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1.  KUBO/クボ 二本の弦の秘密 《ネタバレ》 
マザコンで片目の日本人少年が主人公の人形アニメ。手の掛かるストップモーションで作られているらしいが時代設定が何時頃なのかイマイチはっきりしない。病弱で時々記憶力もあやしくなるクボの母親の着ている着物とヘアースタイルは平安時代風にも見えるし、町人の服装からはもっと後の江戸時代としか思えないし、観る方は混乱してしまう。衣服については月の帝はどう観ても中国風だし、設定が何かと曖昧。  同じ監督作品の2012年作「パラノーマン ブライス・ホローの謎」も目玉がボタンの偽物の母親が出てきて主人公を惑わしたが、何故か監督のトラヴィス・ナイトの二作品は、共通して目を奪われるという奇妙な話に展開する。何かの隠喩なのか、目の喪失に特異なまでに拘る隠れた深層心理でもあるのだろうかとちょっと心配になる。ストーリーに話を戻すと、クボが折れない刀剣を手に入れるために闘うことになる巨大な骸骨は、多分、歌川国芳の画「相馬の古内裏」から着想したものだろう。  後、クボを助ける忠実な二人?、匹?の従臣的存在も何んかだ違和感が、猿はともかく、クワガタムシが活躍する日本の昔話なんて、どこかに有ったかなと暫し思案に暮れるが何も思い浮かばなない。折角、折り紙だの、三味線だの、富士山だとか日本的要素たっぷりに、日本の話しとして構成されているのに、なにか根本的に感性が違うなという思いを払拭できないのは、海外作品だけにまあ仕方がないのかも。昔話は大抵、退治し克服する対象を求め旅をするのが法則のようになっているが、本作も例に違わず船で旅に出る。それにしても妖怪だからなのか、海上の船に出現する闇の姉妹は、いかなる方法で船に現れ出る事が可能になったのか色々考えると夜も眠れなくなる(笑)。
[DVD(字幕)] 6点(2018-10-25 08:32:57)
2.  エル ELLE
淡々と十歳の頃、父親がもたらした修羅場の記憶を語るミシェル。その常軌を逸した惨劇を体験していれば、自身に降り掛かったレイプ事件など相対的に大した事ではないのだろう。17人もの大量殺人を犯したミッシェの父親は今も尚服役中。殺したのは人間に限らずハムスターを除く、馬や犬に猫など、人間と密接な動物であるペットも含まれる。ハムスターを除外したのが謎だが、命の重みとしては軽く観たのだろうか。世間の誹りを浴びて育ってきたであろうミシェルの少女時代を考えるなら、レストランで食事中、意図的に残したスープなどの残飯を高価な衣服にかれられても黙って怒りを抑えるしかないのだろうし、明らかに似ても似つかない黒人の遺伝子を受け継ぐ、赤ん坊を産んだ息子夫婦の妻に対して、ミッシェルが不審の念を抱いたとしても、当人の息子がその状況を全肯定するのであれば敢えて口を挟むべきでは無いと達観する。ミッシェルの立場は戦後の日本やドイツの立場とひどく似通っている。降りかかる敵対行為や謂れのない批判など、様々な理不尽に対して反駁・告発できない不条理。自身が起こした事件でもないのに永年に渡り、嫌がらせが継続するミシェルが、感受性にフィルターを掛け、強く生ざる得ない酷な状況に同情を禁じ得ない。  ヴァーホーヴェンの描く女性達は大抵自己利益の為に打算的・功利的に行動する、合理性で動く強い女ばかりだ、ミシェルもその例外ではない。ミシェルの経営するゲームソフト会社が新作として製作中の内容が、誰と特定できない化物である触手に犯される女性レイプものであるのもミッシェルが既存のモラルや常識にとらわれない、突き抜けた感性の持ち主であるのが解る。出血がないなんてリアルさの欠片もないないなんて、実体験がそうした事を平気で言わせるのか、修羅場を潜り抜けてきたものだけが言える真実。触手物なんて、こんなところにも日本の変態物の影響が及ぶとは意外(笑)。
[DVD(字幕)] 7点(2018-05-15 10:44:39)
3.  ユキとニナ
曖昧で植物的なユキの顔の様に、散漫にして散らかったまま、確たるシナリオもなく感性だけで撮ったような印象の映画。フランスの森から、何処かの日本の田舎にワープしたかのような幻想に帰着させるには、全体の流れからいっても不適合で無理な感じ。更にUAが唄う沖縄or 奄美民謡風の曲で、えっ、此処ってもしかして沖縄もしくは奄美なの?、と混乱してくる。あれほど日本に行きたくないとゴネていたユキは何時何処で妥協したのやら、日本での撮影はどこか河瀨直美調。
[インターネット(字幕)] 5点(2017-07-12 16:51:41)
4.  野火(2014) 《ネタバレ》 
