実戦指揮官の手記を元にした作品って多いですね。その手のものの .. >(続きを読む)
実戦指揮官の手記を元にした作品って多いですね。その手のもののなりがちな落とし穴というのは、自分たちのやっていることを正当化しようとするあまり反感を買ったりするものが多いのですが、この作品の場合はさほど感じないですみました。ただ、反戦映画としての趣旨はわかるのですが、北ベトナム軍を対等な敵として描こうとしたり、アメリカでの家族の様子を描こうとしたり、戦場で起きたできごとをできるだけ客観的に描こうとするあまり、何もかもが希薄で中途半端に終わってしまった気がします。最近の作品でのメル・ギブソンは、いつの時代の作品でも家族のために戦う父親を演じている気がしますが、「パトリオット」や「ブレイブハート」の場合は、自らの独立を勝ち取るために侵略者である敵と戦うという必然性もありましたが、ベトナム戦争の場合そういう理由も明白ではなく、「共産主義の脅威」という抽象的命題のために戦うということで、その辺のとまどいが演技にも出ていたように感じます。だからこそ小さな娘の問いかけにも歯切れが悪い回答しかできないし、出撃前の演説にしても戦う目的はさらりと流すしかなかったわけですね。UPIの記者として従軍するバリー・ペッパーが「この戦争は何かが違う」と言って、「だから銃でなくカメラを持ったんだ」という台詞には共感するものがありました。それでもベトナム兵が押し寄せてくると、結局銃を持って「プライベート・ライアン」でのジャクソン二等兵のように戦ってしまうのが虚しいですね。でもその後すぐに銃を捨てカメラを手にするあたり、初志を感じてグッと来るものがありました。ただ最初に書いた、中途半端に感じられた原因はベトナム側の扱いですね。映画の冒頭でアメリカとベトナムを対等に扱うような献辞が出ていたにもかかわらず、ベトナム兵の背景にある家族が、黒髪の美人一人だけというのはバランスを欠いているなと思ったし、映画のエンディングで出てくる犠牲者の名前もアメリカ軍に限られていて、ベトナム側の戦死者の名前がまるで出て来なかったのは大きく幻滅しました。どうせ出すんだったら、延々と10分以上かけてでも両軍の戦死者を出すべきだったでしょう。また、ベトナム側の民間人での犠牲者がほとんど描かれていなかったのは、意図的に描かれなかったのではないかというものを感じました。この映画全体を通して、このような「本来あったはずのものが素通りされている」という感覚が、この映画の焦点を希薄にさせ、中途半端に終わっているという印象を与えるものだと思います。戦闘シーンをリアルに描くのは最近の戦争映画の流行ですが、最初から最後まで違和感があったのは、あの戦場になった場所というのが、どう見ても亜熱帯のジャングルではなくて、もっと乾燥した地域の自然に見えてしまったことですか。実際の「死の谷」を見たわけではないので詳しいことはわからないけれど、もっと湿潤気候であることを観客に伝えるような描写をした方が"ベトナム戦争"ものとしてはよかったような気がします。たとえば「地獄の黙示録」がフィリピンでロケをしたように。思うにこの映画は、4時間でも5時間でも時間をかけて、もっと細部を描いた方が成功したのではないかと思います。とにかく中途半端になってしまったのが惜しい!