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<ネタバレ>フランクリン・J・シャフナー監督ごめんなさい、この映画をフランシス・フォード・コッポラ監督(本作の脚本)の系譜として捉えてしまいました。■パットンは、シーザーやナポレオンを標榜するも、影響力を「軍事」の領域に限定された一介の軍人に過ぎなく、憧れのシーザーやナポレオンは軍人である以前に、皇帝や執政官という「政治」を司る立場にあったのです。いかに個人的資質が高くとも、未曾有の破壊力に肥大した「軍事力」と、新たな“民主主義”という手法の「政治」を一元管理する事など、この高度に分業化した社会構造の中では不可能なことになっていたわけです。70年代終盤、コッポラはカーツ大佐という、違う形の「戦場のカリスマ」に、パットンが成しえなかった伝説の指揮官を実行させることになります。行動目的を「軍事」から「政治」に、「勝敗」から「支配」へと拡大させたのです。“戦う者”から“統治する者”への巨視的展望こそが、パットンとカーツを、そしてパットンと伝説の指揮官を分ける決定的な要因だったのです。しかし、残念なことにカーツは“民主主義”とは極北にある“シャーマニズム”を導入しての絶対的な“神”へと成り下がっていくのです。このカーツの事例でコッポラは、「軍事と政治の一元化」は時代に逆行した“独裁”形態でしか成しえないことを実証し、パットンの時代的ハンディキャップをも擁護しているかのように思えました。■この映画の冒頭、パットンは熱い演説で【第二次世界大戦の新兵】を鼓舞しますが、聴衆を画面から徹底排除した作為的な演出を行うことで、この演説が、この映画を観ている【来たるべきベトナム新兵】を洗脳する戦意発揚プロパガンダにすり変わったと感じました。公開が1970年という絶妙のタイミングに国家的陰謀の臭いをかいだのです。70年初頭-パットンに尻を叩かれながらベトナムに赴き、75年-地獄を見ての帰国。やっと癒えた79年-カーツによる悪夢の再現。そしてそれによる心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発症。さぞかしコッポラに憤慨したアメリカ人も多っかたことでしょう。“コッポラ黄金の70年代”を総括すると、このパットンで颯爽と幕を開け、73年、ビトー・コルレオーネという「戦場(抗争)のカリスマ」で急展開、70年終盤にカーツと共に破滅的に終焉を迎えた、と言えるのではないでしょうか。■あっ!!本当にゴメンなさい!フランクリン・J・シャフナー監督![良:2票]