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<ネタバレ>公開直後、初めて見た時の感想は、圧倒的な冒頭30分に「とんでもないものを作りやがった」と思いつつも、その後のライアン救出作戦の非合理にどうしてもついて行けず、ラストの星条旗の愛国主義っぷりに辟易したという思いで(あと、いつもよりも冴えないジョン・ウィリアムズの音楽と共に)、いい印象を持たないまま一度も再見せず20年近く経っていました。ところが昨日『ダンケルク』を見て、その「ヌルい」感じが引っかかって、この映画を思い出し、冒頭30分だけでもと思って再見したところ、あれよあれよとハマってしまい、最後まで見てしまいました。このドラマ、やはりライアン救出作戦をどう解釈するかがポイントなんだと思うのですが、今回見て気づいて、ゾーっと恐ろしくなったのは、劇中、ライアン救出作戦は「広報ミッション(public relations mission)」だと説明されていること。ということは、この英雄譚は「宣伝(というかプロパガンダ)のために」用意されたことであり、トム・ハンクス扮するミラー中隊長もそのことをちゃんと理解しているのだ。このなんとも非合理な作戦の目的は、「母親に4人目の息子を送り帰す」ことで国内の士気と戦争への支持を保つこと、その1点なのである。イーストウッドが『父親たちの星条旗』で描いたプロパガンダと戦場の乖離というテーマを、この映画は戦場を舞台に描いて見せる。一見すれば、1人の無名兵士を救うために命をかける男たちの英雄物語でありながらも、その底辺には作戦そのものの空虚さと、その空虚を自認しながらもミッションを完遂しようとするミラーの「軍人」としてのあり方にどうにも複雑な思いを描く。だから、この映画に簡単に「感動」してしまってはダメだし(それじゃあプロパガンダと同じだ)、容易に「感動」できないようにスピルバーグはあえて作っているのだろう。ウィリアムズの音楽が冴えないのも、その両義性ゆえだ。彼の音楽は、こうゆう物語には明らかに合ってない。ラストにある色あせた星条旗の意味も、最初に感じた愛国主義なんかではなく、戦争で命を落とした多数の名も無き兵士たちへの鎮魂(彼らが守ろうとしたのは、ライアン家が象徴する無数の平凡な家族だった)と、それでも戦争を遂行する国家の非合理・不条理を象徴するものになる。スピルバーグの恐るべき傑作。[良:3票]