これは映画というよりも芝居に近い。、、、、、がけの下、崩れか .. >(続きを読む)
これは映画というよりも芝居に近い。、、、、、がけの下、崩れかけた小屋の中の濃密な空間、母屋とその外。、、、、狭い、掃きだめの空間を使って、黒澤は何を表現したかったのだろう。、、、、下層の人々が置かれたリアリティ、そしてそこに理想的なものの存在する余地がどれほど乏しいのか、ということだったのだろうか。、、、あるいは、全く希望も、理想もない世界がどのようなものかを描くことだったのだろうか。、、、三船は若い女、山田は三船に明るい未来を見いだそうとするが、それは破れ、東野は妻の弔いに仕事道具も失う。、、、そして、アル中の老人は、覚醒して未来がふと見えると、死にしか、もはや救い、理想を求めることができなくなってしまう。、、、、、、この世界は、求道者・黒澤が、人が道を見失うとどのような存在になるかを描いたものだったと僕には思えた。、、、だけどそれは、黒澤が、実は民衆の世界を描くことが不得手であったことを物語っているのではないだろうか。