『神童』の2回目を観るつもりだったけど、時間が合わず渋々コレ .. >(続きを読む)
『神童』の2回目を観るつもりだったけど、時間が合わず渋々コレに。アゴを外しました。ブルース・キャンベルには「ジョン・クリーズの跡目を継ぐ気か?」と苦笑い。一番凄かったのは画面の中ではなく、画面の外の戦い。ソニーの製作陣と監督との突っ張りあいの傷跡が凄い。サム・ライミはかけがえのない、骨のあるバカだぜ。
ちょっと別の話をしよう。
1991年、リーナス・トーバルズが Linux カーネルの最初のコードをネットへ投稿した時、それは邪道の塊だった。UNIX の掟を破ってアセンブラを埋め込みまくり、もちろんネット上では「論外」の烙印を押された。だがこれは世界で初めて実用になる可能性を持った、386 系 MMU の力を引き出せるフリーソフトなのだ! このコードを OS へ発展させるため、ギークたちが群がった。開発は爆発的に進み、2年後には実用になる UNIX モドキが生まれて、これがカーネル 0.9 と呼ばれるバージョンだ。カーネル 2.0 で elf を、その後ルーティングから USB 対応まで様々な先進機能が盛り込まれる。この時点では既に大手企業やNSAが動き出しており、ページング効率化や、フック利用のセキュリティ等が巨大組織の手で実装され始めた。世間では Windows 98 が売れに売れていたが、現在の逆転の構図は、既にこの時期に仕掛けられていた。
この頃からリーナスは「奥の院」へ入るようになる。コメンテーターとしてマスコミの前へは出るが、開発にタッチするには利害関係や動く金額が巨大で、複雑になりすぎていた。彼の言葉ひとつで、とてつもない額が世界中で動き回るからだ。彼は現在、「"NO" を言うのが主な仕事だ」と言っている。利害が膠着した開発サイドの最終的な「神の声」という事だ。実際、彼の言葉で「学者や企業の玩具」になるのを何度も免れている。Linux は政治的に灰色のOSに近づきながらも、個人ユーザから離れていく事はなさそうだ。
チープな巻末1ページの掲載から始まったスパイダーマン。ソニーの押し付ける《A》シナリオに対し、ライミは頑固に安っぽいコミックへの愛を叫ぶ。画は固定したコマの、ギトギトのメロドラマ、頭の中で台詞をフキダシに置き換えて観てほしい。台詞の長さ、フレームの空き具合…バッチリだ。流星が Veeem! って叫んで落ちてるしな。ここまで映画を捨てたのは凄い。
そもそもマンガってのは安っぽくなきゃイカンのヨ。-6点はコロンビアに。