街娼を相手にホイットニーヒューストンやヒューイルイス&ザ・ニ .. >(続きを読む)[良:1票]
街娼を相手にホイットニーヒューストンやヒューイルイス&ザ・ニュースの楽曲に対する表層的な批評を切々と述べる主人公。典型的な80年代<MTV>世代だ。<プログレ時代のジェネシスを「理解できない」為にあっさりと否定するところが如何にも。。。である> 彼らは表層が表層であることに無自覚であるがゆえに、無意識にその深層を覆い隠すよう常に心<と言われるもの>に蓋をして暮らしている。その表層の戯れは、高級レストランやブランドスーツの競い合いにも代表されるが、極め付けは名刺の文字や表面処理が自分のステータスを表すと本気で思っちゃうような姿勢だろう。そして、その自我の息苦しさは、いつしか押さえ切れない妄想と衝動によって表層を突き破らんばかりに揺れ動かし、主人公を狂気の沙汰へと向わせる。まぁ文明論的に解釈するに、こういった単純な図式になるのだろうけど、この映画(小説といってもいいか)の80年代的なモード批判はかなり辛辣だよね。80年代こそは「隠れサイコ」の時代だってはっきりと宣言しているんだから。でも、同時代人として思うに、これはちょっと行き過ぎだよなぁ。確かに80年代的ポストモダンな風潮に踊らされた人たちをデフォルメーションするとこんな感じかもしれないけど、あまりにも極端すぎてかなり引いちゃうところもある。もしかして、これは80年代を皮肉った壮大なギャグなのかもしれない。そう考えると結構納得しちゃうところもあるかなぁ。[良:1票]