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ギリアム監督が妥協していればきっと映画は最後まで撮れたと思う。しかし、それはたしてすばらしい映画なのだろうか?残念ながら我々消費者にその真相は分からない。けれども製作者にとって、とりわけ監督にとっては明らかに負け映画である。なぜならば彼らはプロなのだから。ギリアム監督の情熱は痛々しいほどに熱かった。映画が撮りたい!ということしか頭になかったのかも知れない。ドンキホーテの映画は残念ながら雨と共に流れてしまったが、幸いにもこのドキュメント映画は生き残った。悲しむべきは、ドキュメントにもならず人知れず消えていく映画の卵たちである。