うむ。凄い。重いのに、軽やか。「憎悪」というのは愚かしくも、 .. >(続きを読む)
うむ。凄い。重いのに、軽やか。「憎悪」というのは愚かしくも、哀しい。ただ、重い社会問題を扱っていて、かつハッピーエンドではないにもかかわらず、単なる「重苦しさ」だけではない余韻が残った。それはきっとスパイク・リーが全ての登場人物に愛情を注いでいるからではないか、と思う。この作品の登場人物たちはお互いファッキンファッキンと罵り合っている。んが、そこには単なる憎しみ・苛立ちだけでなくある種の「愛情」がこもっているのではないだろうか。例えばイタリア系のピザ屋の主人はいわゆる「善人」ではないが、それでも「(この街に住む黒人は)みんな俺のピザを食って成長してきた。俺はそれを見るのが好きだ」と黒人に偏見を持つ息子に語りかける。日本人の自分にはなかなか実感できないが、あの街にあるのはそういう「憎しみすれすれの愛情」ではないだろうか(確かに一歩間違えば暴動に発展してしまいそうな危うい「愛情」ではあるが)。スパイク・リーが本当に表現したかったのは単なるコミュニケーションの不信や絶望感だけではなく、どん底の日常の中にある「愛情」や「希望」だったのだ、と僕は思う。