり直せる」が綺麗事ではなく現実に起きる奇跡を目の当たりにして涙が溢れました。未来人がタイムマシンでやってくるなら、ホウキくらい日本刀に変わるでしょう。どさくさに紛れて散々ディスってきたラブコメまで肯定してしまう力技もまさにプロレス的であります。消えて無くなるものに全力を尽くし、思いを繋げることで夢を託す。私たちが生きる意味は青春の中に詰まっています。 主演のハダシこと伊藤万理華さんが実に魅力的でした。少年っぽいというか、無垢なラランドサーヤというか、バカリズム的というか。まあめんこいこと。オタク魂が宿った一挙手一投足に釘付けで、ずっとニヤニヤしながら眺めてしまいました(特に曲がった口元がチャーミングで『キック・アス』のヒットガールや『女子―ズ』の桐谷さんのように美人が口を歪める様に個人的に弱いみたいです)。実写の浅草氏も彼女が適任なんじゃないかと。2代目水川あさみ?こと祷キララさんも『ファンファーレが鳴り響く』から更生したようで何より。もう一人の女監督(花鈴さん)も可愛かったなあ。そして忘れてならないのは影の主役・ダディボーイ役の板橋駿谷氏。熱演でした。実年齢30代半ばの老け顔高校生お見事でした。それにしてもブルーハワイとかビート板とか、ニックネームがもはやスパイ映画のコードネームのようです。
[DVD(邦画)] 10点(2022-04-30 11:04:14)(良:1票)
3.  サマーウォーズ 《ネタバレ》 
おばあちゃんは電話を使って関係機関に働きかけ、被害拡大を食い止めました。夏希のピンチにはネットを通じ全世界から救いの手が差し伸べられた。通信手段こそ違えど、人と人との繋がりが力を生むことに変わりはありません。一人では不可能な事でも、大勢が集まれは成し遂げられる。瞬時に全世界と情報を共有できる現代は、それだけ莫大な力を生む環境が整っていると言えます。しかし“情報”そのものが力を持っている訳ではありません。情報はただの記号。「助けて欲しい」という記号も、相手の心に届かなければ意味がありません。記号に意味を与えるのも、実行力を伴わせるのも人間です。おばあちゃんの「あんたなら出来るよ」という励ましの言葉に、夏希たちの必死な姿に、人々が動かされたのは何故か。其処には人の心を動かす“確かなもの”が在ったのだと思います。人脈であり、人柄であり、熱意であり、花札の強さであり。「夏希が美人だからだよ」という軽口も、あながち間違ってはいません。全てひっくるめて人間力。祈るだけではダメ。想いをかたちに変える力が必要なのです。おばあちゃんの人脈は、おばあちゃん一人の手柄ではなく陣内家が膨大な労力を費やして培ってきたもの。夏希が勝負の舞台に立てたのも親族の総力の結晶。大きな事を成し遂げるには多くの助力が必要で、多くの助力を得るためには、それ相当の実力が要るということ。時代や場所が変わっても、その原理原則は変わらない。このテーマは全ての人に通じます。胸を打たれました。ちなみに一番気に入ったシーンは、夏希の吉祥天でも、キング・カズマのバトルでもありません。おばあちゃんが主人公と花札をして笑った場面でした。あの素敵な笑顔。おばあちゃんが慕われている理由がすっと理解できました。実は細田アニメの凄いところはココじゃないかと思うのです。物語に命を吹き込むのはキャラクター。線が細くクセの無い作画は、一見すると迫力に欠ける印象を受けますが、とんでもない。デフォルメされた崩れた顔、ただじっと見つめる瞳、どの表情からもその人物の気持ちが伝わってきました。このセンスと技術は高く評価されて然るべきと考えます。『時をかける少女』の次ですから相当なプレッシャーがあったことでしょう。にもかかわらずこんな素晴らしい作品を創り出すとは。心から敬意を表します。次作は劇場まで足を運ぶことを約束します。次も傑作よ「こいこい!」
[DVD(邦画)] 10点(2010-11-24 18:12:05)(良:1票)
4.  さがす 《ネタバレ》 
