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<ネタバレ>発声練習やった事のある方は、自分の最大の声量が出せる音程と、普段喋っている音程が違う事を知ってると思います。大声の時は普段の声より2~3度低音。なぜなら、声帯を締めつけるような無理な力がかからない時に一番大きな声が出るから。裏を返せば、声帯が筋肉のコントロールを受けていない状態なので、その声は感情に乏しくなります。音程のコントロールも当然難しい。そして息も無駄が増え、息継ぎの間隔は短くなる。「声が大きくてナンボ」の演劇ではこういう発声方法も(まあまあ)アリなんですけど、歌の場合にはマイクを奪われるばかりか二度と歌本を回してもらえない悲しい結果になります。
ところがクライマックスのドリス・デイはどうだ。音程はまさに大音量「オンチ」ラインにぴったりフォーカス、序盤で見せた感情豊かな歌声と真逆の軍歌調でケ・セラ・セラを大絶唱! 顔もこわばって表情が消え、室内のあらぬ一点を注視し続ける。
ここで、涙が止まらなくなった。
結婚してもステージ上で歌を歌い続けたかった人物だというのは、それまでの展開でしみじみわかっていた。歌いながらののベッドメイキング、周囲に混じって教会で歌えばつい大声になってしまい(ここはもちろんコーラス音程)、そして彼女にとって悪夢の巡り合わせであるコンサート会場では、歌えない事が一瞬の大絶叫になって破裂(音楽視点から解釈した場合)。演奏を中止させる…。
そんな彼女が、某国大使たちを前に披露する歌が、なぜ感情の消えたものになってしまうのか。彼女にとって、いまや聴衆はただ一人しかいないからだ。その耳に届くためには、この歌い方しかないからだ。だから、ほら、この息が短くなるのを計算したブレスの素晴らしさ! 最後まで揺れのない安定した声量! 歌手としての技術の全部を注ぎ込んだ、だがステージで聞く事は絶対にない、この物語の中でしかあり得ない、プロとしての歌声。
彼女はこの後も一生、たぶん、ただ一人の聴衆のためにしか歌わないんだと思う。彼女がいつその覚悟をしたのかはわからないけれど、それを感じさせるほどの揺るぎない安定感が、あのシーンを貫いている。
学生時代にテレビで見た時には「へへーん」と鼻クソほじりながら観ていた映画だけど、気がつけば今回は涙がボタボタ落ちてズボンを濡らしていました。よくここまで泣いたもんだ。しかも『アンデッド』を観た直後なんすけどね…。[良:3票]