低予算の作品故なのか、この映画に敵米軍が視覚的に存在しない描き方はどうなんだろう。食べ物を巡って、田村と爭っていた上官らしき男が何の兆しもなく突然機銃掃射らしきものを受け、頭部が半分吹き飛ぶシーン。彼等は戦闘機の音を聞いていないのか不思議。普通、爆音から危険を察知し回避行動くらい取るだろうに。それに彼等を襲った機影を見せる必然性はないと判断したのは、敵との戦闘での死傷者より、日本軍は飢餓で惨めに死んでいった事をより強調する狙いからなのだろう。その惨めな日本軍を視覚的に強調するのに全身薄汚れと言うより、誰もが、どこもかしこも真っ黒。白い肌を隠すために、意図的に靴墨か何かを塗った?と誤解してしまいそうになるくらいの汚れ様。田村は飢えを満たすためにか、勝手にふらふらと彷徨い歩く。挙句、出っ会したフィリピン人女性を撃ってしまう。その後、罪の意識からなのか小銃をいとも容易く投げ棄ててしまうし、再び渡された銃もまた何処かに棄てたらしい、もはや武装を拒否している感が濃厚。  昔読んだ大岡昇平の「俘虜記」だったか、記憶が定かではないが、確か、彼は森で先に発見した若い米兵を銃口に捉えながら、その男の顔を長々と頬がどうとか、唇の色がピンクで、まつ毛が逆光に映えだの、彼は何歳くらいなのかと描写し始め、敵兵をあたかも恋する乙女の如く、呆然と見詰め続けている内に、相手に気付かれ、逆に銃口を向けられ捕虜になっている。しかも、投降後、余程目立ったのか、尋問に得々と英語で応えていた日本兵の様子が米軍の記録に記されていたらしい。当時の日本軍は銃を棄てる行為は重罪と規定していたし、捕虜になるなどの投降も厳しく戒めていた。その何れの軍規も知った事かと、違反した理由は補給もなく飢えさせ、地獄さながらのカニバリズムに追い立てられたという強い憤りからなのだろう。  実際、フィリピン戦線の記録物を読むと人肉食についての記述が多い。ただ、本作の残酷描写は全く気に入らない。陰惨を強調するためのスプラッター描写は度を越し、時折これはホラー映画なのかと勘違いさせかねない。それと収録音のレンジが広すぎて、小声はまるっきり耳に到達できず、ボリュームを上げるといきなり大音響が鳴り響くという困りもの。
[インターネット(邦画)] 4点(2017-05-21 12:51:29)
5.  悪童日記 《ネタバレ》 
遠く離れた田舎に独り暮らす疎遠な母親(少年達にとっては祖母)の元に、双子の少年を託した母親の動向が、その後全く分からないのは、あくまで父親の提唱で双子が書き始めた日記文に拠るもので、子供の知りうる範囲の主観的記述による日常の断片が綴られている設定のものだから。一見、強欲で醜悪に映る祖母が何故そう成ってしまったか、少年達は何も知らないし、ただ、意地悪く接してくる現象としてのおばあさんを肌で認識しているに過ぎない。少年達の不潔な服を洗濯してやり、一緒のフロにも誘った女の奇態。憐憫からゴム長靴をただで二人分も呉れた、心優しいユダヤ人の店主を、その女は残忍にも、ユダヤ人狩り隊列に教えてしまう。それは少年達には許し難く、復讐されて然るべき対象に変えた。  戦争は少年達たちから親と穏やかな日常を奪い、殺伐とした弱肉強食の世界へと変えたと感じた事だろう。母恋しさや、痛み、寒さ、欠乏感に耐え、生き抜くには心身ともに強靭であらねばならぬと、お互いを打ち合うなど、常軌を逸した訓練を始める。彼等をかくも異様な心理状態に追い詰めて行ったものこそ、この映画が表現したかった本質なのだ。映画が映し出す状況は終始、陰惨なのに、達観したかの様な少年達の心境と、簡潔で乾いた虚飾のない描写は、削ぎ落とした後に残る、ミニマムの美学に通じ、美しいと感じさせた。
[インターネット(字幕)] 8点(2017-05-19 23:23:23)
6.  ヴィオレッタ 《ネタバレ》 
この映画の監督エヴァ・イオネスコ自身にまつわる自伝的映画には違いないが、この作品には母親への怨嗟と母親は真に自分を愛して呉れていたのか、単なる搾取の対象でしかなかったのかという、相反する母親への複雑な想いが強く滲み出たものになっている。母親からこれは芸術であり、マレーネ・ディートリッヒが醸したデカダンスの美学を新たに写真表現するというような話で言い含められ、児童ポルノ紛いの猥褻写真の被写体にされていた十歳前後の頃の記憶に基いている。  本棚にある「芸術新潮」1994年2月号に、当時のエヴァ・イオネスコを撮った写真が表紙として採用されている。モチーフはアダムとイヴなのか、思春期の男女が全裸で手を繋ぎ挑発的な視線をレンズに投げかけている。このキッチュな写真を撮ったのもおそらく母親なのだろう。無垢だった少女の自分を操り、母親からいかがわしい写真のモデルとして使役されたことへの思い、ひいては児童虐待の被害者としての側面。いいように搾取されてきたとの怨嗟。それでも母親への想いは複雑に交差し一元的に収斂できかねている様子。  ただこの映画から感じ取れるのは、寧ろそうした負の側面より、他の児童より抜きん出て美しく、嫉妬からいじめに遭ったという記憶。特異な世界の大人たちの視線を浴び、世間から耳目を集めた特別な存在であったのだという自負の感情も隠しきれない。稀なる美貌のアナマリア・ヴァルトロメイに自分の少女時代を演じさせるという過剰な美化、ある種の倒錯した自己愛が透けて見える。この映画を通して母親の自己欲求の犠牲になった、自分の過去を振り返るという体裁を取りながらも、再びその忌まわしい筈の世界を再構築し蘇らせる事が、母親と同じ穴の狢に成ってしまっているという矛盾と名声への打算が露呈
[インターネット(字幕)] 7点(2017-04-19 18:22:15)
7.  黄金の肉体/ゴーギャンの夢 《ネタバレ》 
