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<ネタバレ>『漂流街』を簡単に総括すると、外国人の男女が主演、外国語が散乱する、日本人が外へ追いやられている映画。漂流街は、ブラジル人の若者・マリオが、来日して一目惚れした中国娘をチャイナマフィアから奪還するところの、中心地のことなんですが、奪還されるチャイナに敵対する日本のヤクザ、あるいはヤクザやチャイナとブラジル人の若者の敵対に、国と国って感覚がない。個と個って感覚の方が強くて、漂流街では観客にいずれかの国の国籍を持つ人間の側に立ってもらうことができない。主演がブラジル人だから、ブラジル人側かと思いきや、マリオは同じ在日ブラジル人にぶち殺されるし、中国娘を付けねらうのは同じチャイナ。もう文字通り無国籍映画(笑)なんですね。
無国籍映画の面白さは、人種がごった煮になっているところなんでしょうが、日本人を観客として想定しながら、日本人が主演ではなく、外国人から見た日本人を描くのでもなく、外国人に日本観を語らせず、日本人に外国人観を語らせない『漂流街』の魅力は格別だと思います。柄本明が、「俺はガイジン嫌いなんだ」みたいなことを言っても、それが映画の本流ではないし、それに対して日本人なり外国人なりが、何らかの固定的な反応をするわけじゃない。すらっと流してしまう。人種のごった煮映画たる無国籍の街『漂流街』っていうのは、誰がどの目線で語ったとしても、国の主体的な意味に集約されることがなく、流されたままで終わっちゃいます。柄本の発言に対して、決まった反応があり、それが映画の本流だとすると、無国籍は結局どこかの国の映画になるのですが、それをしないで、日本人同士の他愛無い会話で終始しているところに、この映画の特色があるんじゃないかな、と思います。