胸糞な展開やエグい描写で心を搔き乱す映画を私はあまり評価しません。エンターテイメント上のテクニックを感じないから。吊り橋効果を利用した興奮や感動に興味はありません。そういう意味で、私は園子温監督作品を好みませんし(いつも引き合いに出してすみません)、本作もそんな映画の類かと思われました。しかし観終えて予想は見事に裏切られました。刺激的な要素は物語を紡ぐ一要素でしかなく、本作の本質はミステリーであり、そして何より親子愛を描いた濃厚なヒューマンドラマでありました。おそらくラストは近年の邦画史に残る名シーンと思われます。父と娘が卓球でラリーをしながら言葉を交わすのは僅か5分ほど。言葉のひとつひとつ、表情、空気と間を噛みしめ、2人の心を読み取ってください。パトカーのサイレン音に「お迎えが来たで」。いつもの軽口に重力が発生する異空間。私は父の立場に我が身を重ね、切なくて、やるせなくて、いたたまれませんでした。しかし救いはあります。我が子は何と立派なのかと。楓はまだ中学生。普通は真相を知っても金縛りでしょう。然るに彼女は父と堂々と対峙し、その非を咎めました。残酷です。無慈悲です。でも彼女は正しい。正しい子に育った娘を誇りに思わぬ親は居ません。「うちの勝ちやな」娘の勝利宣言は、まさに子が親を超えた瞬間でもありました。父が感じたのは嬉しさと寂しさか。それはこんな修羅場にあっても変わらないと思います。礼儀や躾はイマイチだけど、それを補って余りある強い魂を楓は持っています。 どの役者さんも文句なく素晴らしく、満遍なく褒めたいのですがキリが無いので一人だけ。となると、私的にはやはり佐藤二朗氏に言及したい。クセが強い独特な演技スタイルは福田雄一コメディで脚光を浴びていますが、本作のようなシリアスドラマにこれほどマッチするとは驚きでした。本当に素晴らしかったです。今まで色物系キャラクター俳優との認識でしたが、大変失礼いたしました。見方を改めます。超一流の実力派俳優で間違いありません。大拍手です。
[インターネット(邦画)] 9点(2022-08-04 14:28:44)(良:2票)
5.  ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結 《ネタバレ》 
洗練されたアクション。社会風刺あり、メッセージ性ありの骨太映画でありながら、パッケージは完全にオフザケ馬鹿コメディ。グロテスク描写も明らかにやり過ぎです。B級映画の皮を被ったA級作品。外見と中身のミスマッチ感(あるいはツンデレ感?)に痺れました。そして何より素晴らしかったのが、いつ誰が死んでも不思議ではない空気感でした。開始早々大した見せ場も無く次々と死んでいくタスクフォースXのメンバーたち。いやーこういう戦争映画を見たかったのです。これが殺し合いのリアル。まさに『スーサイド・スクワッド』の世界でした。体に良いものから害悪なものまで、美味しいもの全部載せのスペシャルパフェのような娯楽(ご馳走)映画。早期リメイクも大納得の快作でありました。続編期待しておりますね。
[DVD(吹替)] 9点(2022-05-03 23:58:57)(良:2票)
6.  ザ・ハント(2020) 《ネタバレ》 
何者かによって拉致され、殺人ゲームなり殺し合いなりを強要されるパターンは、今やバイオレンスホラー『定番』設定のひとつ。本作の場合、12人の男女が森の中に集められました。武器の支給あり。事前アナウンスはなく、いきなり銃撃されハンティングゲームの開始です。そもそもB級映画仕様のお話。理念やメッセージ性はハナから期待していませんし、むしろあると面倒くさい。重要なのは純粋に“サバイバルゲームとして面白いか否か”です。その点、社会風刺の色合いはあるものの、ゲーム自体のパワーバランスや公平性に問題はなく、途中ルール変更もありませんでした。このあたり結構テキトーな作品が多いので一安心。ゲーム開始直後の緊張感は素晴らしかったですし、後に判明するハンティングゲームが開催された経緯も馬鹿らしくて好みでした。 もっとも、本作最大の魅力は主人公クリスタルのキャラクターに違いありません。見た目は完全に脇役のそれ。派手な美人タイプではありません(失礼)。しかし、表情が実に“そそる”のです。眉を顰め、口を歪ませ、いつも少し不機嫌そう。これは理不尽な殺人ゲームに強制参加させられたからではなく、彼女の標準スタイルでしょう。現状に希望も絶望も抱いていないが故の平常心。だから注意深く観察し、的確な判断が下せるのだと思います。最初の立ち回りやアシストグリップを握っての一撃、その容赦の無いアクションに痺れました。ちなみに役者さんの名前はベティ・ギルピン。本サイトの人物登録が無かったので調べたところ、主にTVドラマ畑で活躍されている女優さんのようです。お名前覚えましたよ。実は3回ほど続けて鑑賞しています。それだけ彼女の不機嫌そうな顔が魅力的だったのです(決して立派な胸に惹かれたワケでない事だけはご理解ください)。物語の性質上、続編は難しいと思いますが、クリスタルのキャラクターを本作だけに留めておくのは勿体ない話。別作品に出張して登場してくれないかしら。アンチヒーローな刑事役とか、ピッタリだと思うのですが。
