<ネタバレ>男女平等意識の強い北欧において、数少ない「男の本分」たる鹿狩 .. >(続きを読む)[良:3票]
<ネタバレ>男女平等意識の強い北欧において、数少ない「男の本分」たる鹿狩りのイメージが度々登場したり、クララの父は長男にばかり目をかけて娘は部屋で大人しくしていればいいと考える家父長制の権化のような人物だったり、主人公が放り込まれるのは女性だけの職場だったりと、作品の至る所に男女の対立構造が見て取れます。さらに、主人公を追い込んだものは何だったのか、救ったものは何だったのかという点までを考慮すれば、本作の裏テーマはジェンダー問題ではないかと思います。。。
また、「男性から見た女性の姿」の表現も、本作の特徴となっています。疑惑を知った時の園長先生やクララの母親の反応がそれなのですが、感覚的に受け付けないと判断した時点で、いかなる弁解にも耳を貸さなくなるあの態度。主人公の言葉が耳に入ることすら汚らわしいと言わんばかりに園庭を逃げ回る園長先生の姿は滑稽でしたが、男性であれば、人生のうちで一度や二度は似たような目に遭わされたことがあるのではないでしょうか。粗野な男も悪いのですが、聞く耳を持たなくなった時の女性の頑なさには手強いものがあります。さらには、主人公が息子に会うことを徹底的に妨害する元妻の存在など、本作には、監督が女性に対して抱える恐怖心や反感というものが随所に見て取れます。。。
センセーショナルな内容である上に、上記の通り監督の個人的な女性観が全体を貫いていることから、本企画は独りよがりの内容になってしまうリスクを多分に孕んでいたと言えるのですが、その点を抜群の構成力で乗り切ったという点には感心しました。例えば事件の発端部分。【恋心を拒否されて、女の子が小さな嘘をつく→園長先生は、管理者としての責任からセラピストを呼ぶ→セラピストは、性的虐待があったという先入観から少女に対して誘導尋問を行う→専門家によるお墨付きを得たことで、架空の犯罪が事実として一人歩きをはじめる】。主人公は、事件発覚後の数日間は自宅待機を命じられており、初動段階で誤解を解消する機会を得られなかったという細かい動きまでよく考えられており、まったく隙がありません。事件の解決部分にしても、教会という舞台を選択して加害者と被害者以外のオーディエンス(神を含む)を多数配置したことで、「この環境であれば、主人公の熱弁は聞き入れられるだろう」という説得力を持たせています。[良:3票]