前作の続き、というより二作合わせて始めて“SAW”のような気 .. >(続きを読む)
前作の続き、というより二作合わせて始めて“SAW”のような気がしました。前作では、ジョンは常に試験をしていた。生きる意欲のある者。それは“死を知って始めて生を知る”とジョンが言っていたように、生に価しない者を試験にかけ、それで生き残った人間は、そこで始めて生の大切さを知り、後継者の資格を得る。そして、今作は生き残った人間に、後継者として相応しいかどうかを確かめる試験を行っていた。ジョンは常に命を代償に生きる意味を伝えようとする。今の世の中では、命の重みというのはそれくらいしなければわからないものなのだろうか?この映画は命の重みを頭の奥深くに根深く残そうとした。この映画のそういった洗礼された脚本と演出力には素直に賞賛できる。その為に、リアルで強烈でグロテスクな映像をつかった。しかし、僕は最近思うようになった。こんなリアルな映像を見せる事で何が生まれるのだろう?人が人を殺すシーンを見せて何が変わるのだろう?人の頭がぐちゃぐちゃになるのを見て何を感じればいいのだろう?まさか興奮するのだろうか?“人が苦しむ姿を見たい”という感情が生まれはしないだろうか?人の命が軽くみられはしないだろうか?最近では、ゲームや漫画でもこういうのが増えてきた。異常な殺人事件が連日ニュースで流れる今の世の中。さらに後押ししてしまうのではないだろうか?血が流れ、死ぬ瞬間を見せ、苦しむ姿を見せ、殺す場面を見せる。僕は絶えられなかった。僕はこういう映画の存在価値がわからなくなってきた。映画はここまでしていいのだろうか?わからない…僕はもうこういう映画を観ないことにする。でないと命の重みを理解しきれていない人間になってしまいそうだ。脚本と演出力賞賛できる。だが、映画自体は、今の僕には高い評価は絶対につけられない。むしろ、つけてはいけない。