耳をすませば(1995) の 郁 さんのクチコミ・感想

Menu
 > 作品
 > ミ行
 > 耳をすませば(1995)
 > 郁さんのレビュー
耳をすませば(1995) の 郁 さんのクチコミ・感想
作品情報
タイトル名 耳をすませば(1995)
製作国
上映時間111分
劇場公開日 1995-07-15
ジャンルドラマ,ラブストーリー,ファンタジー,アニメ,青春もの,学園もの,音楽もの,漫画の映画化
レビュー情報
《ネタバレ》 耳をすませばのテーマは「成長」だ。同年には、エヴァンゲリオンが「思春期における成長過程」を描き、耳をすませばとの類似が見える。エヴァンゲリオンとは「アイデンティティの確立」がテーマの物語だ。巨大ロボットという絶対的な存在と、思春期におけるアイデンティティの曖昧さの対比。敵の襲来、父や周りの人々との関係、全てにおいて主人公は周りに流されながらも、少しずつ成長の兆しを見せていく。そして主人公は「ここにいてもいいんだ」という結論を導く。一方「耳をすませば」の場合。雫は自分の可能性を試す事に受験勉強もそっちのけで没頭し、絶対的な自己を追い求めている。この非常に能動的な姿は、自己を相対化する時代においては異質に映る。現代社会では、場所ごと、接する人ごとに自分の姿を変えていく。雫の自己の可能性を追及する姿は、すこし古い考え方とも取れる。しかし、宮崎氏はこの時代に、自立し、他者に左右されず自己の行動によってのみ自我を確立する10代の姿を描きたかったのではないか。監督のインタビューで「当初、僕はこの雫なり、雫が想いを寄せる少年をフツーの男の子にしたかったんですが、宮崎さんの考えは絵コンテを描くに従い、違ってきた。途中から描くに値する理想の人物として雫や聖司を描き始めた。具体的には、雫が「物語」を書こうとするあたりからかな。やっぱり宮崎さんだなぁという感想を持ちましたね」と語っていることからもそれは推測される。つまり、エヴァンゲリオンの主人公像=現代の若者。宮崎駿アニメの主人公像=現代の若者に求める理想像である。この作品は、多様化する価値観が存在する現代に、あえて絶対的な「価値観」を提示したのではないか。耳をすませばでは、未来はぼやけたままだ。雫に小説の才能があるのか、聖司に職人の適正があるのか、そういった事が描かれていない。そこに描かれるのは夢に向かう前向きな姿勢であり、努力であり、それを温かい眼差しで見つめる家族の姿だ。宮崎駿氏はインタビューで「この作品は、一つの理想化した出会いに、ありったけのリアリティーを与えながら生きることの素晴らしさを、ぬけぬけと唄いあげようという挑戦である」と語った。混沌とする現代において「耳をすませば」とは、一つの理想形とも言えるものをを観客である私たちに示した上で、「成長」を求めた作品だったと言えるのではないか。
さん [DVD(字幕)] 7点(2006-03-10 23:11:39)
郁 さんの 最近のクチコミ・感想
投稿日付邦題コメント平均点
2007-02-08時をかける少女(2006)9レビュー7.24点
2006-05-23かもめ食堂9レビュー6.59点
2006-03-10耳をすませば(1995)7レビュー7.08点
2006-02-23シムソンズ8レビュー7.41点
2006-02-05ある子供8レビュー6.35点
2006-01-22THE 有頂天ホテル8レビュー5.80点
2005-12-11ランド・オブ・プレンティ8レビュー6.72点
2005-11-08シン・シティ8レビュー6.53点
2005-10-31チャーリーとチョコレート工場8レビュー6.50点
2005-10-31ハウルの動く城8レビュー5.65点
耳をすませば(1995)のレビュー一覧を見る


© 1997 JTNEWS