誰が何と言おうと、キャロル・バラード監督は、アメリカ映画最大 .. >(続きを読む)
誰が何と言おうと、キャロル・バラード監督は、アメリカ映画最大の映像詩人であると信じる者にとって、この映画の評価の低さには怒りを禁じ得ません(ぷんぷん)。ストーリーうんぬんより、ワンシーンごとの、いやワンカットごとに映像から吹き抜ける風の爽やかな官能性に陶然とならないで、何のために今まで映画を見てきたのですか、皆さんっ!(…失礼、言葉が過ぎました)。とにかく、ヨットレースのシーン以上に、砂漠でのシークエンスにこそバラードの天才的な映像感覚がいかんなく発揮されています。そして、あの信じ難いほど美しく幸福なラストシーン…。物語の妙味や興奮を味わいたいなら、本でもゲームでも何だって代わりはある。けれど、そういった次元を超えた「貴きものの顕現(エピファニー)」とすら言いたいほどの瞬間に出会える体験を、この『ウインズ』はもたらしてくれる。星の数ほどもある映画だけど、そういった超越的な体験を与えてくれる映画なんて、一体どれだけあるでしょう?
《追記》帆に風を受け、波を蹴立てて海上を疾走するヨットのダイナミズム。音もなく空中を滑空するグライダーの、ゆるやかな浮遊感。砂漠の乾いた大地を、カタカタと駆けるオンボロトラック・・・。「海」「空」「陸」それぞれの“表面”を滑るように移動する、その〈運動感覚〉にこの映画は満たされている。その感覚にぼくたちの眼差しが一体化する時、ぼくたちは映画を「見る」というよりひとつの“体験”として「生きる」ことになる。この、映画との感覚の共有化というか「一体化」は、実にエロチックで官能的だ。しかしそのエロチシズムの、なんという爽やかさだろう! そしてラスト、光の粒子のひと粒ひと粒までもが見える(!)一連のモンタージュは、そんな〈運動感覚〉がもたらす官能的な体験の後の、けだるくも心地よい“余韻”そのものと言っていい。そう、「最高のセックス」を知りたければ、この映画の前に自身の感覚をさらけ出す、それだけで十分だ。もっとも、視線をあくまで「物語られていること」の読解(リーディング)やら解釈にのみ従属させる向きには、不幸というか“不毛=不能”というか、そういうインポテンツな出会いしかもたらさないかもしれないけれど・・・。
少なくともぼくにとって、これは、そういう「最高」で「おそろしい」映画なのです。
《追記の追記》・・・もうおれも若くないんだ、日本盤DVD、いやBlu-rayを早いとこ出しやがれこのヤロー!!(魂の叫び)