<ネタバレ>見当違いな見立てかもしれませんが、世の中の「定見」に対するア .. >(続きを読む)
<ネタバレ>見当違いな見立てかもしれませんが、世の中の「定見」に対するアンチテーゼが心地良いという感じ。トルストイの「アンナ・カレーニナ」の有名な冒頭の一節「幸福な家庭は似通っているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」に照らせば、主人公の環境は明らかに「不幸」の一形態でしょう。伴侶はいない、家すらない、お金もない、定職もない、あるのはボロボロのクルマだけ。しかし本当に彼女は不幸か、と訴えかけてくるわけです。とにかく自由で、逞しくて、薄いながらも適度なコミュニティがあり、とりあえず食うには困っていない様子。孤独や悲しみはあるが、それは「幸福な家庭」にもある話です。
印象的なのは最終盤。温かそうな家庭に招かれて定住するかと思いきや、やはりボロボロのクルマで逃げ出してしまう。ここだけを切り取ったら「なぜ?」と思ったかもしれませんが、ここまでを見てきたら「わかる!」と思えるんですよね。別にノマドな暮らしを羨ましいとまでは思いませんが、こういう生活もあるんだなあと思わせてくれました。
ドラマとしては特に何も起こりません。ドキュメンタリーでさえなく、定点カメラのように淡々と日常を追うだけ。それでもなんとなく見入ってしまう力強さがあります。またこういう映画にいろいろ賞を提供するアメリカの映画界というのも、なかなか奥が深いなという感じがします。