権力者の心理過程、つまりは葛藤、迷い、焦り、誇りなどなどに焦 .. >(続きを読む)
権力者の心理過程、つまりは葛藤、迷い、焦り、誇りなどなどに焦点をあてながら、帝国の興亡を描くという狙いはわかります。、、、、、だんだんファレルがブッシュに重なってきて、ブッシュも、父親を超えたいという気持ち、かつて抱いた劣等感を埋め合わせるものとしての攻撃性などから、冒険主義的な侵略戦争に駆り立てられているのか、と思ったりもして、、、。しかし、狙いがそこにあるのだったら、どうしてアレキサンダーなのだろう。この時代には、近代的な国家など成立していないし、近代的な権力などないし、キリスト教だって、イスラム教だって成立していないのだ。つまり、現代と大きく異なっているこの時代に、権力者の心理過程を描こうたって、結局は、現代的な概念、感情を持ち込むだけで、衣装がちょっと変な現代劇になってしまう。、、、、、この映画が、最初から最後まで、アメリカ人による隠し芸大会演劇にしか見えないのは、アメリカ人が演じているという事情よりも、現代的、アメリカ的な人間関係、感情をあまりに全面に押し出しているからだと思う。例えば、愛といえばエロス的なものしか知らない現代のアメリカ的発想で、古代ギリシアの男同士の間に成り立つフィリア的なものを捉えるから、男同士の親愛をホモとしか描けなくなるのだ。、、、、、なんか全体として滝沢君の義経を見ているようでした。私の知り合いは、筋はどうでもよくて、滝沢君の姿を見ているだけでうっとりするから、義経はいい、といっていますが、この映画も、そういう見方ができれば退屈せずに3時間を過ごせるかもしれません。