<ネタバレ>メリエス(のみならずリュミエール兄弟でもハロルド・ロイドでも .. >(続きを読む)
<ネタバレ>メリエス(のみならずリュミエール兄弟でもハロルド・ロイドでもどれでもそうだが)の映画が流れる度に涙が溢れそうになるのだが、それは別にメリエスの映画に涙しているのではなく、ぬけぬけと懐古的な映画愛を恥ずかしげも惜しげもなく披露してしまう、この映画の全体の一部に涙している。何故なら、スコセッシがそう仕向けてくるのだから。
であるからこそで、ふたりが映画館へと忍び込むところだ。暗闇を切り裂いて、光が、ただ光が、スクリーンを突くと、浮び上がる新たな世界。『ロイドの要心無用』の名シーン、ビル登り、をふたりが興奮して食い入るように観る。そう、子供の頃の映画という体験の興奮を忘れることが出来ず、ひとは繰り返し繰り返し、暗闇へと脚を運ぶ。
さて、どうして、こんなにも愚直で、稚拙で、恥じらいのない、映画愛に満ち溢れた映画を作ってしまったんだろうか、スコセッシは。何時にも増した下手くそさと、観客を選ぶような映画愛表現と、幾つものレイヤーを重ね合わせただけのような3D映像。こんな欠点だらけの映画、最高に好きである。
これは暴力やセックスを描いてきた作家の、映画が暴力やセックスと手を結ぶまでの映画。映画は未来のない発明だという劇中でも登場するリュミエール兄弟の台詞とは裏腹に、映画は、音、色、そして、デジタルへと変容し続けている。人々が暗闇へと脚を運び続ける限り、映画は死なない。