「麻薬は一つの生き方である」とはウイリアム・バロウズが自らの .. >(続きを読む)
「麻薬は一つの生き方である」とはウイリアム・バロウズが自らのドラッグ体験を基に執筆した小説「ジャンキー」からの有名な一節であるが、つまりジャンキーがドラッグをやるということは趣味や興味本位、或いは快楽のためですらなく、それが生きる上で何より必要とされるものであり、それ以外のものはすべてが従たるものと化してしまう・・・ということだそうで。ジャンキーの生態をありのままに提示したという点において、本作を見た際にまず思い出したのはそのバロウズだったわけだが、それ以外でもアロノフスキー監督自身、ドラッグというテーマよりも寧ろ興味と執着心を持っていたであろうその映像表現についてもバロウズが発明したと言われる、所謂「カットアップ」の手法をやはり髣髴せずにはおれない(確かにそのループする感覚はヒップホップ的ではあるんだけどね)。4人のエピソードではやはりサラのものが出色。他の3人のように軽い気持ちからドラッグにハマリ込んでいくのでなく、その弱さと孤独感ゆえに何かに依存せずにはおれず、その対象が当初の甘いモノ、テレビ、テレビ出演に向けたダイエット、日焼けの特等席等から徐々にドラッグに侵食され狂っていく様はE・バーステインの怪演のおかげもあって本当に恐ろしい。また、終盤の各登場人物が幾重にも折り重なるようにして綴られたうえで映画のタイトルと重なるかのようなラストの衝撃は、例えばドラッグストア・カウボーイやトレスポ等のようにサイケデリックな文化に憧憬を抱いた世代によるサブカルチャー嗜好表明的映画(嫌いじゃないんですよ、別に)を遥かに凌駕し、やたらと反復される例の音楽とともに暫くは脳裏に焼き付いて離れなかった。