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<ネタバレ>若松孝二監督の作品は、1990年代以降の数本見ただけなので、ここで描かれるエッジが効きまくったピンク時代の作品は未見。ただ、本作が描く若松監督は、その映像イメージから浮かび上がる絶対的な天才・鬼才というよりは、「アート」と「ビジネス」の隙間を、多彩なメンバーをうまくコントロールしながら絶妙なチームプレーで駆け抜ける「リーダー」の姿であったように思います。それは、まさに白石和彌監督の視線から見た若松孝二の姿だったのかもしれません。無給で働くことが常態化していた「若松プロ」の製作現場の姿を、ノスタルジーで居直るのでも、現代目線からハラスメントと断罪するのでもなく、女性助監督を主人公に置くことであくまでフラットに切り取った白石監督のバランス感覚には感心します。門脇麦演じるめぐみと、師匠である若松監督、思いを寄せる足立、若松プロを去って行く人たち、関係を持ってしまうカメラマンとのそれぞれの関係は、「恋」とか「愛」という言葉で表現できないような人間関係のさまざまなあり方を表現しています。だからこそ、「チーム」の美しさと儚さに説得力があり、めぐみが「チーム」の一員であると同時に異質な存在であることを痛感させられることが、最後の悲劇へとつながったのだと思います。ただ、最後の悲劇が歴史的事実としてある以上、本作はどこか宙ぶらりんにならざるをえなかったのも仕方がないのでしょう。「俺たち」の多面的な描き方に比べると、主人公であるはずの「1人の女性」がなぜそこへ向かってしまったのかはぼんやりとしかつかむことができず、気持ちの置き所に困ってしまう結末でした。