これは、あやうく刹那的な恋の感情が心的呪縛の開放とともに愛へ .. >(続きを読む)[良:1票]
これは、あやうく刹那的な恋の感情が心的呪縛の開放とともに愛へと転化した幸福な物語なのだろうか。僕のようなプチニヒリズム的心情の持ち主には、素直にそのようには受け入れがたいところもあったのだけれど、う~んと考えてみるにつれ、こんな始まりを感じさせるハッピーエンディングな志向は、古今東西の恋物語を見回してみても、多少なりとも画期的なことだし、ある意味では確信的なことかもしれない。そこには、「The piano」の作者の水脈に対する信頼度の問題があるけれど、この物語がとても誠実であり、実際に僕の心をぐぐっと惹きつけてやまないという事実があるのは確かなのです。主人公にとってのピアノは内面世界の象徴であったと思うんだけど、最後に彼女がピアノを断ち切ることによって何を失い、何を得たのだろうか。ピアノ=内面の象徴化=自己の観念化という図式で考えれば、当初彼女の凝り固まった内面には、地平としての他者が不在であり、だからこそ、突如現れた他者としての恋感情が強烈にして彼女のピアノの旋律を狂わせたのだと思う。この恋感情が彼女を突き破り、現実をも転覆してしまうところはやっぱり確信的です。このハッピーエンディングには、彼女が欠損者であることがひとつの大きな要素となっていると言えるのではないかな。欠損からの快復の物語がエンディング以降に語られるのだろうけど、恋感情からストレートに移行するように思える、そこに恋と同列の可能性をもつある種の「癒し」の感情を強く感じることができる。こんなことを考えるのは初めてなので、うまく言えないのだけど、この作品は、終わりが始まりとなるような新しい可能性をもった画期的なラブストーリーなのだということがいえないだろうか。<最後に、、、この作品の邦題はやっぱり単純に「ピアノ」とすべきだったのではないかなぁ>[良:1票]