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傑作として名高い本作ですが、現在になってあらためて見返してみると、「よく出来た娯楽作止まりの映画」という印象です。公開当時の熱狂を知らない若い世代が本作を観た時に、果たしてこれを傑作と感じるのかどうかは疑問です。。。
本作の脚本を書いたアンドリュー・ケビン・ウォーカーはペンシルベニアのド田舎出身。脚本家を目指してNYに出てくるも、舞い込んでくる仕事は低予算ホラーの手伝いばかりで生活は困窮を極めていました。そんな中、スラッシャー映画の題材として目を付けたのがキリスト教の七つの大罪であり、このネタを足がかりとして、社会に対する個人的な恨みつらみをぶつけていくうちに『セブン』の原型が完成したのだとか。当初はホラーを志向していた作品だけあって、殺人の方法はバラエティに富んでいます。さらには、恵まれないインテリ特有の余計な薀蓄にも溢れており、作品にはなかなかのオリジナリティが宿っています。そして何より素晴らしかったのが、ウォーカーが社会に対して抱く怒りが、作品にドラマ性をもたらしているという点です。普段はホラー映画に出ることのないモーガン・フリーマンやブラッド・ピットが本作への出演を望んだのも、この部分が魅力的だったためでしょう(両者とも、キャリアの初期には貧しい下積み時代を経験しています)。。。
本作の演出を担当したデヴィッド・フィンチャーはサンフランシスコの高級住宅街出身。父親のコネを駆使して17歳で映画界入りし、25歳で自分の製作会社を設立、27歳で『エイリアン3』の監督に抜擢されるという、機会にも才能にも恵まれたキャリアを歩んできました。そんな彼は、持てる技術を総動員してこの企画を磨きあげ、当初はB級ホラーだった本作を、芸術レベルのビジュアルで彩っています。すべての場面が美しく仕上がっており、さらには娯楽映画としての呼吸も整えられ、文句なしに面白い映画となっているのです。ただし、ドラマ部分の訴求力が弱い点が気になりました。サマセットの抱く絶望感やジョン・ドウの抱く怒りがどうにも空虚であり、脚本に込められた思いがうまく映画に反映されていないのです。常に社会の表舞台を歩んできたフィンチャーは、ウォーカーとは正反対の人物。ウォーカーが社会に対して抱く怒りを感覚的に理解できていなかったのではないでしょうか。この点の弱さが、本作のリミッターとなっています。