<ネタバレ>正直なところ、あんなに美人なアラサーの彼女が、あんな頭悪そう .. >(続きを読む)
<ネタバレ>正直なところ、あんなに美人なアラサーの彼女が、あんな頭悪そうな大学生に溺れていくのがちょっと理解に苦しむ。冷静な判断ができないときってどんな人にもあるだろうけど、映画の発端としてはちょっと必然性に欠けるきがする。映画が終わる最後の最後でいいから「ああそうか、だからあの女はあの日大学生についてったのか。そりゃそうだよな、わかるよその気持ち。嗚呼」となれればよかったんだけども。
もちろん映画ではいちおうこれに対する必然性を与えようとして、カトリック系中学校での出来事を織り交ぜている。この出来事があれば確かに大学生への耽溺は説明になるが、必然性とまではいかない。
べつに横領しなくても、あの様子ならば貯蓄とかから渡せただろう。そもそも銀行員なんだから学資ローンとか詳しいんだろうからそういうアドバイスをしてあげればよかっただけではないか。
それともあのエロ高齢者への仕返し?または単純にエロ大学生と不倫したかっただけ?
気になるのは、彼女は不妊だった点。不妊の原因が夫なのか彼女なのかはちょっと聞き逃したけど。
これら数々の心的な歪みの歯車が、持ち前の美人なエロさが導くままに、不幸にもカチッとかみ合って、回りだした不幸な歯車はもう止めることは出来ず。
映画の中で印象的に何度も登場するアイテムとして、腕時計がある。僕は腕時計をしない人間なので、腕時計に自らのステイタスを求める考えが全くない。だけど多くの社会人は、腕時計に自らのステイタスを投影したがっている。横領の歯止めが利かなくなっていけばいくほど、高価でキラキラした腕時計が登場する。まあ映画としては分かりやすい表現だ。
横領によりお金が無尽蔵に手に入るようになって、物質的な自由を手に入れた彼女ではあるが、その腕にはキラキラした腕時計。僕はこの腕時計が、”手枷”(てかせ)にしか見えなかった。すなわち、自由を奪う拘束具。
小林聡美演じる先輩銀行員おばさんは、クライマックスこんな名言を叩きつける。「お金で自由にはなれない。」これはすなわち、腕時計の手錠性ではないか。 我ながら鋭い指摘だ。