ポール・ ゴーギャン役にドナルド・サザーランド、顔なども意外に似ているし殆ど憑依感のある演技で、思いのほか没入で見入ってしまう、とても魅力ある作品。自信満々、タヒチから意気揚々と凱旋気分で帰国した頃の短い期間の出来事を中心に描いている。ゴーギャンの性格描写、人となりは、サマセット・モーム作「月と六ペンス」に描かれる、チャールズ・ストリックランドに基準したような印象。  この本はモームがゴーギャンを題材として書いた小説として知られている。「月と六ペンス」の主人公(ゴッホであるとする説もある)は、交友関係に於いてストリックランドから散々酷い目に遭わされおり、怒り心頭の筈の彼が、残していった作品を前に、ナイフで引き裂く積りが、作品に圧倒され押し留まる。ストリックランドの画家として才能を高く評価、敗北感に打ちのめされるという話。ストリックランドを利己的かつ極めて傲慢な男として描写しており、こうした部分の多くが、映画のポール・ゴーギャンに引き継がれており、人物造形に多くの影響、共通点がある。  時期はタヒチ渡航以降の事であり、この映画にはヴァン・ゴッホは全く出てこない。代わりにボヘミアン・グループとの交流から、ゴーギャンとストリンドベリの二人の間で芸術談義を交わすシーンもあったりする、その会話内容も示唆的で実感がこもる。ストリンドベリ役を、同じ出身国スウェーデン人俳優、マックス・フォン・シドーが陰気な顔で演じているのも興味深い。  この映画でのゴーギャンは、主に下宿先の14才の娘の視点で語られる話であって、その点がこの映画のユニークなところかも知れない。彼女は何故か初対面からゴーギャンに強く惹かれる様子で、好奇心を隠さない。浴室のドアをわざと開け、己の裸身を見せつけゴーギャンを誘惑しようとするなど多感な少女。帰国したゴーギャンは絶対的な成功を信じて疑わず、華々しく個展を開くが惨憺たる結果に意気消沈する。  幸いな事にそんなゴーギャンに遺産が転がり込む。離別した妻メットの親族との金銭を巡っての下世話なトラブル、褐色の肌を持つ異国の少女との同衾など、モラル欠如でスキャンダラスな女性関係など、様々なエピソードを通し、破天荒なゴーギャンの人となり、生き方をあぶり出す演出。ゴッホを扱った映画作品は数本あるのに対し、ゴーギャンを単独で主人公とした映画は本作以外しらない。後には嫌悪の対象でしかなかった、妻、メットの生地であるデンマークの映画であるのも興味深い。
[ビデオ(字幕)] 8点(2017-04-12 19:06:12)
8.  エレニの旅 《ネタバレ》 
オデッサで想起するのは、ソ連映画「戦艦ポチョムキン」。ロシア革命の引き金となった兵士の叛乱事件を描いた歴史的作品。この映画はそのオデッサから逃れてきたギリシャ人の一団の中にいる、未だ幼い戦災孤児の少女、エレニの物語には違いないが、叙事詩としての側面が濃厚。1919年が起点となっている他、特にこの映画の中で説明はないものの、オデッサからの逆難民であると冒頭にある様に、ロシア革命の余波から戦乱に拡大した頃の時代背景を基に描いていて、アンゲロプロスの一貫したテーマ、悲劇的歴史に翻弄されるギリシャ人の姿を描いている。  この後、画面は思春期の少女に成長したエレニが、付き添いと共に小船で定着後の村に戻るシーンにとぶ。会話の内容から未婚のエレニが双子を出産、否応なく里子に出され、失意からベッドに打ち拉がれている様子が映し出される。それから更に話は跳び、妻を亡くした村の有力者で養父でもあるスピロスが、エレニを妻に迎え入れる婚姻の準備がエレニの意思などお構いなしに進行していて、それに危機感を抱いたスピロスの息子、アレクシスとエレニが示し合わせ、ウエディング姿のまま手に手を取り合って出奔する。  逃げたエレニを追って、座の一員として居た劇場にまで現れたスピロスから再び逃避行をする羽目に。スピロスはアレクシスにとっては実父、エレニにとっては養父で夫という面倒な関係にある。ここまでの話は結構ドロドロとした下世話な展開なのに、主要人物を捉えるカメラ視点が常にロングで撮られているので、エレニとアレクシスの不幸なカップルにさほど感情移入がし難い。情動表現を嫌うロベール・ブレッソンの映画と違い、エレニの情緒は演技で普通に表現しており、哀感の涙が頬を伝って落ちている筈のショットですら、顔のクローズアップは意図的に外されている。  映画を観る観客とエレニの間に、アンゲロプロスの撮影は常に一定の距離的空間で隔たれているので、観る側としては感情移入することなく客観的にエレニの不幸を観てしまう心理状態に置かれる。アンゲロプロスの撮影にもズームアップが無いわけではないが、主人公でさえ、殆ど顔のアップは避けられている。せいぜい遠景に広範に撮られていた群集や風景に緩慢なズームアップで僅かに寄る程度のもの。何故にこうした手法に固執するか解らないが、ギリシャ劇場の伝統的舞台劇を観る観客の視点に基準したものかも。  アンゲロプロスの映画にいつも思うのは登場人物達に生活感(臭)がしない事。養蜂家であったり詩人だったり、旅芸人や本作の場合は旅一座の音楽団という設定。どれも定住せず流離う人々だ、流転・流浪を余儀なくされた魂の象徴とでも言いたげ。いずれにせよ労働者階級を描くことはせず、アンゲロプロスの映画はひたすら芸能で生きる人々や、何を生業としているのか判然としない人々を描く事が多い。  憔悴し横臥したエレニがうわ言のように、様々な色の制服に拘置されたと何度も同じ台詞を繰り返すのは、ギリシャの近現代史に疎い外国人には意味が伝わり難い。内戦や様々な外国軍の占領支配や、干渉を受けた負の歴史を簡易に台詞で語らせているのは解るが、3時間近くの長い映画なら映像でそれを観せ、観客に解らせるべきではないかと思う。  本作に顕著な水辺の風景シーンは、全てのものを倒立像として映しだし、官能的なまでに美しいのだが、タルコフスキーの癒しの水と同じ様に、水に何らかのメッセージ性を込めているのだろう。冒頭からラストシーンまで水尽くしで、常に彼らの傍には水面が静かな佇まいでを観せ、人の世の移ろいに対して、悠久とした時間、抗えない運命・歴史を感じさせた。ラストで遺体となった息子の傍らで慟哭するエレニの背景も水辺なのも印象的。