[インターネット(吹替)] 9点(2021-08-30 19:24:18)(笑:1票)
7.  サイドカーに犬 《ネタバレ》 
本来あり得ない“本妻の娘と愛人の友情”が、これほど自然な形で成立したのは何故でしょう。もちろん薫が幼かったせいもあります。でもあれくらいの年頃でも、男女の機微は分かるもの。女の子なら尚更です。薫が愛人であるヨーコをすんなり受け入れたのは、彼女が無防備だったからだと思いました。まるで親戚のお姉さんが遊びに来たようなノリで、ヨーコは薫の懐に入ってきました。無防備な相手には、こちらも防御を解いてしまうものです。薫はヨーコを敵と認識する前に、彼女を認めてしまいました。好きになってしまったのです。決め手は、コーラを一緒に飲んだ時。大人の女性に「尊敬する」と言われたら、小学生くらいの娘だったらメロメロでしょう。おそらくヨーコは薫に気に入られようと計算をしていません。薫を所詮子供と侮ってもいません。きっと彼女は相手の肩書きに興味がないのです。大切なのは人格のみ。だからこそ不倫にも躊躇が無いとも言えます。彼女は彼女の基準で生きているということ。真っ直ぐに、ひたすら正直に人と向きあえるヨーコは、途方も無く魅力的だと思いました。その反面、怖いとも思いますが…。「サイドカーの犬」はパートナーに目的地まで連れてってもらう人。薫はそういうタイプだといいます。多分母親もそうなのでしょう。思い通りにならないけれど楽チン。一方ヨーコは自力で目的地へ向かうタイプ。薫にとっては新鮮な価値観でした。自力で漕ぐ自転車の心地よさを、薫はヨーコから教えてもらいました。その結果、今の彼女があるのです。ちょっと大変だけど、薫は自力で自らの人生を漕いでいます。彼女の中にある理想は、颯爽と風を切るヨーコの姿。憧れと共にキラキラと輝く。成長期の出会いは、その後の人生を左右します。正直、薫を羨ましいと思いました。
[DVD(邦画)] 9点(2008-08-27 21:42:06)
8.  サイコ・ゴアマン 《ネタバレ》 
80年代少年漫画でありそうなベタなファンタジー設定と、CG全盛の今となっては懐かしい「特撮」の相性や良し。50代の私にとっては、ある意味ノスタルジーに浸れる作品でありました。宇宙人(もはや怪人)のデザインは『真・女神転生』や『ベルセルク』あるいは日本特撮系アクションヒーロー悪者の系譜。コメディパートはシュールかつクレイジーで遣りたい放題。人物造形も気持ちがいい。特にミミちゃんとお父さん。好きな人には「たまらない」のは間違いなく、かくいう私にとっても「あざとい」と感じるくらいドストライクなB級映画でありました。ただし一般的には「なんじゃこりゃ」であろうことも想像に難くありませんが。 オチについて一考。宇宙を滅亡させるほどの力を持った(ホントかな?)サイコ・ゴアマンを世に放った点をどう評価しましょうか。これは「罠にかかった熊を可哀そうだから森へ逃がしてあげました」と同類なのか、あるいは「人知及ばぬ自然災害は諦めるしかない」なのか。おそらくどちらの要素もあるでしょうが、一切丸く収める気のない無責任な結末に痺れました。化け物に変えられてしまった少年の顛末についてもそう。せめてサイコ・ゴアマンに元に戻してもらうお願いくらいすればよいものを、ミミちゃんにそんな素振り全くなし。ヒトデナシが過ぎます。きっと「腹水盆に返らず」「悔いても仕方がない」「それなら前を向きましょうよ」なのでしょう。所詮他人事だからとも言えますが(ホントに酷い!)ブラックコメディとして正しい姿勢ですし、見方を変えれば「達観している」とも言えます。下品ではありますが、なかなかにハイブローでは。「好きな人にとっては」という注釈が付くものの見事な出来栄えだと思いました。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-01-19 19:47:19)
9.  三度目の殺人 《ネタバレ》 
