前作と同様、ここにおいても主題となるのは主体性の問題である。 .. >(続きを読む)
前作と同様、ここにおいても主題となるのは主体性の問題である。しかしこちらの場合、主体性の問題を紡ぐツールとして「人形」が登場している。これにより主体性の問題を、異なるアプローチにより問いなおしている。つまり、身体のほぼ全てを義体化してしまったバトーと、「人形」を差異化するものはなにか?
なによりも、集団の海(ネット)と同化させた素子(人形)と、バトー(主体的なもの)のコントラスト、そしてバトーに対し「今の私には葛藤はないわ」と言う素子の姿が非常に印象的である。
そこには自己の存在の希薄に対する憂いは微塵も存在せず、主体なき自分を楽しんでいるようである。それは「自分をしっかり持つことが大事」「私は何のために生まれてきたの?」と自らの主体性を問い続ける人々に対してのアンチテーゼに聞こえてくるのである。