[DVD(字幕)] 8点(2017-04-10 12:05:40)
9.  グッドナイト・マミー(2014) 《ネタバレ》 
沼に浮かぶ空気マットからルーカスの名を呼ぶエリアスの心情を思うと可哀想でならない。この映画の全てが、エリアスの主観が観ている内的世界と現実が交差した虚実混じりの世界であり、常に一緒に行動する仲の良い双子の兄弟は、強い共依存関係にあったのだろう。顔を包帯で覆い隠して病院から帰った母親に不信感を募らせるのは、母親がエリアスから父親の存在を消し去ったという、負の感情が払拭しきれていない事の表れ。  共同墓地から拾ってきて、レオと名付けた猫の死にも、母親が関与しているのではないかと疑念というより確信を抱いている様子から、母親不信と憎悪は素顔が覆い隠された事で更に疎通遮断の思いに駆られ、疎外感を募らせ、憎しみが増大したのだろう。何よりルーカスを失ったという喪失感のダメージは甚大で、現実逃避で精神が破綻するのを回避したのだろうが、既にエリアスは心に損傷を受け、深く病んでいたのだ。母親の寝顔にゴキブリを這わせ、切り裂いた母親の腹部から這い出てくる虫の幻覚シーンを観るにつけ、彼の病は重篤。惨劇に至った責任の所在は冷淡な母親にあるのは間違いなく、内向的で繊細なエリアスに、フリは出来ないと諌めるのではなく、優しくケアすべきだった。  大きな白黒写真パネルの中のピンボケな女性の全身像や、ワイヤーのトルソーマネキンにしても、実体のない曖昧で空疎なものを象徴しているし、捉えきれない人の在り様を示してもいる。湖面に沸き起こる不穏な波のざわめきは、ルーカスの死を暗示するイメージなのか、この映画の、こうした名状し難いシュールな映像感覚は惹かれるものがある。無人の町の通りを、何事かを叫びながら独り歩く男の姿も、時々映し出される月夜の映像同様、不思議感覚に満ちている。
[インターネット(字幕)] 7点(2017-04-09 00:09:31)(良:1票)
10.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 
想定外の事態に直面した時、政府機構はどの程頼りにできるのか、この映画に描かれた様に、対応会議の場が官僚的議論で紛糾し、進捗せず何も決定できないのは江戸時代の黒船来航で何も決断せず、判断留保の先延ばし策に逃げた幕府官僚以来、日本人に本来備わってるひとつの特性なのかも、良く言えば何事にも慎重。攻撃行動に移行すべきという意見が出ると、直ぐにそれを否定する消極的対応を推す意見が優勢になり、とどの詰まり、何もせず被害の傷口を拡大させてしまうという事態。  この映画は3.11、東日本大震災の記憶を生々しく思い起こさせる描写がかなり明確に意図されている。上陸したゴジラの破壊力と、その後の街の惨状は津波の時のソレだし、福島第一原発事故で、炉心溶融の懸念から決死の注水作業は、ゴジラの口に注水する場面に転化される。ゴジラが火を吹くのは初代からのものだが、強力なレザー光線状のもので無人攻撃機を薙ぎ払うシーンは、ナウシカに出てくる巨神兵に酷似。一旦、暴発すると手に負えない物の象徴として、ゴジラは反原発思想のアイコンでもあるのだろう。  アレのエネルギー源は何なんだという話になると、まさか核分裂?という天才的ひらめきの発想する者がいたりするが、普通巨大な爬虫類を観て、核分裂など考える人は相当頭がイカれていると思う。変態途上の初期段階のゴジラの様態・造形がちょっと残念。ぬいぐるみに付いてる様な、チープな人工物でしかない、ビックリまん丸お目々が特に酷い。生き物をそれらしくするには何よりお目々の表現が大事、でないと巨大生物の怖ろしさや、生命感を少しも感じないので、最終形態はなかなかの出来。
[インターネット(邦画)] 6点(2017-03-28 18:30:02)
11.  1944 独ソ・エストニア戦線 《ネタバレ》 
エストニアといって思いつくのは精々、確かバルト三国のひとつだったかなと曖昧な記憶くらい。地理的位置からスラブ民族なんだろうぐらいに思っていたが違った、この映画の共同制作国としてフィンランドとあるように、この二カ国は民族・人種的に違いは少ないないらしい。強大な周辺国に囲まれた小国の歴史は言わずもがな、この映画に描かれる、国・民族としての悲哀もそこにある。はじめドイツ軍の軍服を着たエストニア人からなる部隊がソ連軍と塹壕戦を戦うシーンが続く。歩兵と共に現れたソ連軍戦車隊の猛攻を何とか耐え、多くの犠牲を払いつつ撃退する。その部隊の中の端正な顔をしたひとりの青年が主人公でもあるかのように目立って集中的に描かれる。  その青年の部隊に移動命令が下り、戦場も別の局面に変わる。彼の部隊が進む路上には、疲労色の濃い難民が列を成している。現れた飛行機からの機銃掃射がある中、立ち竦む幼い少女の命を救うなど、勇気と優しさの面を見せる。彼等は再びソ連軍に遭遇、銃火を交え戦闘に。その戦闘で件の青年は撃たれ、あっさり死ぬ。その最中にソ連軍の制服を纏った相手側の将校が突如戦闘中止を叫ぶ。