怪談にしても、妖怪話にしても、文化としての日本の“恐怖”には .. >(続きを読む)
怪談にしても、妖怪話にしても、文化としての日本の“恐怖”には夏がよく似合う。
日差しと空気はじっとりと暑く、だからこそ、異形の恐怖の冷ややかさが、背筋を凍らせるのだ。
眩く照りつける夏の太陽。ふいに浮かび上がる不自然な陰影。そういうものを映画世界に普遍的に描きつけることができている段階で、この映画は成功していると思う。
“不思議なものなど何もない”という主人公・京極堂の台詞。“妖怪変化”を題材としながら、何とも妙な台詞であるが、ストーリーが進むにつれそれは見事に消化される。
そう、妖怪とは、異形のものとは、あくまでも日本の日常の中に息づくものなのである。
それは、長きに渡って語り継がれてきた、確固たるこの国の文化なのだ。
そして、最初から最後まで薄っすらとモヤがかったようなこの映画は、そういうこの国の文化を表現している。