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<ネタバレ>人はそう論理的に生きているわけではない。特別のきっかけがなくても考えを真逆に変えてみたり、誰かの言動にふらふら左右され行動したり、まいっか、とか、何となく、ってのが人間の多くなのであって、だから、好きな女性が誰かとやった、なんてことは別に何の証拠もなく頭に浮かぶのだし、悪いと思ってても何となくやっちゃうわけだし、で、嫌々やっちゃったら好きになったりもするわけだ。やるやらないの話ばかりで恐縮だが、そういう映画だから仕方がない。■ところが、そんな人間の曖昧さを映画に描くのはとっても難しく、観客にふむふむと言わせるのは至難の業で、だからこそ映画は様々な手練手管を使ってきた。例えばこの作品でも、そんな曖昧さの意識的な演出や、「え、この二人結婚したの?」という疑問を抱かせないまま進行する時制のすっ飛び、禁煙したのかどうかとかナタリー・ポートマンの本名とか出自とかやけに小粋な台詞とか、いろんなことで人間のもつ曖昧さ、あるいは恋愛の不安定さを、なんとか映画にしようとしている。■しかし悪く言えば、人間に小器用に対している、映画が人間に程良く折り合おうとしている。それじゃ駄目っす。小手先じゃん、もっと正面からぶつかってけよ、と思うし、カサヴェテスや小津らが燦然と輝いている以上、正直、この程度では困るのだ。■でも、やっぱこの映画、それら手練手管がとっても上手くて実に楽しめる。さっすがマイク・ニコルズ、そつなし。全く何を考えているか分からないジュリア・ロバーツの無表情がなにげに良いし、ナタリー・ポートマンの「恋は消えた」の台詞や、空港で去っていく彼女の後ろ姿はとても切なく、どうでもいい恋愛話、痴話喧嘩と片づけるのはあんまりだと思う。というわけで10点。■それはともかく、この役柄で乳首すらみせないナタリー・ポートマンは90年代初期の武田久美子なのか。ナタリー・ポートマン、すごくいいんだが、その点はとても気になった。