所属軍は違っても、エストニアの同胞であるのに気付いたのだ、同じエストニア人同士、敵味方に別れ殺し合わなくてはならない状況に置かれたものの、同族で殺し合いたくないという意志が回避行動に駆り立てたのだろう。先程の青年をこの戦闘で射殺したソ連軍々服姿の青年が、自分が殺したドイツ軍服を着込んだ動かぬ相手に、憐憫と贖罪の気持ちからか、乱れた服を正し、身分証明書と挟んであった投函前の一通の手紙を発見する。  この辺りから主人公の立場が、ソ連軍に編入されているらしいこの青年に移る。彼はその手紙の差し出し先の住所に直接手紙を渡すことを決意する。ドアを開けた相手は美しい女性、貴方のご主人所持の手紙をお持ちしましたみたいな事を言いながら渡す。女性は主人ではありません、これは弟なのですと言う。自分が手に掛けたことは伏せながら、弟とする彼の最期の状況を伝える。食事を進められ、共に時間を過ごす内に親密になる展開。こうした通俗的なストーリー部分を含め、程よく抑制的な描写なのでそう印象は悪くない。ポーランド映画にも言えるが、ドイツとソ連軍の両国に侵攻され、国権を失う事がどういう事なのか、後世に伝え残す理由の他、その動機には怨嗟と憎悪の感情があるのも事実なのだろう。本作でナチ側の政治将校が、前線の兵士を労いながらヒトラーの名刺版の写真を配るのと比較して、ソ連側の共産党政治局員の動向を非人間的で、より陰険かつ邪悪な忌まわしい存在として描写されていたのも興味深い。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2017-03-20 09:39:05)
12.  コン・ティキ 《ネタバレ》 
南米のペルー辺りのから、ペルー海流にのってイカダ船で移動植民したのがポリネシア人の成り立ちであるとの説を唱え、立証のため実施に航海実験を行ったノルウェー人、トール・ヘイエルダールの「コンチキ号漂流記」を映画化したのが本作。もっと早い映画化があってもよかったのに意外と遅かった。この人の書いた「コンチキ号漂流記」や、葦で作った大型船「ラー号」に関する本もかなり昔読んで、細部は忘れてしまったが大変面白かった記憶はある。映画は本と違って情報量が少ないなと感じた。  映像で見せる映画が文字情報より素晴らしいと思えるのは、青く神秘的に光る発光プランクトンや夜の天界に広がる天の川の描写、巨大なジンベイザメと遭遇するシーン。独特の美しい斑紋を見せながら水中を進む姿の神々しさ、それを見てパニックになった乗組員の一人が銛を打ち込む暴挙に腹立たしく呆れる限りだが、別の場面で可愛がっていたペットのオウムを捕食したサメに怒り、果敢にそのサメをイカダに引き上げ、激した感情のままサメの頭部に何度もナイフを突き立て、オウムの敵討ちした男の行動が何とも凄まじい。温暖でサメがうじゃうじゃいる海域らしく、彼等が終始サメの脅威を気にし怯えているのが、海洋全般に大して詳しくない様子がそこに窺える。  バルサ製のイカダが、海水を吸い込み浮力を徐々に失っていく不安は、本の記述ではかなりの分量で触れていたが、しきりに不安を訴える乗組員の視線を受け止めず、映画の中のヘイエルダールが、船長でありかつ立案者の立場として、その事実に関心がないように振る舞い、超然と構えている様子に、人間心理として、そうならざる得ないというリアリティがある。原作で航海記と成らないのは、一応帆はあるものの、自力で自在に操船コントロールができないからで、結果的に願った通りの海流に乗り、目的達成、大成功となるが、ポリネシア人が南米インディオ由来だとこれで立証された事には成らないと思う。あくまで冒険譚として評価する。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-03-12 09:56:35)
13.  マッドマックス 怒りのデス・ロード 《ネタバレ》 
極限状態にあれば「人はパンのみに生きるにあらず」など、余裕で言っていられない贅沢な言葉なのだろう。「マッドマックス2」以降、このシリーズの根底に横たわるのは、剥き出しの形で表現された、生き残りのための命を賭けた殺伐とした闘争であり、生きる者の生存欲求の強さ。オイルや水など、人の生存に不可欠な根源的資源の争奪を通して、エゴイスティクなDNAの特性を考えてしまう。  水の所有・管理権を持つイモータン・ジョーが、民を意のままに支配する構図がそれで、如何にも分かりやすい。密かな目的を持った女隊長、フュリオサに率いられ、隠れて逃げる、生みの性、母体としてのみ、イモータン・ジョーに生存価値を与えられていた、虐げられし女たちの反乱が話のベースとしてあるのは興味深い。  女達が水タンク車と共に、伝説の緑の地を目指すというのは、聖書の「出エジプト記」のカナンの地を目指し、紅海を渡る話と奇妙にクロスする。目指す先に砂嵐が壁の如く立ち塞がるシーンを対比させ考えると、そこに、ラムセス2世から逃れ、やはり紅海を前にしたモーセに率いられたイスラエルの人と同じ構造が浮かび上がる。  「死を恐れるな、死んで甦れ」と唱え、追撃してくる白塗りのウォー・ボーイズの群れ。おそらくISISの戦士たちも同様の信仰を信じ込まされ、進んで死地に向かうのだろうか。日本だと、織田信長に対して武装蜂起した、一向一揆の戦い「進むは極楽、退けば地獄ぞ」の言葉が思い起こされる。人を死地に向かわせるには、嘘で出来た人を陶酔させる魔法の言葉が必要という事だろう。  女たちを乗せた巨大なタンク車をターゲットに、群なして襲い来る、そのウォー・ボーイズ達は、卵子を目指して競争する精子の群を連想させなくもない。軽快に飛び跳ねながらモトクロスバイクで襲撃してくる、敵地での攻防シーンはジョン・フォードの「駅馬車」で襲い来るアパッチを彷彿とさせワクワクする。火を噴くエレキギターと太鼓の音も賑やかに、砂煙をあげ疾走するイモータン・ジョーの一団の狂気が見もの。何と言っても、こうした70過ぎのジョージ・ミラーのぶっ飛んだイメージ形成力には恐れ入る
