もしこの映画に出てくるような刺激に満ちた会話が、フツーの会話 .. >(続きを読む)
もしこの映画に出てくるような刺激に満ちた会話が、フツーの会話としてリアリティーをもってそれほど違和感なく欧米人に受け取られているとしたら(もちろん映画だから少しは誇張されてるんだとは思うが)、西欧人の考える力や知性といったものは非常に強靱だ。日本人は多少むづかしいはなしを人前ではあまりしない。普段は専ら、なにがたのしいとか、友達がどうしたとか、そんなんばっかりはなしている気がする。言ってみれば、情報の垂れ流しと情報に対する簡単な感情の表現しかしてないよな。もちろん、日本人だって人生観を語ったりするだろうが、この映画の二人の会話は、人生観よりももっと普遍的で抽象的なレベルで、なのに「自分」の考えをもっている気がするのだ。普通なら電車が動き出して、それを見送って終わりになりそうだけれど、一人になってからそれぞれ眠りにつく二人を描いているのが心に残った。まるで、一晩のできごとが夢だったんじゃなくて、これからの現実生活が夢なんだみたいな。(もちろん、徹夜して眠いんだろうけど)