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<ネタバレ>幕末の侍の葛藤とは、よく考えてみたら山田洋次の好きそうなテーマだ。西へ習えの大潮流に乗り、武士たちを守ってきた封建制という鎧の絶対性が揺らぎ始める。このような時代の侍の苦悩は、簡単に「ヒューマニズム」と結びつけられる。それはいい。しかし、山田監督の手にかかると、このヒューマニズムが「(悪い意味で「女子供」をからめての)お涙ちょうだい」になってしまうのが、殺陣を中心とする侍映画の乾いた様式美(=女子供がからむ「お涙ちょうだい」とは対極にあってしかるべき)を好むあたしのような者には耐えられない。まあ、そういう監督だとわかってたから、別に驚きもしなかったけど。象徴的なのが、松たか子と高島礼子の存在。身分制度ゆえ、主人公の侍と結ばれることの許されない町人娘だの、極刑を科された亭主の命乞いをするため、無駄を承知で自らの身を犠牲にするヨメだの。侍魂、というか、侍のアイデンティティの観点からはある意味邪道とも取れる彼らの姿を描くことで、封建制と共倒れになりつつある主人公の人生観の崩壊を描きたかったんだろう。いや、よく出来た映画であることは否定しない。映像はとてもきれいだと思うし、スタイルも確立していると思う。単に好みの問題で、あたし個人はこういう湿っぽいのは楽しめないクチ、というだけのこと。封建制崩壊と、それと共倒れになる侍、というモチーフ自体が嫌なのではない。映画のヒューマニズムを否定するのでもない。山田監督の手によるそれらの表現が好きになれない、ということ。あ、でも一言だけ内容批判。蝦夷へ向かう主人公がわざわざきえを迎えにいく場面まできっちり撮らなきゃ気が済まないところが、いかにも山田流。そこまで見せんでいいっつーの。妹夫婦と別れる場面の、妹の台詞が、その展開を十分に示唆してたんだから。あの妹の台詞で終わっておけば、うまく余韻を残すことができたのに。というわけで、あのラストシーンは蛇足。しかも「あー言うと思った」という感じの最後の会話が、なんとも・・・。和製オリバー・ストーンか。