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《ネタバレ》 オッペンハイマー。それは原爆と言う悪魔の兵器を創り出し、全ての戦争の形を一変させた科学者の名前。彼は、このまま日本と本土決戦に突入したら膨大な戦死者を出したであろう第二次大戦を早期に集結させた稀代の英雄なのか、それとも何十万にも及ぶ何も知らない無辜の民を一瞬にして焼き殺した残虐な殺人鬼なのか――。本作は、そんな天才物理学者の知られざる私生活を淡々と見つめた伝記映画だ。監督は同じく天才の名をほしいままにするハリウッドの寵児、クリストファー・ノーラン。3時間にも及ぶ地味で難解な内容なのにもかかわらず、同時期に公開された『バービー』とともに大ヒットを記録し、同時に評論家からの評価も高く、同年のアカデミー作品賞をはじめ主要部門を独占、だがその極めてセンシティブな内容から長い間日本公開がなされなかったいわくつきの本作を今回鑑賞してみた。なるほど、原爆をテーマとした映画にも関わらず広島長崎の被爆直後の惨状を一切描かななかったことに批判が出るのも分かる。だが、監督はそれは本作のテーマではないと敢えて描かなかったのだろう。それは、ユダヤ人であるオッペンハイマーが原爆制作の初期動機となったナチスによるユダヤ人虐殺という重要な事実も同じように敢えて描かなかったことにも表れている。この物語で重要なのは、科学と政治との切っても切れない関係を極めて冷徹に見つめたところにある。オッペンハイマー、彼は本当にただ優秀な一科学者なのだ。自分が作り出したものが世界をどのように変えてしまうのかなどと言う政治的思惑は、彼の科学的探究心の前では無に等しかった。ただただ彼は、これまでこの世界になかったものを自分の優秀な知性と類い稀なる努力とによって作り出したかっただけなのだろう。その結果、何十万人にも及ぶ無実の民が殺され人々はいつ世界の終わりが訪れるのかという不安を抱えながら生きざるを得なくなった。彼が戦後、どれだけそのことを後悔しようともその事実は変わらない。だが、そんな科学者の存在が人間を進化させてきたのも事実。問題は、その力を政治家――およびその政治家を生み出した社会がどのように使うかなのだ。これはそんな科学と人間の進化と破壊の関係を極めてストイックに見つめた物語なのだろう。自らの才能と類い稀なる努力、そして作品に命を吹き込む俳優陣や多くの優秀なスタッフ、利益を得るために自らに投資してくれた出資者、その他多くの利害関係者に支えられながらこれまで幾多の傑作を生みだしてきたクリストファー・ノーラン監督の思いが、このオッペンハイマーと言う孤独な科学者に託されているような気がしてならない。自分の人生を懸けた最初の核実験が成功するのかしないのかを固唾を呑んで見守る彼の姿など、まるで公開初日を迎えた映画監督のようではないか。何もないところから一から作品を生み出し、その結果、多くの観客から毀誉褒貶の声を受けようとも、それでも自らの才能で映画の世界を変えてきた監督の新たなる傑作の誕生を素直に喜びたいと思う。
【かたゆき】さん [DVD(字幕)] 8点(2025-01-08 07:49:58)★《新規》★
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