画面内でやろうとしていることについて、そのまま一人称ナレーシ .. >(続きを読む)
画面内でやろうとしていることについて、そのまま一人称ナレーションで「解説」がついて回っているのであるが、この脚本家兼監督は、役者やスタッフをよほど信用していないのだろうか。そのような環境下で仕事をさせられる方が可哀想だ。●主人公についても、周辺の人たちについても、背景もなければ変化もないので、「ただそこにいるだけ」なのです。つまり、茶道のシーンを撮った時点で、制作側の力が尽きてしまっています。●それから、最後の部分を除いても、作中で15年くらいは時間が経過しているはずなんだけど、それが何も表現されていないのは、逆に意図的なんでしょうか?それに何か意味があるの?