咲江(広瀬すず)が事件に関与していると認知された後、主人公および観客の間で共有されてきた『事件の真相』は、一般的に“腑に落ちるもの”でした。裁判途中で三隅が突然翻意した件も、この仮説を裏付けます。ですから裁判終了後、三隅の元を訪ね真意を質した重盛に対して、彼が黙って“頷いてさえくれれば”何の問題もなかったのです。ところが三隅は『それはいい話ですね』と嘯きます。例えば鉄棒の演技。後は着地だけのところで床が消えてしまったような。宙ぶらりんなこの感情をどうしてくれるの。 重盛や観客が想定していた『ストーリー』は、多分に性善説に基づくものでした。しかし元裁判官である重盛の父は『殺す奴と殺さない奴の間には深い溝がある。どちらかは初めから決まっている』と口にしています。そう三隅は『人を殺せる』側の人間でした。先の事件で彼が2人殺している事実は消えませんし、仮に誰かを助けるためだったとしても、普通は人殺しなどしません。 三隅を表す象徴的な言葉『器』。先の事件の関係者は、彼の本質が何かわからないと言いました。しかし、これは三隅に限った話ではありません。他人を理解することなど、土台無理な話。評価する側の価値観、経験測、信念等を頼りに想像するのみ。自分のキャパシティの範囲内で“分かった気になる”だけで精一杯。そういう意味では、重盛も、咲江も、それぞれの人間観で三隅の器に『納得できる人殺しの理由』を入れたに過ぎません。 おそらくこれは司法制度も同じ。真実を見極めることは至難の業。結局は、被害者や加害者、そして何より第三者(社会)が、それなりに納得できる“落としどころ”を見つけるのが本来の司法制度の趣旨という気がします。
[インターネット(邦画)] 8点(2021-06-07 17:56:30)
10.  残酷で異常 《ネタバレ》 
ありそうで無かった気がする××の描き方。『後悔先に立たず』されど『反省はできる』がテーマかと思いきや、『どんな完璧なシステムにもエラーは付きもの』という意外な着地点でした。キアヌ・リーブス主演の某オカルト映画のルールに従うなら、主人公は××から〇〇行きへ変更になっても良さそうな気がしますが、婆ちゃんの面目を潰したからダメなんですかね。もっとも彼は覚悟の上ですから、何度同じ体験を強いたところで、満足こそすれ反省などしないでしょう。表情をみれば一目瞭然。こういう人には、諦めて〇〇に行ってもらうか、もう一度『苦行』を課した方がいいと思いますが如何ですか、お婆ちゃん。集会で美魔女が椅子を2つ占拠していたり(一つは踏み台)、急に老化したように感じたり(時間軸が異なる)、芸が細かくて感心します。婆ちゃんやピッカリ君をブラウン管に閉じ込めたセンスもなかなか。唯一邦題だけは頂けないなあと思ったら、原題直訳ですか。なら仕方ないです。
[インターネット(字幕)] 8点(2020-11-15 01:56:49)(笑:1票) (良:2票)
11.  散歩する侵略者 《ネタバレ》 
(以下私なりの解釈です。黒沢清映画を楽しむ為のお約束ですので、誤読解等あるかと存じますが何卒ご容赦ください…)  本作の宇宙人は実体を持ちません。いわゆる『思念体』系。物質を生命の拠り所としないので、寄生する肉体に対して無頓着です。宿主が死ねば別の人体に乗り換えればよし。というより、生死の概念についても我々とは根本的に異なるのでしょう(ついでに言うなら、物質主義でないため、通信装置を製作するにも大層な部品を必要としない理屈。だから針金でOK。コレ斬新ですね)。ここから、彼らの言う『侵略』の正体が見えてきます。人類は命を奪われるとは思えません。侵されるのは頭の中。人類滅亡とは、精神の乗っ取り及びオリジナルの人格消去と推測されます。エピローグで小泉の口から語られる『宇宙人による侵略が中止された』が真とするなら、元人格抹消を止めた事を指すのでしょう。真治の説明「一つ賢くなった」=「愛という概念を知った」の効用と言えます。先発調査隊が各自収集してきた数々の概念を集積し、統一概念として流布したことで、結果的に人類は共通の価値観を手にしました。もう争いが起こることも無いでしょう。真治が持ってきた「みかん」を仲良く分け合う避難者たちの幸せそうな顔。人類悲願の『世界平和』が遂に実現されたのです。ならば侵略も悪くない?でも、人類は自ら進化することが適わず(何という敗北感でしょう)、多様性を失ったマイナスは計り知れません。さて、鳴海について。「愛」を提供し人類滅亡の危機を救った代償として、彼女は人間性を失いました。そんな彼女に寄り添うことが、NEW真治(宇宙人と人間のハイブリッド)が示す“愛のかたち”ということ。愛の概念に沿った正しい行動です。でもマニュアル通りの作業を人は愛と呼びません。 宇宙人による人類侵略という壮大なSFでありながら、描かれる世界は日常を半歩踏み出す程度のもの。日常と非日常の描別け(出し入れ)が絶品で、不意に恐怖を喚起させられます。流石ホラー上手の監督さんです。なお、空爆、自衛隊の出動、天から降りてくる火の玉、野戦病院等は『侵略』『戦争』を端的に表すアイコンであり、リアリティ云々を求める類のものではありません。厚生労働省を騙る謎の集団も、抵抗する人類(自我)の象徴と考えられます。この徹底した象徴(記号)主義が黒沢清監督の流儀であり、時に難解と捉えられる所以でもあります。本作は黒沢清節が炸裂しつつも、意味不明には陥らぬ大変バランスの取れた一作でした。
