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<ネタバレ>話の発端は21世紀初頭、ドリームワークスにて『アルゴ探検隊の大冒険』のリメイク企画が持ち上がったのですが、打ち合わせの段階でハリーハウゼンを激怒させたために(理由は不明)この企画は潰れ、それが流れ流れて本作の企画につながったという経緯があります。しかし、この企画は当初の予定通り、21世紀初頭に作られるべきでした。 CGによる映像自体に価値のあった時代に。『ロード・オブ・ザ・リング』や『ハリー・ポッター』を経た2010年には、観客はすでにCGのみを売りにした映画には飽きており、CGというツールを用いてどんな物語を作り出すのかが問われる時代になっていました。そこに来ると、そもそもがつまらない映画だった『タイタンの戦い』をピカピカのCGでリメイクするという企画に意義を見出すことは難しくなっていたのです。。。
『インクレディブル・ハルク』で素晴らしい手腕を披露したルイ・レテリエは、本作でも期待に応える働きをしています。ライブアクションとCGを巧みに組み合わせたアクションの出来は水準以上だし、次々と現れるクリーチャー達の見せ方にもセンスを感じさせられました。ただし、脚本がメタメタだったので、映画としてはまるで面白くありません。ペルセウスが己のアイデンティティと向き合うことが本作のドラマの骨子であったにも関わらず、これがまるで出来ていないのです。ペルセウスはゼウスによるレイプの結果産まれた子であり、おまけに母親もろとも海に捨てられたという悲惨な生い立ちを持っている以上、神や人の世に対する激しい憤りや不信感を持っていて当然なのですが、脚本はこれをうまく表現できていません。そのため、観客はペルセウスの悩みや怒りというものに共感できず、「俺は漁師の子だ」と主張してデミゴッドとしての能力を使うことを拒否し続ける彼の姿に苛立ちを覚えてしまうのです。さらに悪いことには、彼と旅をするドラコ隊長がメチャクチャにかっこいいため、主役のペルセウスは終始喰われ気味。ラスト、神の力を行使したところでようやく存在感を発揮するという最悪の状態になっています。その他、人類滅亡の引き金を引いたり、一方でそれを阻止しようとするペルセウスに援助を与えたりで何を考えているのか分からないゼウスや、ラストで唐突にペルセウスと恋仲になるイオなど、各キャラクターの感情や行動原理が不可解すぎて映画に入り込むことができませんでした。