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<ネタバレ>SF映画とは、作品全体の90%が退屈でも、残り10%で示される顛末と物語に秘められた“真意”によって、その価値を誇示できる娯楽だと思う。
週末の深夜、この映画を観始めたが、6割近く観たところであまりの退屈感に伴う睡魔に勝てなかった。
翌日、惰性と諦めの中で、残りを観た。
これほど、終盤までの絶望的な退屈感を経て、観終わった後の満足感が高い映画も珍しい。
地球の存亡をかけた宇宙戦争の“戦いを終わらせるもの”に指名された少年の物語。
原作を読んだことはないが、おそらく“良い意味”で広く子供向けのSF小説なのだろう。
当然ながらこの物語世界に対して愛着などなかったが、実際この映画化作品を観終わってみると、成る程、これは世界的にファンがいて、シリーズ化されるに相応しいSF作品だと思えた。
映画の大半(というか殆どすべて)は、主人公ら選りすぐりの少年兵たちの“訓練描写”に終始する。
タイトルが示す通り、少年たちはまるで“ゲーム”をひたすらにやり込むように、「戦争」の訓練を続ける。
実際に映像として映し出される描写も、極めてハイクオリティーなゲーム世界を描いているようで、当然現実味がない。
映画がクライマックスに入っても、映し出されるものは、その“ゲーム”のような訓練描写で、僕のこの映画に対する退屈感はピークに達した。
しかし、そこから示された“残り10%”の真意によって、退屈感は一転し、充足感が満ちてくる。
この物語の主人公が子どもたちである意味。
ひたすらに訓練描写に終始する意味。
“ゲーム”の真意。
自分の想像の範囲外から途端に表された普遍的な“戦争”と“大人”の愚かさが、ぐさりと心に突き刺さる。
そして、無垢な才気と凶暴性を孕んだ主人公が選んだ道筋に、“戦いを終わらせるもの”という役割の本当の意味を見た気がした。
と、一転した満足感のもとで今作を振り返ってみると、映像的にもハイクオリティーだったと思うし、観客を敢えてミスリードしたのであろう演出の手際も良かったと思える。
途中、幾度も「もう観るのやめようかな」と思ってしまったが、これだから“SF映画”というジャンルは侮れない。