[ブルーレイ(邦画)] 8点(2019-05-05 18:27:14)(良:1票)
12.  サバイバルファミリー(2017) 《ネタバレ》 
BGMを極力廃し(たまに挿入されてもシンプルなもの)、スクリーン上で繰り広げられる物語が“電気のない世界”であることを控えめに、でもしっかりとアピールします。そう、本作は真面目なサバイバルシミュレーション。とはいえ、そこはそれ、矢口監督お得意の大衆向けコメディ。修羅場レベルはミニマムに抑えられています。強盗、略奪、強姦といったハードな展開は一切ナシ。家族揃って安心してご覧になれます。この甘口仕様は、リアリティ至上主義の観客の口には合わないかもしれません。でも、どんな予測にも幅があって当たり前。日本人の国民性を希望的に見積もれば、こんな優しい展開だってナイこともナイでしょう(そもそも電気がないだけで、社会秩序が失われるとしたら、人類は途方もなく退化したことになりますし)。それに矢口監督は、きちんと本作が寓話であることを示唆しています。お父さん奇跡の帰還(流石に無理あり過ぎ)、電気復旧でいきなり家に明かりが灯るなんて(誰が発電してたの)ホラもいいところでしょう。必要なのは矛盾点探しではなく、テーマをきちんと受け取ることと考えます。かつて夫の手をさりげなくかわした妻が、自から夫の手を握った変化。電気復旧時の妻の寂しげな表情に、本作の主張が見て取れる気がします。地方創生が叫ばれる時代の「バックtoザ日本人の原生活」映画。一次産業最強、田舎暮らし最高な筋書きは、リアル田舎生活を送る者からすれば、悪い気はしません。しかし、そう単純な話でもありません。この世の中は、それぞれの役割分担で成り立っています。野菜をもらって、卵をあげる。お手伝いをして、お肉をいただく。それは、情報や娯楽、あらゆるサービスにも当てはまるでしょう。キレイ事ではない、真の“助け合い”が、サバイバルの極意と感じました。百かゼロかの極端な選択ではなく、丁度良い塩梅に文明と、そして隣人と、付き合っていくことに、ヒトが人間らしく豊かに暮らしていく為のヒントが隠されていると思うのです。(以下余談)劇場(シネコン)を出た途端、違和感に襲われました。当たり前の風景が当たり前でないというか。地に足が着かない感じ。こんなに便利な世界でいいの?という疑問。この感覚は作品世界にどっぷりハマった時特有のもの。良い映画で間違いありません。
[映画館(邦画)] 8点(2017-02-15 00:29:07)(良:2票)
13.  残穢 -住んではいけない部屋- 《ネタバレ》 
『リング』のように呪いを解く為に主人公が奔走するでもなく、『呪怨』のように呪いの元凶自ら登場で怖がらせるワケでもない、“気づいた時にはもう遅い”静かなオカルトホラー『残穢』。発端となった強大な禍が新たなる禍を生み、連鎖増幅していく穢れ。平岡が言うようにヤバい案件です。そう彼はちゃんと指摘していました。「取扱いを誤ると酷い目に合う」「これとんでもないものを引き当てたのかもしれません」「話しても祟られる、聞いても祟られる」と。でも結局は本気にしていなかったということ。知識があっても実践しなければ意味がありません。「久保さんの前の住人(梶川氏)が転居先で自殺した」ちゃんとヒントは出されていたのに。これは【くるきまき】さんがおっしゃられるように、放射能的厄災と捉えると納得がいきます。穢れへの短期的な接触なら多分セーフ。調査に加わった久保さんのミステリー研究会後輩にまで、災いは及んでいないでしょう。穢れに長期間、そして深く触れ続ける事が問題。総被爆量で基準を超えると発病する理屈です。「顔が歪む婦人図」を保管していた吉兼家菩提寺の住職のように、深入りしない姿勢が防護服代わり。主人公“わたし”を筆頭に、本件に長く、深く、関わってしまった人たちの末路や如何に。そして本作を鑑賞した“あなた”とて例外ではないと……。過度なBGMで煽らず、あくまで“わたし”と同じ第3者の立場で、事象を検証する感覚を創出したのが秀逸でした。淡々と、明らかになっていく真実。気づけば誰もが当事者に。一見弛緩した空気のエピローグに恐怖が纏わりつきます。久々に正統派のオカルトホラー映画に出会えた気がします。流石、中村義洋監督。ホラーを描いても上手いですね。そして手堅く観易いです。今、一番安心して観られる映画監督だと思います。
