よくも悪くもジブリ宮崎映画の印象を決定付けた作品。ナウシカに .. >(続きを読む)
よくも悪くもジブリ宮崎映画の印象を決定付けた作品。ナウシカに登場する人物は皆優しいと思う。「こいつは心から憎い」というキャラクターは皆無で、蟲にすら惜しみない愛情を注ぐナウシカは、優しさを通り越して神々しく見えるほどだ。まさに、こういう「優しさ」や「愛」こそが宮崎映画の最大の長所なのだろう。しかし、よく考えてみれば、それはいわば「日本風」の「優しさ」であり「愛」で、ナウシカの無国籍(というか非東洋風)な舞台設定とはほとんど関係のないのがこの映画の最大の欠点であることに思い当たる。最近は日本を舞台にした宮崎作品が目立つが、それは恐らく「ナウシカ」のような映画では、優しさや愛が「どこか遠い場所」にあるもの、自分とは関わりのないファンタジーの世界にあるもの、あるいは逆に人類に普遍なものだという捉えられかたをされかねないと思ったからではないか。もし日本が舞台ならば、観客は「優しさ」や「愛」が自分の生まれた場所や環境と切り離せないものだと感じるだろう。誤解されそうなので言っておくが、「優しさ」とか「愛」なんてものを、文化や歴史や生活の影響抜きに、それだけを取り出すことなんか出来ないと私は思っている。西洋には西洋の、アラブにはアラブの「優しさ」があり「愛」があるはずだ。ナウシカの「優しさ」をポンと中央アジアに置いたとしても、それはあくまで日本の「優しさ」であって中央アジアのそれではないのである。「子供だから難しいことは抜きに・・・」という向きもあろうが、私は子供だからこそ、誤解を招くようなメッセージを送ってはいけないと強く思う。宮崎監督の優しく愛に溢れたこの世界は、映画の中の光景がどうであれ、はっきりと日本の風土から生まれたものである。もしそれを自覚させないのなら、あの鬱陶しい「アメリカ正しい」と同じ無邪気さ傲慢さを持つ子供が育っても不思議はないだろう。