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《ネタバレ》 ヒッチコックの『鳥』を念頭に置いているとかいないとか。たしかに原因不明のままに人が攻撃されてゆく展開は『鳥』そのものだ(いや、敵の姿を全く見せずにここまで引きつける力は『鳥』をも凌駕している)。そして何よりも初めて画面に登場するズーイー・デシャネルのどこかいってる目はまぎれもなくヒッチコック映画、とくに『鳥』の女だ。ご親切にも「あの顔は妻になれる顔じゃない」とジョン・レグイザモに言われたあとにこのいっちゃってる目をしたズーイーが映される。しかも彼女はどうやら後ろめたい何かを隠している。そんな女は『サイコ』よろしく殺される運命にある。しかしである。どうも浮気だと思ったらティラミス(だったっけ?)を食べただけらしい。そうなると話は変わってくる。レグイザモに「守り抜けないなら触るな」と言い放たれた後に少女の小さな手をしっかりと握るその姿に少なくとも少女は死なないことを確信させる。そしてズーイーもまた少女に向ける優しい目を画面にさらけだすことで彼女の死もないことを確信させる。もともとシャマランがそんなことするはずもないのだがこの確信させてくれるシーンをちゃんと見せてくれるのが嬉しい。何故毒素が発生したのか?何故主人公たちは助かるのか?そんな野暮なことを聞いちゃいけない。それでも聞かれればこう答えるしかない。それが「ハプニング」であり「奇跡」であると。シャマランはこれまでも「奇跡」を描いてきた。奇跡に何故?はない。そして奇跡はハプニングなのだ。もしかしたら「奇跡」「ハプニング」は神の啓示かもしれないと他の作品では示唆していた。毒素発生も救済も、そして夫婦の危機も円満もまた「奇跡」であり「ハプニング」なのだ。シャマランにとってのみならず映画はこの「奇跡」と「ハプニング」で成り立つ。映画は何が起こっているかを描くものであってその意味を描くものではない。昨今、こんなにも映画に素直に向き合った作品もそうはない。この作品が酷評されることのほうが私には「何故?」である。
【R&A】さん [映画館(字幕)] 7点(2009-05-01 14:13:23)(良:3票)
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