[DVD(邦画)] 8点(2016-10-25 20:27:10)(良:1票)
14.  ザ・ドア 交差する世界 《ネタバレ》 
(ネタバレあります。未見の方はご注意ください……)主人公が開けた扉は、過去に繋がるタイムトラベルロード(?)の入り口でした。ただし、誰でも通れるワケでは無さそうです。絶望した人限定。“過去に遡って人生をやり直したい人”のみに再チャレンジのチャンスが与えられました。ただし、代償は高く付きます。それは過去の自分を殺すこと。主人公は過失でしたが、時間を遡った者は皆一様に“自分殺し”を経験している様子。“自分を殺すのは入場料”とのアロハ親父の見立ては、強ち的外れでは無いと感じます。確かに“自分が2人存在する”状態は世の摂理に反しています。一人を消すのが道理。しかし、よく考えてみると、自分殺しとは単に自殺のこと。当然未来に自分が存在出来るはずがありません(だからアロハ親父曰く「こちら側がお前の世界だ」なのでしょう)。というより、自殺した人間が生きている事自体あり得ません。つまり、ドアの向こう5年前の世界は“死後の世界”と推測されます。主人公は雪道で滑って頭を打ち、亡くなったのが真相。扉を開けた者は全員が死者(又は予備軍)でした。主人公のように事故死者は過失で、自殺者は自らの手で、自分自身を殺害したと思われます(隣人夫婦は心中ですね)。彼らは生前の強い後悔の念ゆえ、現世そっくりの死後の世界に縛られているとも言えます。ですからレオニーは、現実には助かっていません。覆水盆に返らず。自身を殺めることなく元の世界に戻れた妻だけが(入れ替わっていはいるものの)、現世で一命を取り留めた結末と解します。解釈は以上です。なんと切ないお話でしょうか。ドアの向こうの世界は天国か地獄かと問われれば、間違いなく後者でしょう。幸せを守るための人殺しが日常茶飯事なんて、気が狂いそうです。そんな地獄でも、主人公にとっては希望に満ちた世界でした。だって、愛する娘が生きているのですから。しかし、主人公は自らの選択で幸せを手放しました。でもそれで正解。地獄に居続ける限り、娘の魂は生まれ変われません。結局、主人公の日常は何も変わらなかったと思います。失った娘を想う日々が続くのみ。それも今度は永遠に続くのです。ただ違うのは、娘の死を嘆き悲しむのではなく、人生を謳歌する娘の姿を思い浮かべられること。これが唯一の救い。それが幻だとしても、です。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-09-24 20:56:39)(良:1票)
15.  THE GREY 凍える太陽 《ネタバレ》 
(重大なネタバレあります。鑑賞後にお読みいただければ幸いです。)………主人公は最期の最後に望みを叶えました。飛行機事故で生き残ったのは、彼の願いを叶えるために神様がロスタイムをくれたようなもの。主人公は否定しましたが、本作に神様は存在したのだと思います。そもそも、生きている事こそが奇跡。命尽きるその時まで、あなたならどう生きるか?の問いかけでした。勝つための武器というより抵抗のための爪を装着し、決着の刻に挑む主人公。真っ直ぐな瞳に吸い込まれます。ここで終幕。唸りました。この瞬間に辿り着くためだけに、これまでの苦難があったということ。エンドロール後のワンカットは不要でした。むしろ無い方が良かったかもしれません。でも救われました。彼は満たされた心で愛する人の元へ逝く。突然の飛行機事故のインパクトから、VSオオカミVS風雪の極限サバイバルまで、一気に作品世界へ引き込まれました。効果的だったのは手持ちカメラによる接写とブレ画像。アクションを誤魔化すための安易な演出手法として用いられる事が多い気がしますが、本作の場合は一味違いました。上空で、水中で、息の詰まる感覚を味わえました。音響も臨場感抜群です。回想シーンの使い方も上手い。愛する人との幸せな時間から一転、地獄の現状へ。視覚インパクト大。主人公が感じたであろう衝撃と絶望を見事に表現していました。事故直後の危機感覚異常と判断力欠如、ザバイバーズギルトが重なった“通常ならばあり得ない”決断の数々にもリアリティがあったと思います。言うならば陸上版『オープン・ウォーター』。真夏の日本公開も納得の凍える映画は、熱かった。