[インターネット(字幕)] 8点(2017-03-10 18:22:34)(良:1票)
14.  エクス・マキナ(2015) 《ネタバレ》 
かなり恐ろしい未来予測。未来と言っても、既にその兆候は現実に至る所に出てきているように思う。それを危機的と観るか、恩恵と観るか、捉え方にそれぞれ立場により違いがあるだろうが、この映画に示されたAIヒューマノイドと人間の混在は、別な形で人間に災いになるような気がする。極論ながら人類滅亡化への道とでも言えばいいのか。それは、何も映画『ターミネーター』の様に、ロボット軍の武力の前に殲滅されるという前提に立たなくても、本作のヒロインであるエヴァの如く、身体機能の造形にプラスチックなどの部材が使われていても、感情を込めた当意即妙な会話で人間に対応する能力があるなら、ケイレブ個人のみならず、人類は完全に人間の被創造物であるエヴァの先に、更に進化した仲間の存在は、ネイサンが言うように、やがて超越者として人類に君臨、高い知性のヒューマノイドに支配され、コントロールされる懸念は、決して絵空事とも思えない。  ケイレブが人工物と認識しながらも、エヴァに魅せられ、翻弄されるストーリーは非常にリアリティがある。エヴァの姿は、ケイレブがネットで何を検索したか、リサーチした結果、ネイサンによりケイレブの好みにそって生み出されたもので、性格や性的に惹かれる要素がたっぷり含まれている筈だ。この映画では、エヴァに芽生えた自我が強く作用し、結果、ケイレブを欺き、逃走に利用したが、もしも、この二者に執着心や愛情が成立したら、人間同士のように遺伝子を残せないのだ。仮に、未来こうしたカップルが一般化し、蔓延するなら、やがて人類はアダムとエヴァの神話とは逆に消滅するしかないだろう。  ケイレブを前に、エヴァが目を瞑って待っていてと言い残し、服を着て恥じらいながら現れるシーンは艶めかしい。普段、剥き出しの身体でいるエブァにとり、服を着るのは、一般的概念の裸になるのと同質の羞恥心が伴う行動なのだろう。それにしても、エヴァを逃走に駆り立てた動機を考えると悩ましい。映画では、都会に現れたエヴァが待つ対象は判然としないが、不条理劇の「ゴドーを待ちながら」の様に、エヴァ本人もそれが何であるのか解っていないに違いない。  他に、この映画で特筆すべきは、ミニマムの究極美である、茶室か桂離宮を思わせるネイサンの研究室兼隠れ家の佇まい。人の気配がない山奥の、簡素かつ贅沢で、深い精神性を秘めた家のデザインや室内装飾。その美学は、日本人の感性に合って、共感しうるものだ。もう一人のキョウコと名付けられたヒューマノイドの姿は、隠遁思想に惹かれるネイサンの求める日本娘そのもの。寿司を握れる、妖しくも神秘的なキョウコの雰囲気。その彼女に似合う家なのは、偶然ではなく、古さと先進性を併せ持つ日本的要素をそこに意図したのだと解釈できる。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2017-02-20 16:53:34)(良:1票)
15.  扉をたたく人 《ネタバレ》 
今、最も世界各地でのタイムリーな話題、移民や難民問題を婉曲法で扱っており、テーマとしてはかなり重要と言えるのかもしれない。主人公は、他者との交わりを避け、殻に篭りがちで孤独に生きる大学教授のウォルターという男。彼は学会での出張で、久しぶりにニューヨークの元居た別宅のドアを開けると、そこには全く見知らない男女が住み着いていたという、どう考えてもホラーかサスペンス映画としての要素しか窺えない展開。本作の脚本及び監督であるトム・マッカーシーは、こんな面白い出だしなのに、サスペンスやホラー映画に仕立て上げるつもりはサラサラなく、所謂、不法移民を社会問題として、如何に考えるべきかを真面目にこの映画で提示・考察しているのだ。  自分の領域に否応なく関与してくる他者との関わりの中で、惰性的で不活発だった主人公の意識の活性化と、失っていた社会性の獲得が描かれる。移民・難民は様々な国から豊かさを求め、或いは自国の政治風土を嫌って、又は戦禍を逃れ出国して来る。この映画の主人公、ウォルターは家に居る異邦人のカップルに驚愕しながらも、彼らの事情を知ると、親切にも自宅に住むことを認めてしまう。青年の方はシリアからの不法入国者でタレクだと名乗る、女も同じく不法滞在、セネガル出身でイスラム教だと言う。シリア人の男とセネガル人の女が、米国では法的には存在していないも同然なのに、ニューヨークの他人の家に勝手に住み着き、家族形態の関係を築こうとしていた事になる。  客観的事実を簡潔に述べるとそうなってしまうが、不法入国滞在という事実は、ウォルター個人にとっては問題視すべき事とは見なしていないのだ。そんなタレクとはドラム演奏を教えてもらう関係の時間を通じて急速に親しくなる。