「宗教と哲学がだめになったあとに科学がある」というのが主人公 .. >(続きを読む)[良:1票]
「宗教と哲学がだめになったあとに科学がある」というのが主人公に託したジョエル・シューマッチャー の逆説的な考え。
しかし、この映画が制作された時代は、主人公の科白とは180度逆で科学技術そのもののいきづまり感が高まり、神秘主義・ニューエイジ哲学が一部のマニアックな人々だけでなくひろく市民権をえるようになっていた。日本では立花隆が『臨死体験』のための取材を本格化させていた。そんな時代に、シューマッカー は臨死体験そのものは認めつつその意味あいをかなりネガティヴにあつかってしまった。サスペンスに仕上げるための手段とわりきればいいかもしれないが、もう少し奥行きのあるものとして個人的には描いてはしかった。
ちなみに、日本での、ニューエイジ運動を実質的に枯らしてしまった地下鉄サリン事件は映画公開の5年後だった。[良:1票]