[ブルーレイ(吹替)] 8点(2013-05-27 20:12:28)(良:1票)
16.  さや侍 《ネタバレ》 
妻に先立たれた野見は、抜け殻でした。それは本身を持たない鞘と同じ。だから“さや”侍。辛い現実を耐えかねた男は、あらゆることから逃げ続けます。背中を斬られ、頭を撃たれ、首の骨をへし折られても、なお死ななかったのは、死という現実からも逃避していたから。しかし30日の業を終えた彼は、自分という刀を取り戻します。愛娘や門番たちと芸を考案し続けた日々。何かを生み出すパワーが、あるいは奇妙な友情が、親子の愛情が、男を甦えらせました。現実と向き合った侍が、逃げ続けた日々の清算をしようとするのは当然の流れ。斬られたら、撃たれたら、へし折られたら、死ぬ。その摂理に、遅ればせながら従います。切腹は必然でした(劇場版『クレヨンしんちゃん』の某作品と同じと理屈と考えると分かり易いです。あるいは『ジョジョ』のブチャラティ)。鞘は大切なものを守るためのもの。娘を守る父親は鞘と言えます。最期に父は、托鉢僧にメッセージを託しました。それは娘に対する全ての父親共通の願い。精一杯の恋文です。竹原坊主の歌声が沁みました。若君を笑わせるため、罪人に課された30日間に及ぶ1日1芸の笑い。大衆から日々新たな笑いを求められ続ける天才芸人・松本人志と、さや侍・野見の姿が否応も無く重なります。ポイントは、本作で要求されているのは爆笑ネタではないという事。かといってセンスが無ければ、観客から容赦ない批判を浴びてしまいます。監督松本が芸人松本に課したハードルはかくも高い。本作で披露された“決して笑わせてはいけないネタ”の数々、自分はお見事だと思いました。監督自らが主演をこなした前2作と体裁は違うものの、一貫しているモチーフは“笑い”です。本作では松本氏のお笑い構造論と観客論を窺うことが出来ました。何をしゃべってもOKな、完全に出来上がった空気の中、一言も口にせず果てた野見。そこに松本人志の求める笑いの美学が、あった気がします。
[DVD(邦画)] 8点(2012-03-16 19:58:10)(良:2票)
17.  ザ・ロード(2009) 《ネタバレ》 
終末世界の構築が見事でした。立ち枯れする木々。荒廃した街並み。人々は人肉を食らう。近作では『ドゥームズデイ』でも同様の描写がありますが、やけっぱちで喰らうのと、生きるために食すのとでは意味合いが違います。後者は、よりシリアスです。食料だから飼育する。衝撃でした。直接的な食肉シーンなど無くても、このリアリティは胸に刺さりました。明らかに私たちが知る道理が通じない。どう息子を育てたらいいのか。「人を食べたらいけないの?」そう子に問われたら、自分なら答えに窮したと思う。しかし、この父親は違いました。生きることが全てではなく、人として生きることに価値があると知っていた。尊厳の意味を忘れなかった。だから彼は息子に生きる術ではなく、死に方を教えたのです。普通では考えられない。でも世界がひっくり返ったのなら常識も覆る。その腹の括り方が、親の覚悟なのだと思います。戦うことはままならず、逃げることさえ容易ではない。子連れのストレスは尋常ではありません。こんなに苦しいのなら、最初から何も無いほうがマシ。そう考えるのも無理はないほど、子の命はかけがえが無いのです。自分の命より大切なものを得る代償に、それを失うかもしれない恐怖と不安を引き受ける。重圧に耐えられなかった母親は、自らの命を絶ちました。絶望しかない世界の歩き方。それは希望を見つけること。いや希望が無いなら作り出すこと。ウソでもクソでも構わなかった。南に進み、海を目指すこと。それがこの父親が“決めた”希望でした。立ち止まったら倒れてしまう。だから足を前に出す。自らの気力を奮い立たせるため、そして息子を生かすために。勝算など無い足掻きでした。でも足掻いたからこそ、本物の希望に出会えた。この父親は賭けに勝った。
[映画館(字幕)] 8点(2010-11-30 18:15:02)(良:1票)
18.  サンシャイン 2057 《ネタバレ》 