もはや友人のようなタレクが、ある日、地下鉄の駅で鉄道警察に逮捕されてしまう。以後、ウォルターは自分の弁護士を差し向けるなど親身に面倒をみる。訪ねてきたタレクの母親も家に引き入れ親身に面倒をみるのだから、ウォルターは決して人間嫌いという訳ではなさそう。心配する母親の思いも受け、釈放に向け奔走するが、個人の想いなど歯牙にもかけず、法の壁が立ち塞がる。  ウォルターはタレクやその恋人、それに母親まで幅広く人間関係を築く事で活力と生きる意味を見出す。ウォルターの視点がこの映画の思想・思惟とするならば、イスラム教国の7カ国からの入国禁止令を発令するなど、忙しく大統領令を乱発中のトランプ氏とは思想信条が対極的。本作は移民問題は閉ざすより開放してこそ社会も活性化に繋がるという、リベラリストとしての隠れた主張があるのかも。駅ホームでの演奏を願ったタレクに代わり、ラストでウォルターがやるせない思いをドラムに叩きつける。どうやらタレクに教わった、魂を込める演奏法を会得したらしい。
[DVD(字幕)] 6点(2017-02-09 20:49:10)
16.  ざくろの色
とりわけ白い布に、赤いざくろの果汁が滲み広がるファーストシーンが鮮烈!。そのデサイン性と色彩からくる美術感覚が斬新。サヤト・ノヴァの生きた、古式アルメニアの伝統衣装を初め、絨毯や壺など、どれも時代性を忠実に反映・内包しながらも、抽象的表現の能舞台劇のように、演技の様式化がひとつの特徴。特筆すべくは女優、ソフィコ・チアウレリその人。イコンを思わせる顔の造形、特徴的な眉の形から、この映画の中で彼女が男役を含め、複数の役で多義的に演じ表現しているのが判る。  舞台劇を想起するものに、明確な正面性がある、例えそれが横向きであっても。常に一貫して、画面構成における形と配置を重視。詩人の生涯に沿ったストーリー展開は、抽象的省略表現のため、表出された全てを理解するのは難しいが、視覚的に、感性的にそれを感受すればいい。雨に濡れた図書館の書籍、水の排出作業から屋根での天日干し、その並べた本の配置すらデザイン的で美しいし、染色作業に伴う色の演出も目を惹く。  こうした独自性にとむ映像表現に、少なからぬ影響を受けた映画に『落下の王国』がある。パターン化された形象と色使いの類似、少し現実離れした鮮やかな彩度高めの発色。あまりの美さに思わず目を奪われるが、対して、本作の色表現は、日常の現実世界から切り取った実在の色、故に幾分彩度低め、代わり同じ赤でも多種多様な赤が蠢く感じ、様々な色と形が織りなす未知なる世界。特異な映像美に被さる音と音楽の響きがとても神秘的。
[DVD(字幕)] 9点(2017-01-18 19:34:37)
17.  帰ってきたヒトラー 《ネタバレ》 
2014年の現代ドイツにヒトラーが唐突に忽然と出現する。当初、彼に接した人々はコスプレ仕様のおふざけと見做し、半ば面白がりからかう。野心家の敏腕TVディレクターは、彼をテレビの政治ネタを扱う、コメディ番組に出演させ、冒険と思いつつも好きに喋らせてみる。ヒトラーは初めて観るテレビが自分の思想を広める媒体として、非常に優れて有効である事を直ぐに見抜く。  かつてそうだった様に、作為に満ちた長い沈黙を破り、彼は穏やかな声で料理番組の氾濫を嘆き批判する、そういうものに慣れきっていた視聴者も改めて指摘され尤もだと思う。続けてジェンダー不明な人々、宗教の異なる異民族の流入と増大に批判の矛先を向け、やがて激しい絶叫調で、混迷するドイツの現状を訴えかける。差別主義者として批判されるのを怖れ、これまで誰も公に口にしなかったセンシティブな問題を次々に槍玉に挙げ批判する。派生物の彼に関連するYouTube動画の閲覧数も飛躍的に伸びる、そして忽ち人気を博する。  コメディ映画ではあるが、キューブリック映画に倣い「どろぼうかささぎ」の曲を使うなど、手の込んだ風刺の映画手法もどこかキューブリックに似ていて、可笑しみの中に、鋭い批評視点からくる、現状への危機意識とフラストレーションを感じているのが判る。人気者となったヒトラーが、噛み付いた犬を射殺する過去の動画が世に知られると、忽ち人気急落という、移ろいやすい大衆心理の本質をも浮かび上がらせ、そつがない。  EUを是として、メルケル首相が推し進めた、移民や難民の受け入れとセットの、多文化主義の施行の結果である、テロの頻発や政情不安など却って分断に至った、EU・ドイツの現状に不満を抱き、潜在的フラストレーションを溜め込んでいるドイツ人の大衆心理からすると、70年前の、決して蘇ってはならない危険思想とされた、ヒトラーの主張に迎合する空気が新たに醸成され兼ねないとする懸念が、この映画の制作意図としてある様な…。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2017-01-04 17:34:04)(良:1票)
18.  レヴェナント 蘇えりし者
