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<ネタバレ>観る前は、タイトルからして単なる反日映画かと思っていた。だが実際は違った。日本兵も、平素は、みんな人間らしく描かれている。どこからどうみても、日本人を単純に悪人扱いしているようには見えなかった。鬼はもともと人の心の中に潜んでいて、権力を行使した人間、あるいは行使された人間のなかで、突然暴れだす―――――そう言っているとしか思えない。具体的に言うと、映画のポイントは「権力」、あるいは「立場」だろう。アメリカを中心とした連合軍は国民党を利用し、国民党は日本人を収容したあとも、日本軍隊内部にあった主従関係をそのまま利用した。マーの処刑シーンは、国民党の命令を受けた酒塚隊長が、「日本兵はすでに武器を放棄したから、体の一部である刀を使わせて欲しい」と、花屋に刀を渡してその役を押し付ける、という奇妙な構図。こんなややこしい主従関係さえ存在しなければ、花屋は命の恩人を自らの手で葬る必要などなかった。自分は人の上に立っている、あるいは、人の下に立っている、という感覚を持っているからこそ、人は鬼になれるということだ。その象徴である村の焼き討ちシーンは、すごく考えさせられるものがあった。村人たちを命の恩人ととらえていたはずの花屋が、村人が隊長に馴れ馴れしく接したことにカチンと来て、殴りかかる。それが発端となり、日本兵たちはいっせいに村人の虐殺を開始、村はあとかたなく焼き払われる。あれだけ村人に感謝していた花屋がなぜ?というのが当たり前の疑問。しかし、中国で現地人の持つ気質を実際に知ってみると、妙に納得できる。中国人が持つ独特の親しみやすさ(馴れ馴れしさ)と、日本人が持つ独特の礼節(主従関係)。それらが悪いかたちですれ違いを起こせば、たしかにああなる。中国で暮らしている身として、痛いほどそれを実感する。繰り返すが、これは日本を単純に悪者扱いする映画ではない。実際、この映画は中国で上映禁止措置を受けた。日本人の描き方が人間的に過ぎたから、といわれている。でも、現地人たちは多くがこの映画を知っている。「戦争について考えさせられた。いい映画だった」と話す人が多い。つまり逆に、われわれ日本人はこの映画に感謝すべきなのである。罪を憎んで人を憎まず・・・。この映画が全人類に向けて発する強烈なメッセージである。