人は確実に年老いるのだと確信してしまった。
劇中のソフィや .. >(続きを読む)
人は確実に年老いるのだと確信してしまった。
劇中のソフィや荒地の魔女の事ではない宮崎駿の事である。
だからといって年老いるという事は別に恥じる事でもない。
外見が年老いていながら精神が若い人もいればその逆の人もいる。
要はいかにその一瞬々々を大切に生きるかの裏返しなのではないか。
宮崎映画作品が誕生して早や20余年経過している。
(あのナウシカから今年で22年経過する)
20年といえば生まれっ子が大人になる年月である。
見ている人間も当然20年分の知識が脳に書き込まれる。
となれば作っている人間も当然20年分の年季が入ってくる
・・・いや、入るのは当然だろうし逆に入れなければならないのだ。
自分が同じ監督という立場なら恐らくこう言うだろう。
「いつまでもオレにファンタジーや漫画映画ばかり作らせるなよ。
オレの描きたいものはそんな子供騙しのアニメばかりじゃないんだ!」
そして逆に心の中でこう煩悶するのだ。
「でも待てよ・・オレのイマジネーションはとても実写じゃ表現できない。
第一そんな大金などどこも出さん。」
「よし!じゃあ、ジブリ作品として出せば金も調達できるし
世界の宮崎と言われたオレだ、オレの作る作品に誰も文句は言わさん!!」
スタッフの一人が言う。
「監督ぅ、何かこの作品、少し意味がわからないんですけど・・・」
どーぞ宮崎。
「なに、意味がわからないだとっ!!やかましい!!
判ろうとするな!わかれ!!!」
スタッフの一人が言う。
「はぁ!?でも監督ぅ・・・」
はい宮崎。
「くぅおら、おめぇら!!オレのイマジネーションを頭に焼き付けろ!!」
キャスト(byきむにーやん)の一人が言う。
「ちょ、ちょっと待てよっ!!」
それっ!宮崎。
「オレの若えぇ頃はなぁーーーー!!!」
・・・かくして独り善がりの因業ジジイが趣味と実益を共存させ
世の中に混沌と混乱を招くアートな作品を誕生させたのだ。