実に15年ぶりのドラえもん映画の劇場鑑賞であった。
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実に15年ぶりのドラえもん映画の劇場鑑賞であった。
15年前に観た作品は「のび太のロボット王国」。既に藤子・F・不二雄先生のオリジナル原作ではなく、ストーリーの陳腐さに大きく落胆したことを覚えている。それ以来、新たなドラえもん映画を観ることはなかった。
そして、時は移ろい、時代は変わる。
声優陣は一新され、アニメーションの作画も変わり、時折目にするテレビアニメでは、新しいドラえもんが息づいていた。
旧アニメ版と原作コミックで育ってきた世代の者として、その変容には寂しさを感じはしたけれど、同時に、新しい世代に向けて新しいドラえもんが生き続けてくれることの喜びが勝っていた。
より原作の世界観に近いアニメーション表現とキャラクター描写は、原作ファンとしては非常に好印象だったけれど、既に大人になっていた僕は、新しいドラえもんに親しむことを避けるように十数年を過ごしてきた。
ただし、僕自身の人生と環境も変わる。
ドラえもんから離れたこの十数年の間に、就職し、結婚し、子どもを二人授かった。
当然のごとく、子どもたちはドラえもんが大好きになり、5歳になる長女がついに「ドラえもん映画を観に行きたい」と言ってくれるようになった。
新しいドラえもんから離れ、大人ぶってあまり興味のないふりをしてきたけれど、僕はずうっとこの機会を待っていたように思う。
子どもたちと一緒にテレビアニメも再び観るようになった。
そして、満を持して、この最新作を娘とともに劇場鑑賞した。
そこには、僕が愛してやまないドラえもんがいた。僕以上にF先生の原作を愛してやまないのであろう新しい世代のアニメーターたちが、より一層原作に近いキャラクターと世界観を、最新の技術で表現し続けてくれていた。
ストーリーのロジックにおいて、F先生ならでは科学的考察と小気味よさに溢れた“巧さ”は無かったけれど、題材と顛末には「ドラえもん」というSF作品の真髄を追求しようとする姿勢と気概が見受けられた。
「10万年前の南極」を舞台とし、「氷」という自然現象が持つ要素を生かし、「時間」の超越とそれに伴うドラマとタイムパラドックスまでを描き出す試みは、F先生が描き続けたS・F(すこし・ふしぎ)性に通ずるものであり、とてもロマンティックで、壮大だったと思う。
あとほんの少しのストーリーテリングの巧さと、F先生の原作が持ち合わせていた毒気があれば最高だったと思う。(ニセドラえもんのくだりなどはとても惜しかったけれど)
ともかく、作品そのものに対する満足感というよりも、僕の人生において、改めて「ドラえもん」に触れる機会を得られたことが、何よりも嬉しく、満足感に溢れている。
来年以降も、子どもたちと一緒に映画館に足を運びたいし、この空白の十数年の間のドラえもん映画も今一度観ていきたいと思う。[良:1票]