ゴジラ映画初の長編アニメシリーズ(三部作)の第二弾。
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ゴジラ映画初の長編アニメシリーズ(三部作)の第二弾。
世間の評判の悪さから長らく敬遠してしまっていたのだが、ようやく鑑賞した前作「怪獣惑星」が、思いのほかゴジラ映画ファンの琴線をくすぐってきたので、同日に続けて今作を鑑賞。
「決戦機動増殖都市」というこの副題が、中二病的でとても良い。
このタイトルを堂々と掲げることで、この映画は“そういう映画だ”ということを宣言しているのだと思う。
詰まりは、この国が長年に培ってきたアニメ文化、特撮文化、そしてオタク文化を愛し続けた者たちが、寄ってたかって“自己満足”を積み上げた作品であるということ。
そして、「それの何が悪いのか?」ということを、開き直るように力強く叩きつけている作品であるということだ。
前作のラストで、ようやくゴジラを討伐した歓喜も束の間、ほぼ間髪入れずに現れた真の絶望。
あまりにも巨大な絶望に対する次なる対抗手段として描き出されるのは、共闘する異星人がかつて地球に持ち込んでいた“メカゴジラ”の「構成素材」で2万年の間に勝手に出来上がっていた“増殖都市”という、完全にワケガワカラナイ代物。
ワケガワカラナイが、だからこそケレン味に溢れ、極めてSF的だと断言したい。
“メカゴジラ”のビジュアルを一切登場させることなく、その“素材”と、それを扱う異星人たちの異質な“思考原理”のみで、もはや地球環境そのものとなっている“ゴジラ”と対峙し、ストーリーをテリングしていくこの作品のあり方は、やっぱりマニアックでぶっ飛んでいる。
肝心要のゴジラの描写すらもそこそこにして、舞台であり、兵器である“増殖都市”そのものの禍々しさを突き詰め、その中で異なる思考をぶつけ合う人間同士の消耗戦と、それに伴う悲劇に主眼を置いていくストーリーの顛末が極めて興味深かった。
そして、そんな異質なストーリーテリングを展開しながらも、しっかりとゴジラファンの高揚感を煽る描写、伏線が張り巡らされている。
双子の美少女、卵を崇める民族、隠された異星人の思惑、そして「ギドラ」という忌まわしき言葉。
世間の評価がどんなに低かろうが、前作に続き今作もしっかりと“ゴジラ映画”であり、“SF映画”であったと思う。
主人公を見つめるヒロインの目線が絶妙に合っていない不気味さすらもはや味わい深い。
さあ、次はいよいよトリロジーの最終作。“地球最大の決戦”に向けて準備は万端だ。