死に行く太陽に核爆弾を落すミッション。それは、地球の命運が掛けられた人類最後の賭け。筋立ては実にシンプルです。一つの計画変更から次々と歯車が狂っていく定番のパターン。これが実にいい。緊張感の途切れない展開でグイグイ物語に引き込まれました。テーマは神との語らい。海が母のイメージならば、太陽はもっと生命の根源に迫るもの。生を許さぬ灼熱の太陽の中に命を感じるのだから不思議です。陳腐な言い方ですが、生命はそれだけで奇跡だと痛感しました。生きるためにあまりにも多くのモノを必要とする人間。空気、水、食料、太陽。何が欠けても生きていられない。人間にとって太陽は何なのか?普段意識することすらありません。それほどに遠く、そして全てを超越した偉大な存在。その強大な力を目の当たりにしたイカロス1号のキャプテンが、錯乱したとしても全然オカシク無い。神に対する畏怖の念。それは生きるもの全てのDNAの中にも刷り込まれている“キマリ”だと思えます。ですから船長は殺人鬼でも怪物でもありません。彼の主張の方が正しいのかもしれない。ただ、神の前では“塵”に過ぎない無力な生き物だからこそ、生きるための抗いを許して欲しいと願います。哲学、宗教の要素を孕んだSFサスペンス。映像も美しい。
[DVD(字幕)] 8点(2008-01-01 11:29:59)(良:2票)
19.  三匹荒野を行く
本物の動物が主役となる映画はあまり得意ではありません。今まで観たのは『ベイブ』くらい。動物たちの動きを勝手に人間側が解釈する行為がナンセンスに思えるから。所詮人間の一人よがりではないかと恥ずかしくなる。でも本作を観て考えを改めました。それにこだわることの方がナンセンス。ありのままを楽しめばいい。そう思わせてくれる“何か”が本作にはありました。まず素晴らしかったのが、動物たちの動き。役を理解しているとしか思えない見事な演技には、素直に拍手を送りたい。また動物たちが喋らず、ナレーション主体であったことも違和感を無くすことに一役かっています。日本語ナレーターは、あの久米明。彼ほどの適任者は他にいません。食の問題から逃げなかったのも好印象。犬も猫も肉食。だから野生動物を狩って食べる。当たり前の事です。でも残酷という理由で、その現実から逃げている作品がいかに多いことか。(飼いならされた彼らに捕食能力があるかどうかは別にしても、)当たり前の事実を当たり前に描く姿勢は、やはり気持ちがいいです。もうすぐ2歳になる娘と一緒に本作を鑑賞しました。当然娘は物語を理解していないでしょう。(たぶん。)でも満面の笑顔でした。きっと“何か”の答えはその笑顔の中にあるのでしょう。
[CS・衛星(吹替)] 8点(2007-08-09 18:14:32)
20.  サイレントヒル 《ネタバレ》 
物語開始早々、主人公はサイレントヒルに到着。実にあっけない。普通の映画なら、辿り着くまでにひと悶着ありそうなもの。サイレントヒルはゲームのフィールド。ここからが勝負だということ。手っ取り早く本題に入ります。話が早いのは観ていて楽です。ただしリスクはある。「ここから本番ですよ。」といきなり言われても戸惑ってしまいます。主人公に感情移入する暇もなければ、世界観を掴む余裕もありません。物語に厚みも出ない。そこで重要なのが“割り切ること”。原作ゲームのプレイ経験よりも、ゲーム慣れしていることが大事だと思いました。作り自体がゲーム。舞台は廃墟。雪の如く舞い落ちる灰。この世のモノとは思えぬ生き物たち。問答無用、視覚で圧倒されます。絶対にヤバイ。早く逃げたい。でもそうはいきません。娘を救い出さなくては!母の想いは一貫しています。手錠をしていようと関係ない。その覚悟の瞳に心を打たれます。さらに驚くべきは、子供と血が繋がっていないということ。その事実を知って感極まりました。母親とはそういうものなのか。もちろん主人公は、シャロンに魅入られていたという解釈が可能です。彼女がシャロンを引き取った時点から、復讐のシナリオは始まっていたと考えるほうが自然でしょう。でもどんな親も子に魅入られているようなもの。子供にとって母親が神であるなら、母にとって子は命そのもの。理屈ではなく共感できます。惜しいのは、クライマックス前に主人公が恐怖から開放されてしまうこと。事実上、彼女があの部屋に到着した時点でゲームクリア。恐怖の源である闇の力を我が身に宿してしまえば、もう怖れるものはありません。復讐の殺戮は、もうSHOWでしかない。オチには納得しました。ただ好みを言えば、もう少し希望を残して欲しかった。ゲーム原作の映画としては、破格の出来だと思います。
[DVD(字幕)] 8点(2007-07-18 18:25:15)(良:2票)
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