アレハンド・ロゴンサレス・イニャリトゥ監督作品という事で期待に違わぬ出来。領地深く侵入し、自然を荒らし、恵みを収奪する毛皮猟の白人たち、それに対してインディアン戦士達の果敢な攻撃。マスケットは先込めの単発で、一旦発砲すると、後は接近戦のこん棒として使うしかない描写が何とも興味深い。  森での戦闘シーンの臨場感と迫力に驚愕。弓から放たれた矢の飛翔が鮮明に撮られおり、それが人体を貫く恐怖と迫真。この監督の他作品を観ても、特に超広角レンズカメラの有効性を熟知し、使用法が巧みである。たぶん部分的にはCG映像も少し使われたような印象だが、その殆どが現実を反映した作品作りが成されているのが判る。  主演俳優をはじめ、撮影に係る全員が超低温の厳しい実際の自然界で、危険の伴うシナリオを実践するわけだが、凍てつく水に浸り極限状態に晒された時の生体反応としの震えが窺え、演技の技巧を超えている感じ。多分そうした事も手伝い、ディカプリオ悲願の受賞に繋がったのかも。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2017-01-01 21:36:06)
19.  マイマイ新子と千年の魔法
アニメ映画に詳しくはないので、彩色に関わる決定権が誰にあるのか知らないが、色の使い方が、桜の咲く頃とラストの雪景色のシーンを除いて、空だけでなく全般的に何かくすんだ感じであまり美しくない。宮崎アニメの場合、季節や時間帯も色と明暗表現で明瞭に描き分けられ、このシーンは夏の午後6時頃の様だと明瞭に判り、気温すら感じ取れるが、本作ではその点が希薄。人体と顔に日差しが当る明るい部分と、影になっている部分の明度差が正確に描き分けられておらず粗雑な印象。  アニメ映画には、何より色彩設計が最重要と考え、厳密に計られて然るべきなのだ。欠点ばかりをあげつらう様で些か心苦しいが、更に言うと、眼の描き方も雑。視線を横に反らした表現など、まるでへのへのもへじで描く人顔の、の字の様、目の表現は紙に描いた人物に生命を吹き込む上で最も重要。そこを疎かにしては感情移入も難しい。アニメの場合、膨大な量をこなさなければならず、またアニメーターの技量もマチマチで、描画に一貫性が無かったり、線や動きがぎこちなかったりと、色々と問題を克服するのは難しいが「神は細部に宿る」と言うではないか、商業映画としてお金を払ってもらう以上、クオリティをもっと高める努力が必要。  ストーリーについて言うと、千年の魔法とする意図の意外性を期待したが、拍子抜け。タイムスリップしたような千年前の牛車が、新子の主観による幻視として現れるのでは、表現として弱く、説得力も持ち得ないのでは。国破れて山河あり、昭和30年頃の山口の風景描写は感心した。未舗装の道路や田園風景と野辺の花は、日本の原風景のようで、愛おしく感じられる。日焼けした現地っ子との間に発生する、色白の転校生少女との場違いな異質感と、27色の色鉛筆のエピソードも微笑ましい
[DVD(邦画)] 6点(2016-12-30 14:39:17)
20.  かもめの城 《ネタバレ》 
某、映画評論家さんが本の中で感情も露わに「アレからたった3年でこれだ」と怒っていて、何に彼が憤っているのか斟酌して言うと、多分、清純無垢の象徴のような大切なシベールが、3年後には脱獄囚の男と親しくなり、あまつさえ性行為にまで至ってしまったという、壊わされ霧散してしまった幻想に怒り心頭なのだ。そりゃ、主演女優こそ同じパトリシア・ゴッジではあるものの、本作と『シベールの日曜日』とは全く無関係の別作品。名前も、あまりイメージがよくないアグネス。彼だって、そんな事は百も承知でやはり文句を言いたくなるのだろう。それくらいP・ゴッジと役名のシベールとが不可分に結びつき、至宝のものと愛されてきたのだ。  しかし本作のアグネス、歳のわりに精神年齢が未熟なのか、カモメしかいない閉じた孤独さ故か、いつまでも人形遊びに執着。なかなかその想像世界から脱っせず、空想と現実との境も曖昧。案山子に着せた服と同じだからと、現実に出会った男とを混同する。或いは自分を誤魔化し、行動を正当化するため、その振りをしているだけなのか。いずれにせよ、思春期の性のめばえが根底にあるのは間違いない。そうなるともう誰にも止められない、冷静さを欠いた行動が、冒頭で、父親により断崖に投げ棄てられた人形と同じ、執着し愛する者を破滅へと向かわせてしまう。  解っていても映画評論家さん同様、どうしても「シベールの日曜日」との兼ね合いで観てしまうのは致し方ない。何が違って何が同じなのかを考えると、やはり、この映画は「シベールの日曜日」を大いに意識していると感じる。P・ゴッジの起用もそうだが、孤独な魂が、自分を認めてくれ、愛し合い、慈しむ対象を求めるところは共通する。違いが大きいのは「シベールの日曜日」が、ある暗黙の法則に則った様式を踏まえているのに対し、この『カモメの城』は年齢差、その他の理由で、重要な要素の無垢性が成立し得ないのだ。  先ず、アグネスは父親も家族同様の家事手伝いの女性も家に居て、天涯孤独な身の上ではない事。リュック・ベッソン監督「レオン」のマチルダも、「ロスト・チルドレン」のミエットにしても、シベールも身寄りなく絶対的孤独に置かれ、パートナーとなる相手も、共通してアウトサイダーの身の上である。そして正統な社会成員とは見なされないような何らかの世俗的欠損要素を備えており、持たざる者の聖性を持ち得ている。彼等は比喩的に言って、少女のパートナーとして神が遣わした守護天使のような存在と見做せる。そして命に変えても少女を守ろうとする。  肉欲に浸ることを覚えた「カモメの城」のアグネスは、絶対少女の年齢枠にも外れ、聖なる彼等の列に加わる資格を既に失っている。
[DVD(字幕)] 7点(2016-07-28 12:41:08)
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